第12話 皇后エスメラルダの選定(1)
後宮ではヴィクトリアとレイヴン侯の一件がひそひそと囁かれ、水面下で尾ひれを着けて広まっていった。当然それは他の令嬢たちの耳に入ることになり、以前にも増してヴィクトリアへの風当たりは強くなっていった。
それと同時に不貞と取れる行為を行ったにもかかわらず殿下の機転によって不問に処された今回の采配は、結果的にヴィクトリアとレイヴン侯のどちらも救うことになったと、一層「聡明な皇太子」の名を際立たせた。
「お嬢様…大変なことになっちゃいましたね。」
マリーが私の髪をセットしながら、鏡越しに話しかけた。
「そうね、それもこれもすべてあの忌々しい皇太子のせいだわ。」
私は指を銜えながらあの男とのやり取りを思い出していた。
あの時は目の前のカティーサークが恐ろしくて何も言えなかったけれども、後から思い出すとふつふつと怒りが湧いてくる。
髪の毛一本まで俺のモノですって!
冗談じゃないわ!
私は自分の意志をもった人間よ。
あなたの人形になんてなってたまるもんですか!
「お嬢様…。」
マリーは不安げな表情を一瞬浮かべたが、気を取り直したように明るく振舞っていた。
「それより早く支度しないと遅れちゃいますよ!今日は皇后様主催のパーティじゃないですか。わざわざこんな素敵なドレスまで届きましたし。」
「…そうね。お母様もこんなドレスを用意してくれているなんて本当に気が利くわ。」
数日前に届いたドレスに目を移しながら答えた。
私のピンク色の髪を引き立たせるようなアクアマリン色をしており、所々宝石が散りばめられレースと繊細な刺繍が施されている洗練されたドレス。
お母様ったら今回はかなり奮発したわね。
きっと華やかに着飾った周りの令嬢たちと比べて恥をかかないようにと、ドレスを新調してくれていたのだろう。
ありがとう、お母様…ありがたく使わせてもらうわ。
正直、皇族と関わりたくなかったので皇族主催のパーティには今まで一度も出席していなかったが、すでにこれだけ関わっちゃったらもうどうしようもないわ。
この素敵なドレスで素敵な結婚相手を見つけなくちゃ。
カティーサークが他の令嬢と踊っている隙に外に連れ出せば問題ないわ。
すでに目星はつけているのよ!
あなたなんかの思い通りにはならないわ!
私はお気に入りのアレキサンドライトの指輪をはめて気合を入れた。
「じゃあ、行ってくるわね。マリーお留守番よろしくね。」
「お任せください、お嬢様!行ってらっしゃい。」
私はマリーに見送られパーティが行われるルビー宮のホールへと向かった。
今回のパーティは妃候補の令嬢たちにとって特別な意味を持つ。
というのも妃候補の令嬢たちが皇太子と会える機会は基本的に限られている。
月に一度開かれるお茶会と「寝屋の日」、そして皇族主催のパーティだ。
最も親密になれるのは言うまでもなく「寝屋の日」に違いないが、ドレスで着飾った姿を見せられるお茶会やパーティもご令嬢方にとっては自分をアピールできる重要な機会だ。何より「寝屋の日」に誰にも手をつけていないとなればなおさらのこと、今回のパーティに気合を入れていることだろう。
例年であれば妃候補は2、3人のため皇太子は全員の令嬢とダンスをされたそうだが、今回は異例の11名である。おそらくダンスを申し込まれることなく挨拶のみになる令嬢も出てくるに違いない。
その上今回は皇后様もご出席され、その様子をご覧になる。言うまでもなく皇后様は皇太子よりも大きな力を持つため、皇后様に気に入られれば正妃の座もぐっと近づくわけだ。
今日もきっとどこかですすり泣く声が聞こえるに違いないと思った。
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私がそんなことを考えていた一方で、パーティが行われるルビー宮の一室ではカティーサークと皇后エスメラルダが対面していた。
「お久しぶりです、母上。」
カティーサークは朗らかに挨拶した。
「ええ、本当に。そちらも息災であったようですね。」
ローズティーの香りを楽しむようにエスメラルダはゆっくりと口に含んだ。
黒を基調としたドレスを着ており、皇后の威厳を漂わせている。
金髪の髪を上の辺りで結っており、これまた豪奢な髪飾りがついていた。
顔はカティーサークに似ており、違うといえば目の色が紫というくらいだろう。
「今回は母上がパーティを主催してくださりありがとうございます。パーティには母上が選んだ妃候補の令嬢方も出席しますので声をかけていただければと思っています。」
