三話 陥落の街
哀れな冒険者たちを腹に詰めた白狼は、ご馳走の余韻に浸っていた。
「ふう、小腹が満たされたわ」
今回の食事で、いつの世でも変わらないことはあると分かった。
魔力と体力が充実した人間の味と旨さは変わらないということだ。
オスは筋肉質でボリュームがあるからガッツリ食えるし、メスは肉が柔らかくて仄かに甘味を感じる。
血肉を魔物の一番の栄養である魔力に変換しやすいのも、やはり人間なのだ。
腹も満たされたし、眠気覚ましも終わった。
後は王国に攻めいる番だが、白狼の胸に妙なざわつきがよぎる。
それは理屈ではなく、本能が無意識に危険を察知して警笛を鳴らしている。
数千年の戦闘経験が生む未来予知が告げた。
このまま無策で王国へ攻めれば、また五千年前の二の舞となると。
根拠などないが、この予感が外れたことは今まで一度もない。
これは野生の勘だ。
「フレイムよ、このまま王国に攻めいることは中止だ。 しばらくは様子を見る。 斥候に行ってこい」
「りょーかいしました! フレイム! 行って参ります!」
一瞬で人に化けたフレイムは空中浮遊を使い、空に浮く。
空中浮遊の名が示す通り空を飛ぶ魔法なのだが、白狼はそんな名前の魔法など聞いたことがなかった。
「なんだ、その魔法は?」
フレイムに問う。
白狼が眠っている期間に、こんな魔法が編み出されているのであれば、人間どもの力も昔とは比べ物にならないほど上がっている筈だ。
「これは数百年ほど昔に人間どもが作った魔法です! 使える魔法なので頑張って盗みました!」
その説明を聞いてぎょっとする白狼。
魔物が人間の扱う魔法を学ぶなど、彼が現役だった時代では信じられないことだ。
身体能力、魔力量、誇り、総じて人間を凌ぐ力を持った魔物は人間の魔法を価値の無いものだと見下している。
フレイムのように、敵である人間について勤勉なものは少ないだろう。
「む、オレが眠っている間に随分と魔法は進展したな」
白狼は空中浮遊が風魔法と土魔法の複合魔法であることを見抜き、驚嘆の声を上げる。
土魔法で重力を操り体重を消し、風魔法を推進力にする。
単純な仕掛けではあるが、実際に使いこなすのは至難の技だ。
体重を消しているなら雲の中を飛んでいるうちに上下の感覚を失うときもある。急な突風に煽られて転落する者もいる。
フレイムは影から人間を観察し、その間抜けな失敗からやってはいけないことを学んだ。逆説的に正しい方法を学習したと言える。
「ふむ、こんなものか」
ふわりと白狼が宙に舞う。
一切の緊張も感じさせない自然体だ。
「は?………………………え?!」
白狼が空中浮遊を行っていることに目を疑うフレイム。
まさか、この短時間に自分が飛んでいるのを一度見ただけで覚えたのか?
「フレイムよ、お前は良い教師だな。 礼を言うぞ」
この尋常ならざる学習能力の高さは、白狼が人間以上の知性を持つことを示している。
――――――――やっぱりハクロー様に仕えて正解だった!
