二話 寝起きの運動
「それは真実か、大臣」
シン王国の王は軍事大臣から報告を受けていた。
報告によるとダンジョン指定されている洞窟を観測していたところ、魔物を封じる封印魔法が何者かによって破られたとのこと。
そして封印されていた魔物の一部は洞窟を飛び出し、野に放たれた。そのうちの一体に伝説にある魔狼〝白狼〟らしきキング・フェンリル種が確認されているとも。
そのことを知り、王宮の一部、特に〝白狼〟の伝承を代々伝えられてきた大臣たちが混乱している真っ只中だった。
国王の胸中はこれまで経験したこともない修羅場となっている。
実在さえ疑っていた神話時代の魔物が、解き放たれたのだ。
しかも運の悪いことにシン王国は白狼が最後に確認されたポイントから最も近い国だ。
魔王朝が人類を滅ぼそうとしていた時代では、白狼は旧帝国さえ滅ぼした力の持ち主だ。
この世界をお創りになられた女神アルケミスト様でさえ、かの魔狼は辛うじて封印するのが関の山だったと言われている。
しかし、この五千年間で人類の魔法技術も遥かに進歩し、今では神域にも至った〝到達者〟という存在もいる。
王国にも一人、到達者は存在している。
彼女に任せれば、しょせんは旧時代の遺物である白狼など、ものの見事に退治してくれるだろう。
問題なのは…………。
「余には例のキング・フェンリル………白狼が自力で封印を破壊できるとは思えん。 そんなことができるならとっくにやっているだろう」
頭痛と心労で震える拳を握る。
力を蓄えていたのでは?と部下の一人が指摘する。
「バカを言うな!! あの封印に使われた魔具は魔物から力を奪い、強制的に眠りにつかせるもの! 現世に降臨された女神様が我ら人類に与えられた代物だぞ!! 現に今まで奴を封じられていたではないか!?」
「ならば何者かが手引きしたのでは?」
立派な白髭を蓄えた老人が言う。
「白狼の存在は世代を渡ぐ情報操作のおかげで今では子どものおとぎ話じゃ。 奴の実在を知り、まして封印の地を知るのは今では各国の上層部……それも一握りの者だけだ」
「国王は我々に裏切り者がいると?」
「仮に誰かが裏切ったとすれば大問題になるぞ!」
「白狼はかつて旧帝国を単騎で滅ぼしたほどと記されている魔物。使い魔のように飼い慣らせれば最強の飼い犬になる」
「そう言えば魔導師殿は常々、強い使い魔が欲しいと言っておりましたな?」
誰かの指摘にその場の視線は魔導師に向いた。
〝魔導師〟
それは王国の魔法使いの頂点に立つものに与えられる名誉ある称号。
気弱で若い彼女だが、その実力は先代魔導師にして彼女の父のお墨付きだ。
「えっと、わたくしは、その………」
魔法使いは魔物と契約を交わし、使役する術を操る唯一の職業で、強い使い魔を持つことが最高のステータスになるのは周知の事実。
嫌疑の眼は魔導師に向いた。
この魔導師こそが王国の抱える秘密兵器〝到達者〟なのだが、若くして全能の域に踏み込んだ彼女を妬み、僻む者も少なくない。
憎い足を引っ張れるなら、全力で引っ張る妬み深い人間はどこにでもいる。
「魔導師よ、まさかとは思うが………」
「わたしではありません! わたくしにはすでに可愛い使い魔がおります故に―――!」
「そんなこと分かっておるわ。 全く、ここの文官連中は頭が固くて困るわ」
必死に弁解しようとする魔導師と、彼女を責め立てる老人の間に白髪の目立つ壮年の老人が割って入る。
「どれ、王様よ。 ここはひとつ、この老兵に任せて貰えませぬか?」
「ダルカスよ、全盛期のお主なら白狼をも倒せただろう。 老いてしもうたお主には無理だ」
〝ダルカス〟というこの老兵は国王とは旧知の仲で、どんなに過酷な戦場からでも必ず帰還する王国切っての精鋭だ。
魔法の技と対魔物戦術も心得ている。
「なぁに、情報のひとつやふたつは持って帰るとも」