「そうでしたね。ところで誰か気に入った令嬢はいるのかしら?」
エスメラルダは頬杖をつきながら視線を合わせた。
「まぁ、ご想像にお任せします。」
カティーサークは言葉を濁した。
昔はただひたすらに優しい母だと思っていたが、最近は少し違うように思えたからだ。
言うなれば何を考えているのかわからないしたたかさのようなものか。
「…そう。あなたがどの令嬢にも興味を示さなかったから11名にもなってしまったじゃないの。」
「本当に…、このままだと財政を圧迫してしまいます。ですからもうこれ以上は必要ないかと。」
カティーサークはこれ以上どの令嬢が来ても無意味だと思った。
もう、自分の中では心が決まってしまっている。
「…これ以上、ね。ところで、ちょっと前に皇子宮で騒ぎがあったとか。何でもご令嬢のうちの一人が密会をしていたとかで、この皇后の耳にも届いていますよ。確かヴィクトリアといったかしら。そのご令嬢を即座に候補からはずせば1人減ったんじゃなくって?」
含みのある笑みを浮かべながらエスメラルダは息子の出方を伺っていた。
カティーサークはおそらく母は全部わかっていて言っていると確信した。
「…やっぱり母にはかないませんね。その令嬢が今、一番気に入っています。」
「ふう、最初からそう言えばいいものを。母が協力してあげましょうか。このままだと財政を圧迫するんでしょ?」
最初からこれが狙いだとでも言うようにエスメラルダは微笑んだ。
「協力していただけるのであれば、是非に。候補令嬢を合法的に減らす良い方法を丁度探していたところです。何もなく妃候補から外すと親族やその周りの貴族たちが騒がしいですから。」
カティーサークは少しほっとしたように微笑んだ。
「では、やり方は私に任せてちょうだい。きっと楽しいパーティになるわ。」
エスメラルダは満足そうに笑みを浮かべ、ローズティーをさらに一口飲んだ。
カティーサークもローズティーを一口飲み笑みを浮かべた。
「母上、一つ聞いてもいいですか?」
「何?」
「妃候補のご令嬢方はどうやって選んだんですか?」
「基本的には妃候補にしてくれと貴族たちが娘の肖像画を持ってくるので、その中から良さそうな令嬢を選んだわ。」
「…基本的にですか。例外はいるんですか?」
それはカティーサークがずっと気になっていたことだった。
ヴィクトリアが自ら進んで来たのか、そうでないのか。
最初の謁見でも寝屋の時も正妃になるために来たと言っていたが、レイヴン侯との一件でそれが揺らいだ。10年経って考えも変わったと思っていたのに、そうではなかったかもしれない、と。
「…一人、います。母が勅令をもって呼んだ令嬢が一人。」
「誰です?」
そうまでしてまで聞きたいのかとでも言うように、ため息交じりに母は答えた。
「ヴィクトリア嬢よ。」
カティーサークはやはりそうだったかと思った。
彼女は10年前と何一つ変わっていない!
皇太子妃になるつもりなどなかったのだ。
これでようやくはっきりしたと思った。
自分がこれからどうしなければいけないのか。
10年前は只々ショックだった。
傷つき、何も出来なかった。
手紙を書こうとしたが、結局書けなかった。
忘れようと心の奥底の一番深いところに沈めて、二度と湧き起らないようにした。
他の令嬢にも目を向けた。
でも結局ピンク色の髪を見ると、その面影を追ってしまっていた。
そして彼女じゃないとわかって何度も落胆した。
それでも他の令嬢から選ぼうとしていたのに…。
でも、今は違う。
会わない、会えないと思っていた彼女に会ってしまった。
10年の歳月を経て自分でも気づかないうちに思いはマグマのような激しさに変っていた。
今はあの時の何も出来ない自分ではない。
「…母上、今日のパーティ楽しみにしています。あと、ヴィクトリアも確かにちょっとした騒ぎを起こしましたがちゃんと釘を刺しておいたので大丈夫です。本人が望もうと望むまいと、母が呼び寄せたのは正解でした。では、また後で。」
そう言い残しカティーサークは部屋から出ていった。
「ふふ、ようやく私の息子らしくなってきたわ。」
聡明で優しい息子は何か違う扉を開けたとエスメラルダは思った。
私事ですがちょうど引っ越しをしました。荷物の片づけなどで執筆できず間が空いてしまいましたが、また今日から少しずつ更新していきたいと思います。読んでくださっている方のおかげでモチベーションも保てています。ありがとうございます。