「わたしの目に狂いはありませんでした! やはりハクロー様は偉大なる魔狼の王です!」
「いいから行くぞ」
賑やかな太鼓持ちがいるのもいいが、ここままだと少しうんざりするな。
人に変身しつつ、そう思う白狼であった。
◇
最寄りの人間の町、ロックスター砦にたどり着くのはまばたきするほど速かった。
人の足では何週間もかかっただろうが、空を飛ぶ旅は思っていたよりも速く、そして快適だった。
地に足を付けて大地を蹴り、草原を駆け回るも良いが、たまには空の旅も悪くない。
特に、怪鳥の肉をいつでも食えるのはいい。
戦闘でもこの魔法は奇襲や陽動で使えるだろう。
人間どもは弱い癖に………………いや、弱いからこそなかなかに素晴らしい発想をするものだ。
フレイムも人間どもの知恵は評価しているようで、砦の防衛システムを見て警戒している。
「むむむ、これはなかなか厄介ですね」
魔力の流れを眼で認識できる高度な視覚を持つ二人には、防壁にかけられた結界や攻撃・防御・再生魔法陣の式が手に取るように分かる。
そして、その魔法方程式の緻密さと完成度にも舌を巻いた。
白狼がこれを再現したければ、恐らくは百年はかかるだろう。
破るのも容易にはいかないはずだ。
「この防衛魔法は、俺の時代には存在しなかったモノだ」
白狼は時代の進化と、自らの遅れを自覚する。
人間など魔物の劣等種や餌でしかないと見下していたが、なるほど、これは見事な魔法だ。
―――――さて、お前ならどう出る? フレイムよ。
この優秀な従者はどうするか。白狼はささやかに楽しみだった。
「むむむ、ならばこうです! 変っ身!」
フレイムはその場で華麗に宙返りする。
着地するまでのわずかな間に、彼女の細胞がみるみる間に変異を遂げて二本の足と手で見事に着地する。
「あーあー、わたしは〝ふれいむ〟なのです!」
変異したフレイムのその見た目は、まさに人間の童女そのもの。
「これでどうするのだ?」
「奴らのとこに行けないなら、奴らに招いてもらうのです!」
◇
その守衛が壁の外に幼い子供を発見したとき、その子は血を流しながら助けを求めていた。
森か山にでも入って魔物に襲われたのだろう。
小さな身体で夜通し必死に走り続けていたのか、かなり衰弱しているように見える。
「おい! 門を開けろ!」
あの赤毛の幼女の背後に魔物の影は見えない。
砦まで逃げられて諦めたか、それとも潜んでいるか………。
いずれにせよ子供を見捨てるなんて選択肢は彼にはない。
彼は、生来から正義感のあふれる男だ。
魔物との戦いの最前線にあるこの砦町の人々を魔物の脅威から守るために、幼き日から鍛練を続けてきた気高き戦士でもある。
魔物が潜んでる?だからどうした?
俺は人を守るために守衛になったのだ。魔物がいるなら倒してしまえばいい。
幼女の手を引いて、開かれた門に急いで入れる。
「速く、こっちだよ」
これが大の大人だったら、もう少し強めに言っていただろう。
相手が子供だと自然と語気と弱くなるのが、彼のいいところだ。
「ありがとう、おじちゃん」
「いいんだよ、あと、俺はおじさんではない」
幼女と守衛のかけあいに、同僚たちから笑いの和が広がった。
傷痕と若白髪の目立つ老け顔を指摘され、少し不機嫌そうになる守衛だったが、仲間内でも彼をからかう鉄板ネタだし、笑いを取るのに便利だから積極的に使うネタでもあるので、あまり不愉快でもないが初対面の子供に言われると流石に傷つく。
「あなた、お昼ごはん忘れたでしょー」
「おー悪いな、エレーン」
守衛の幼なじみ………現在では新婚ほやほやの妻が昼飯を届けにきてれた。うっかり屋の夫としっかり者の妻として、オシドリ夫婦と人望が厚い二人だ。
妻は美人で飯は旨いし、同僚の分まで作ってきてくれる優しさから砦内では結婚した今でさえ、男たちからの人気を集めている。
守衛としては、気が気でない。
かわいい若奥様と幼女に男臭い連中が癒されて和やかなムードになったところで、みんなで昼飯となった。
「君もお腹空いてるだろう? いっぱい食べていいからね」
守衛に差し出されたパンは、旨そうな焼きたての香りがする。
人間だったらお腹を鳴らすだろう。
そう、〝人間だったら〟。
「ほんとうにいろいろありがとうね………………中に入れてくれて」
ゴキ。
何かが折れる音と、仲間の絶叫が聞こえる。
首から上が無くなったような激痛がする。身体が動かない。
仲間たちに助けを求めようとしても、声を挙げることすらできない。
「わたしをなかにいれたな! ばかな人間どもめ! 便所の隅まで探しだして皆殺しだ!」
守衛の男が薄れる意識で最後に見た光景は、赤い子猫が灼熱の炎で妻と仲間を焼き払う地獄の光景だった。