オレとミコ
その細くて急な坂道を、軽自動車は猛スピードで落ちるように走った。
オレは飛ばされないように、ドアやダッシュボードにしがみつき、体を支えた。
鳥の巣男は、車をコントロールしようと必死だったが、一向にスピードは落ちず、国道との交差点はどんどん近づいてきた。
タイヤが跳ね上がると車体が一瞬浮き上がり、思わず叫び声が出る。
片側3車線の国道は、オレたちが下る坂道を遮るように横たわっていた。
街の東西へと伸びていて、交通量は多いが、道が広く走りやすいので流れは速い。
国道との交差点はみるみる近くなり、一時停止の標識がもう目の前と迫った。
オレが「うわわわわわわわ~~~~」
男も「うわわわわわわわ~~~~」
二人の「うわわわわわわわ~~~~」がハモった時、軽自動車は国道へと滑り込んだ。
オレたちの叫び声にクラクションの音が重なる。
まるでスローモーションだった。
右手から流れる車をギリギリでかわし続け、左手から流れる車も次々とかわした。
気付くと軽自動車は国道を渡り切っていた。
国道を抜けた軽自動車は減速し、やがて道の端で止まった。
あまり広くないこの道は、先が丁字路になっていて、正面は鉄条網で囲われた港湾施設だった。
左手には石造りの古い倉庫があり、右手には御殿風のレストランが建っていた。
車の中は時間が止まったように静かだった。
オレは無事に国道を横切ったことが信じられず、半ば放心状態で前方を凝視していたが、ふと我に返った。
ゆっくりと運転席を見ると、鳥の巣男もこちらを見た。
それが合図のようにオレは勢いよくドアを開け、出ようとした。
男が腕を掴んできたが、振りほどき飛び出すと、車後部を回り込み、御殿風のレストランへと走った。
「おい、待てよ!」
男は車から降りるのに手間取り、オレはさっさとレストランへと入っていった。
さすがに店内までは追っては来ないだろう。
覚えのあるレストランだった。あまり世話にはなりたくなかったが、今は仕方がない。
店内は和風なのか中国風なのかよく分からないコンセプトで統一されていた。
広い店内には大きな四角い木製テーブルが並べられ、日中は海鮮レストラン。夕方からはお酒も飲めるダイニングレストランとなり、2階には広い宴会場もある。
まだ、お昼時間には早いせいか、店内に客の姿はなかった。店員が数人、こちらを見た。
「あれ?純君?」
店員の中に大柄の男がこちらを見ていた。白のスーツに黒いシャツ、不精ヒゲは昔のままだ。
「久しぶりだね。どうかしたの?」
不精ヒゲはこの店のオーナーで、オレの元パパだ。と言っても元パパは何人もいるのだが。
オレは呼吸を整えながら、「変な男に誘拐されるとこでした」と答えた。
不精ヒゲが店の外へと飛び出すと同時に、軽自動車のカン高い排気音が聞こえ、その音はどんどん小さくなった。
しばらくすると、
「ちきしょう。逃げられた」
不精ヒゲが悔しそうに戻ってきた。
「まだその辺にいるかもしれないから、ゆっくりするといい。そうだ、まだ時間は早いけど、何か食べてって」
断りたかったが、確かに言う通りだ。オレは渋々席に着いた。
不精ヒゲは厨房に入っていった。
オレはテーブルの木目を眺めながら、軽自動車が国道へ突っ込んだ時のことを思い返した。もし事故が起きていたら無事には済むまい。考えただけでもぞっとする。
だが実際には片側3車線、全6車線をかすりもせずに通過したのだ。
これは奇跡だ。
道路に見立てた木目を指でなぞりながら、オレは俄かに興奮してきた。
その木目の上にオレンジジュースの入ったコップが置かれた。
「はい、お待ちどうさま」
不精ヒゲが赤ワインの入ったグラスを持ち、真向かいに座った。
「再会に乾杯!」
勝手にグラスを当てる。
不精ヒゲが父親だったのはちょうど4~5年ぐらい前だ。
あまり話したことがなかった。
「純君が元気そうで何よりだよ。楽さんは元気?」
楽とはオレの母親の名前だ。
「ああ、あの人なら今は8番目の男と家に居ますよ」
オレの答えに、不精ヒゲは苦笑いしながらワインを一口飲んだ。
オレの母親は、何度も結婚を繰り返すイカレタ女だ。
一人息子のオレよりも、男が大好きな女だ。そのせいでオレの性根はすっかり腐っちまった。
「ところで、誘拐しようとした奴は、どんな男だったの?」
不精ヒゲの問いに、オレは鳥の巣頭の男との出会いから、今までを興奮気味に話した。
昔はこんな風に話せる相手ではなかった。きっと誰かに聞いてほかったのかもしれない。
話してみれば、たかだか2時間余りの出来事だった事に気付いた。
「なるほど。その男は純君を狙ったというよりは、たまたま純君だったようだね」
オレは頷き、落ち着くためにオレンジジュースを一口飲んだ。
その時、急にテーブルを叩くように皿が置かれ、皿の上の野菜や海の幸がテーブル上に散らばった。
オレが驚いて見上げると、そこにはウエイトレスというにはあまりにも幼いの女がいた。
金髪を短めに切り、あごを上げ、凄い目でオレを見下ろしていた。
「さっさと帰れ!」
女はそう言い残すと厨房へ消えた。
その容姿の変わりように気付かなかったが、あれはミコだ!
「大丈夫かい?まったくミコの奴、純君に挨拶もしないで・・・」
ミコは不精ヒゲの連れ子だ。あいつはオレと同い年で、見た目は整った顔立ちで頭もいいが、あいつも性根が腐っちまった。
不精ヒゲとオレの母さんが結婚したのは、オレとミコが小学校の高学年の時で、成長期で思春期のオレたちは、いつも落ち着かず、お互いが邪魔だった。
親と自分と他人が、同じ家で生活するストレスは相当で、オレとミコは互いに傷つけ合い、毎日、胸の中がヒリヒリとしていた。
「純君は学校に行ってないの?」
「・・・はい」
「ミコも学校には行ってなくてね、ここでアルバイトしているんだ」
不精ヒゲは泣いたような笑ったような顔で窓の景色を見た。
あいつはきっと金を貯めてこの街を出ようとしているに違いない。
そして、きっとあいつも・・・
「今日は嬉しかったよ。純君が私を頼ってくれて。また困ったことがあったら来てよ。いつでもウエルカムだから」
彼の前の赤ワインは少し黒ずんでいて、まるで血のようだった。
あの頃のオレとミコは、毎日胸の奥底で血を流していた。だが不精ヒゲも母も見て見ぬふりだった。
「まさか、今更父親ヅラ?キモ!」
不精ヒゲは信じられないというような驚いたような顔でオレを見た。
「オレが誘拐されたほうが、あの母も喜ぶ」
オレは不精ヒゲのグラスを奪うと、赤ワインを一気に飲み干した。
「純君!」
オレは激しく咳き込んで、体中が熱くなるのを感じた。
不精ヒゲが俺を抱きかかえようとするが、オレは抵抗した。
「やめろ!」
オレの声が宙に響いた。
<第2話 完>