鳥の巣頭の男
オレの母親は、結婚と離婚を何度も繰り返した。異常なほどだ。
だが、その本当の理由を、あの時のオレは知らなかった。
その日、オレは港の防波堤にいた。
地平線へと長く伸びる防波堤。その外海側には消波ブロックが無数に並んでいる。
オレはそのブロックの上に寝ころび、曇り空を眺めていた。
ここなら周りから見られる心配はない。
曇天だが風は生暖かく、波は多少のうねりをもって防波堤に打ち付けた。
オレは打ち付ける波の音を聴きながら、時間の経つのを待っている。
今日も学校には行かず、静かに大人になる時を待っていた。
ふいに潮の香りに乗って、大きな声が聞こえてきた。
「えっ?男の子?そんな都合よくいくわけないでしょう」
オレは起き上がって防波堤を見た。そこには一人の男の後ろ姿が見えた。
男の前には三脚があり、釣竿が2本立っている。釣り人のようだ。携帯電話で話している。
「急に言われても、・・・はい。・・・はい。」
頭はぐちゃぐちゃの鳥の巣のようで、黒い襟付きシャツとジーパンを履いていた。
休日に仕事の電話でも入ったのだろう。哀れな奴だ。見てらんない。オレはまた寝ころび、空を眺めた。
「100万?100万円ですか?」
男のすっとんきょうな声に、オレは思わず身を起こした。
100万円なんて見たこともない大金だ。100万円の仕事なのか。
「はあ~、中学生くらいの男の子ねえ~」
鳥の巣男は携帯電話で話しながら、何かを探すように、ゆっくりとこちらに向いた。
男の細いタレ目が、防波堤を覗き込むオレの目と合った。
「あっ」
細いタレ目が大きく開いた。
「あっ、いました。また後でかけます」
鳥の巣タレ目男は携帯電話を胸ポケットにねじ込むと、ニヤニヤしながらオレに近づいてきた。
「君、バイトしない?」
これがオレと奴との出会いだった。
ジャカジャ~ン♪ ジャカジャ~ン♪ ジャカジャ~ン♪
ジャジャ~ン♫ ジャララララ~ン♫ ジャカジャ♫
「君、バイトしない?」
どうせマトモなバイトじゃない事くらい、さっきの会話から見当がついている。
「5万、いや、10万出すよ」
男はニヤニヤしながら、オレに近づいてきた。
オレはブロックの上に立ち、鳥の巣男を見下ろした。
「50万だ!50万出すなら考える」
男は顔を引きつらせ、携帯電話の入った胸ポケットを手で押さえた。
「聞いていたのか」
オレは男の目の前に飛び降り、「他を当たりな」と手を振りながら通り過ぎた。
これ以上この男と関わっていても良い事はなさそうだ。
「いいから話を聞いてくれ!」
男が後ろからオレを羽交い絞めにした。
「誰か!助けて下さい!さらわれます!」
オレはでかい声で叫んだ。
防波堤には他に数人の釣り人がいて、一斉にこちらを見た。
「あわわわわ~」
鳥の巣男はあわててオレを突き放した。
「嘘ですよ~。違いますよ~。ホントに違いますからね~」
オレはその隙に全力で逃げた。背後からオレを呼ぶ、哀れな声が聞こえた。
どこで時間を潰そうか。オレは当てもなく街を歩いた。
あまり人目につかない裏通りばかりを、なるべくゆっくりと歩く。
先ほどの男を思い出した。
防波堤の男はどんな仕事をしているのだろう。どんな目的でオレを狙ったのだろう。
きっとヤバイ仕事だ。オレは売り飛ばされるに違いない。一生奴隷か?殺されて内臓を売られるのか?
こんな退屈な毎日とどちらがいいだろう。
街の中をジグザグ進む。しかし、時間はなかなかつぶれない。
オレはどこか休む場所がないか探していた。
目の前の床屋は入口の横で回転ポールがカラカラと回り、窓の中では店主がテレビを見ながらタバコを吸っていた。
その隣の建物は、ガラス戸が開いていて、建物の中の観葉植物は表にまで並べられていた。ガラス戸には「港文房具」と書かれていたが、とうに商売は止めたようだ。
この裏通りは人通りがなく、まるで時が止まっているようだった。
オレはひたすら時間を潰し、大人になるのを夢見ているのに、この裏通りのようにずっと同じ毎日を過ごしている。
角を曲がると坂道だった。
この街は急な坂道が多く、どの坂道を降りても港に着いた。
オレは坂道から眼下の海を眺めた。
いつの間にかこんなところまで登っていたのか。
その時、オレの背後から声が聞こえた。
振り返ると見覚えのある男たちがいた。
少年課の警察官が二人だ。
背広を着ていて、一見普通のサラリーマンだが、体つきと目つきが違う。
オレは反射的に坂道を全力で下った。捕まると面倒なのは経験済みだ。
道路を叩く靴の音が、後ろからどんどん近づいてくる。
もうダメかと思った時、先の十字路にジープ型の軽自動車が、右手から現れた。
助手席のドアが開き、
「早く乗れ!」
あの鳥の巣男だ。
一瞬迷う。
「いいから早く乗れって!」
オレは車に飛び乗った。
ドアを閉めるが早いか、車はタイヤをきしませ坂を下った。
まさにギリギリのタイミングで、警察官を振り切った。
オレは運転席の男を見た。
これって助かったのか?それとも・・・
<第1話 完>