第18話 交錯する舞踏会(2)
カティーサークは先ほどまで繋いでいたヴィクトリアの白く細い指をを思い出しながら、呆気なく離されてしまった手に一抹の寂しさを覚えつつメアリー嬢と向かい合った。
目の前のふんわりとした茶色の髪にグリーンの目をした令嬢はにっこりと微笑んで言った。
「殿下とこうして踊れることを心から嬉しく思います。どうか一曲と言わず私と二曲踊っていただけませんか?」
この言葉をヴィクトリアが言ってくれたらどんなに嬉しいだろうかと思いながら、それは決してないだろうなとすぐに否定した。
先ほど彼女がどこかの貴族子息に声を掛けられ親し気に話しているのを見た時は、下に降りて引きはがしてやろうかと思ったが、皇太子という立場がそうさせなかった。
今もそうだ。
ずっと一度でいいから一緒にダンスをしたい、そう思っていた。
夢のようだと言ったのは本当だ。
本当なら次の曲もその次も彼女と踊っていたかった。
踊っている間は俺だけを見ていた。
初めてこの手に本当に彼女を掴んだようなそんな気持ちだった。
それなのに…。
「そう言ってもらって俺もとても嬉しい。ただ、もう一人ご令嬢も待たせているし、一曲ずつと決めているんだ。その代わりこの一曲を最高のものにしよう。」
カティーサークはいつもの微笑みを浮かべた。
メアリーはその微笑みに酔いしれるかのようにうっとりしていた。
「それは残念ですわ。では、また次の機会に。」
そう言うと二人は手を取り踊り始めた。
音楽団はハチャトリアン組曲の「仮面舞踏会」を演奏していた。
「仮面舞踏会」とはまた粋じゃないか。
ここには仮面をつけた者たちばかりだ。
その中でも一番の仮面をつけているのは俺か…。
カティーサークは今すぐ皇太子の仮面を脱ぎ捨ててただの男に戻ってしまいたかった。
彼女は…ヴィーは一体誰と踊っているんだろう。
さっきの男だろうか。
俺は目の前の令嬢に微笑みながら目の端でヴィクトリアを探した。
すると外に出ていくピンク色の髪が目をかすめた。
ヴィー…?
外に…なぜ…。
音楽が盛り上がるにつれて胸騒ぎが止まらなかった。
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ヴィクトリアは外に出るとレイヴン侯の後を追っていた。
彼は庭園を抜けて、そして人気のない温室の前で止まっていた。
私はそれを見つけると急ぎ足で彼の元へ駆け寄った。
私たちは周りを見渡し誰もいないことを確認すると、二人で温室の中に入っていった。
先に口を開いたのはレイヴン侯の方だった。
「あなたともしかしたら会えるかもと思い来てしまいました。」
彼は切なそうに私を見ていた。
「あの…私…。」
「いいんです。何も言わなくても…。ただ、きちんとお別れの挨拶をしたかったんです。区切りをつけるために。」
彼の誠実な眼差しに私は胸が締め付けられるようだった。
「あの、私、あなたに大変な迷惑をかけてしまったわ。」
「迷惑だなんて…。私は一瞬でもあなたを手に出来たことは一生の喜びです。ただ、私はあなたには相応しくない。先ほどのダンスを見て、改めて確信しました。正直言うと、妃候補から外れたら私の元にもう一度来てほしいと思っていました。でも、運命は違うようだ…。だからこれできっぱり忘れようと思います。」
彼は悲し気でとても穏やかだった。
ロレンツォの言う通り泣くほど悲しかったわけじゃないけど、それでもやっぱりこの人と一緒になったらきっと穏やかで幸せな人生を送れたと思った。
燃えるような恋じゃなくても、きっと穏やかに愛を育んでいけただろう。
「私は…あなたに好意を抱いていました。それは本当です。」
「わかっています。」
彼は穏やかに微笑んだ。
遠くの方からかすかに音楽が聞こえてきた。
何の曲かは遠くて分からなかったがワルツのようだった。
「最後に一曲、お相手願えますか?」
彼は私に手を差し出した。
私はこれが本当に最後なんだなと思いながら彼の手を取った。
彼はやさしく私を包みこむようにそっと背中に手を添えた。
温室で二人きり、私たちは最初で最後のダンスをした。
そして音楽が聞こえなくなると彼は私から離れ「これで本当にお別れです。」と言い、温室から立ち去った。
私は彼が出ていったドアをしばらく見つめていた。
すると一筋の涙が頬を伝った。
「やっぱり悲しいじゃない…。」
私は小さく呟き、それからしばらく温室から出なかった。
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そろそろ戻らないとと思い私は温室から出ようと、ドアに近づいた時だった。
計ったかのようにドアがゆっくりと開き、背の高い男の人が現れた。
私は足元から視線を上げ、その人を見て目を見開いた。
それは今、最も会いたくなかった人だった。
「殿下、いつからここに…。令嬢方と踊っていたんじゃ。」
私の心は焦っていた。
今度は本当に後ろめたい気持ちがあったからだった。
「君が外に出ていくのが見えて、まさかとは思ったが…レイヴン侯とは。」
カティーサークは本当にショックを受けているようだった。
「彼とは本当に何もないわ!ただ話してただけです。」
私はレイヴン侯と「最後のお別れ」をしたことを話せなかった。
もしかしたらそれは私の中に芽生えるかすかな罪悪感があったせいかもしれない。
「…ただ話してただけ?」
カティーサークは震える怒りを押し殺した。
なぜなら彼は本来踊るべきはずのモナルカ嬢とのダンスを断り、ヴィクトリアの後をすぐに追っていた。
そして二人が温室にいるのを見つけ外から眺めた時、ダンスをしていたのを見ていたからだった。
「ヴィーも懲りないね。釘を刺しておいたつもりだったが。」
そう言うと彼は私をドアに強く押し付けた!
「痛っ。」
私は小さく声を漏らした。
「痛いか?俺はもっと痛い。君は俺の見ているところでは他の男と親しくし、見てないところではもっと酷いことをする。」
彼の手にぐっと力が入り、掴まれた腕に痛みが走った。
「今日は逃げられないね。後ろに壁があるから。」
そう言うと彼は強引に私の口をふさいだ。
強く荒々しいキスだった。
私はこの温室の、レイヴン侯との美しいお別れが汚されていくようで悲しかった。
「…っお願い…っ嫌!」
気づいたら私は彼の唇を噛んでいた。
彼の唇は少し切れ、そこから一滴の血が私のドレスに落ちた。
それを見て彼は一言、
「送ったドレスが汚れてしまったな」と言った。
いつも読んでくださってありがとうございます。最近はヴィクトリアよりもカティーサークの目線で書く方に肩入れをしてしまいがちなので、あくまでも女主人公だということを忘れずに続きを書いていきたいと思います。また、作中にはありませんがヴィクトリアとレイヴン侯が踊っている曲は「美しく青きドナウ」の設定で書いています。




