プロローグ「其の噂にて」
昔々のお話です。
ある山にとても恐ろしい吸血鬼が住んでおりました。
吸血鬼は気まぐれに、麓の村々に降りては家畜を攫い、まれに人を襲うこともありました。
そして、襲われるのは決まって美しい少女でした。
村の人々は考えます。
「美しく清らかな娘を襲うのだから、きっと冷酷無慈悲であれど気品に満ちた貴族のようなモノに違いない」
「いんやあ、違う。山神様が御乱心なさっていたずらしておるのじゃ。ほれ、その証拠に娘たちは誰も死んでおらん」
「もしかしたら吸血鬼じゃなぁかもしれませんぜ。動物だったり人の仕業だったり・・・・・・もしくは流行病なんてこともありゃせんか?」
村人たちは考えました、しかし吸血鬼という存在はやはり噂でしかありません。
何故なら彼らは一人も吸血鬼の正体を見ていないのですから。
言うに、娘らが不安で騒ぐから席を設けただけなのです。
村長の家に集まり、吸血鬼を探るのはただの口実でありました。彼らの実際は酒を呑むだけの烏合の衆でありました。
そうして、噂ばかりで終わった哀れな吸血鬼はというと、しかし存在していないのではなく山奥の洋館に居りまして、今日も今日とて何もせずに、ただからの食器を並べて暮らしておりました。
誰からも恐れられる吸血鬼は、しかし誰にも姿を見せない故孤独だったのです。
噂ばかり。
されど噂は人々の理想、憧憬。
吸血鬼はそれを壊してはならんと、必死だったのです。
枯葉と腐葉土で汚れたベランダから差し込む日に、反射を許さぬ銀の髪が溶けてーーーーーーーその少女は、溜息まじりに笑いました。
『世間騒がせな吸血鬼が、こんなちんちくりんとは皮肉じゃのぉ』
それは、冷酷無慈悲でも神仏でも流行病でもなく。
少し優しい異形の少女でした。
プロローグ、は終わらない。