得意武器のハルバードを構える彼は豪快に扉を蹴破って去った。
行く先は当然決まっている。
封印の地、〝仙狼郷〟だ。
◇
その頃の白狼とフレイムは寝起きの運動を行っていた。
「なんだこいつら、とんでもなく速いぞ!」
「距離を取れ! 弓矢と魔法で戦え」
「オレが前に出る」
「わたしの魔法で!」
冒険者たちは白狼の素早さに翻弄されつつも、普段通りの連携で冷静に対処しようとする。
前衛には斧とロングソード持ちの甲冑組が盾となり、後衛には軽装の弓使いと魔法使いが援護射撃。
接近、遠距離、両方をカバーできる理想的なパーティーだ。個々のレベルも高い。
「ほう、なかなかできるな」
冷静に相手のレベルを分析する白狼。フレイムはなぜそんな悠長なことをしているのか、理解できなかった。
ハクロー様がちょっと本気でやれば、あんな連中なぞ一瞬で蹴散らせるだろうに。
「なに、簡単だ。 一瞬でやっては運動にならぬからな」
読心術にも長けた白狼は、フレイムに顔も向けずにそう言った。
「なんだと!?」
対峙していた剣士と戦士が叫ぶ。
「舐めてるんじゃねぇぞおぉぉ!!」
敵に手抜きをされて戦われていたのかと思うと、冒険者としても剣士としても、なにより男としてのプライドが刺激される。
「舐めてなどいない。 貴公らが未熟ゆえのことだ」
「それを舐めてるだろうが!」
白狼の言葉に激昂する戦士。
パーティーの平均年齢は17歳。ランクは上から数えて二つ目の二等星の冒険者である彼らは、それまでの人生を研鑽と冒険に捧げてきた。
この道一筋で生きてきた誇りをしょせんは食いぶちでしかない魔物ごとき下等動物に貶されたとあっては、冷静でいられなくなる。
「ブレイド、マカ、スナイパー、手を出すなよ!」
「止せ!!」
「止まってアックス!」
戦士が一人で、仲間の制止さえ無視して飛び出してくる。
どうせ相手は獣だ。そう侮っていた。
見ろ、今も俺のスピードに着いてこれてないじゃないか、と。
その姿に自信を取り戻し、プライドに満たされて大上段に構えた斧を振り下ろす。
魔法使いのアイアンゴーレムさえ切断した戦士自慢の一撃なのだ。
これまで、この攻撃で仕留められなかった魔物はいない。
ほら見ろ。こいつも頭をかち割られて死んで―――――。
彼の意識はそこで途絶えた。
白狼に喰われ、腰から上が物理的に失われたからだ。
噴水のように血飛沫と内臓をぶちまけて食べ残しが倒れる。
「きゃああああ!」
魔法使いの少女が悲鳴を上げたことで、剣士の男が正気を取り戻す。
「早く逃げろ!」
振り向いて仲間に怒鳴るが、狼を前にそれは悪手だ。
剣士の肉体は白狼の口のなかへ消えていった。
丸呑みにされても体内で抵抗していたが、しばらくすればなにも聞こえなくなった代わりに、白狼の満腹感が増した。
「このケダモノが! くたばれ!」
激昂した弓使いの少女が狼の眼球を狙い、矢を放つ。
風魔法の加護が宿った彼女〝スナイパー〟が特注で作らせたこの矢は、魔法で暴風を纏って加速と精度向上、攻撃力強化を同時に行うことが可能な強力な兵器だ。
使い捨てられる矢の一本が一般庶民の生涯年収に匹敵するほど高価な代物であると言えば、その性能がいかほどのものか察して頂けるだろう。
だが、それすらこの魔狼には通じなかった。
放たれた矢は、全くの狂いもなく白狼の肉眼を直撃して、貫通……………………………せず弾かれた。
「…………は?」
衝撃的な展開に、頭が追い付かなかったスナイパーは、次の瞬間に白狼がお返しに放った熱光線で、骨すら残さず消滅して消えた。
魔法使いの前に、パサリと落ちた髪飾りだけが彼女がここにいた証になった。
白狼の青い目が魔法使いに告げる。
〝次はお前だ〟
「あ………あ、あはは」
あまりの力の差と恐怖に、絶望してへたりこむ少女にも、魔物は一切容赦はしない。
遠慮なく丸呑みにして、白狼は血の一滴まで残さず食べた。