十話 少年ロウ
「ライト王国は落とした。 今度は帝国だな」
「神聖シン帝国か。 五千年前の戦争では異界から勇者マコトが召喚された国だな」
「うむ、そのとおりだ」
異界の勇者マコトの直系の子孫の勇者シンの遺体を食い漁り、血を飲んでいるのは子猫のフレイム。
彼女は白狼と白竜の会話など気にせず食事に集中していた。
最初は生かじりだったが、なにかお気に召されない味だったのか火にくべてこんがり焼いてから食べている。
生食も良いが、やはり自分には血も滴る新鮮なステーキが似合うと思いながらワイルドに食いちぎる。
「フレイムよ、その人間は旨いか?」
「ええ! とってもおいしいです!」
強力な魔力を宿す勇者シンの肉。 やはり魔力を餌とする白狼ら魔物の鼻腔を刺激する美味さがあるようだ。
白狼軍の多くの魔物がよだれを垂らしてフレイムを憎たらしげに見ているが、フレイムは彼らを無視してシンの肉を喰らっている。
「でもさしあげませんよ! これはフレイムのお肉です!」
「それは分かっている、安心せい」
フレイムの食事が終わる前には、ご馳走を独占された魔物たちも散って各々が好きな肉にありついていた。
食糧にはしばらくは困らない。 ここには人体などいくらでもあるのだから。
「生きた人間、一匹残らず皆殺しだ。 我ら、拠点など造らぬ。 我ら、巣窟を持たぬ。 我ら、文明を持たぬ。 我らは獣だ。 獣には獣の道理と知恵がある。 ゆえに我ら文明を憎む。人を憎む。 悪しき知性を持つものたちは皆殺しだ」
「そのとおりだ、兄弟」
「都合が良いことだが、我らが眠る前とは人間の力が堕ちていやしないか?」
「やはりお前もそう思うか」
白竜と白狼は神が降臨していた時代の戦場を経験し、生き抜いてきた人類最盛期のたった二匹の生き残りにして最古参の古兵だ。
人類を滅ぼすという魔物の使命を果たすには都合がいいが、ここまで歯ごたえがないのも面白くない。
「いずれ、俺たちの煩わせるほどの強き者が現れるのを祈ろう」
「くくっ、そうだな」
魔物どもの血みどろの宴会を青ざめた表情で震えながら見詰めるのは宮廷魔導師の女、名前は………なんて言ったか?
「リリスです!!」
「む、貴様いたのか?」
白狼が存在すら忘れてた、と彼女に顔を向ける。
「最初からここにありましたわ! というか! 人を食べるなんておぞましすぎますわ!」
今にも吐瀉でも吐きそうに、というか後ろにある異臭を放つ塊からして既に何度か吐いているのだろう。今にも倒れそうなほど体調が悪そうだ。言うまでもなく、この疲労の原因は心因性のものだ。
「もう我の部下とはいえ、貴様も人間だ。 思うところはあるだろうが、我々とて人を食わねば生きていけん。 嫌だと申すなら我と戦い、魔王として人を食わぬように調教すればよい」
「無理ですわよ!」
「なら黙って見ておれ。 それも無理ならせめて静かなところに行くがよい」
そう言うと、白狼はフレイムに命令してリリスを城の玉座に移動魔法で運ばせる。
フレイムはリリスの服にかかったゲロの臭いにしかめっ面しながらも大人しく命令を聞くのだった。
リリスがいなくなると、白狼は深呼吸をするように大きく息をはく。
「ふう、ようやく呼吸ができるわい」
白狼にも人の嘔吐物は臭かったようだ。
◇
帝国の皇帝は伝令の兵士に唾を飛ばして怒鳴り付けていた。
「馬鹿者!! 儂の息子が殺されたときに貴様はなにをしていた!?」
「気をお沈めください陛下! わたしにはどうすることもできなかったのです!」
勇者マコトに万一のことがないようにと伝令兼護衛として遣わされた兵士が、マコトを見殺しにした罪を着せられて皇帝の怒りを買っていたのだ。
伝令の兵士は国有数の槍の使い手ではあるが、勇者マコトがフレイムに殺害されたことを報告しただけでこの怒り様だ。
「そうならんようにお前を護衛に着けたのだろう?! なにを寝惚けたことを申しておるか!!」
首斬り皇帝と呼ばれた男の怒りは留まることを知らない。
「この者の首を切れ。 マコトを死なせたこの無能を一族郎党斬首刑にせよ」
両脇の侍女が怯えて肩を震わせるのも無視して衛兵が兵士を引き立てて行く。
「待って―――――」
なにか言おうとした兵士の顔面に振り下ろされた拳が弁明の機会すら奪い、無言のうちに引き摺られていった。
「ふん、ゴミめが」
◇
少年は幼い妹を背負い、裸足のまま夜道を走り抜ける。
急がないと追っ手に捕まる、そう焦っていた。
少年の父は帝国のために働く兵士だった。父はいつも家族のために他国の蛮族を相手に血と汗を流して命を削っていた。
それが今日になっていきなり家族も親戚も全員が罪人として引きずり回されての公開斬首刑だ。
訳もわからずに鎖に繋がれて兄弟や親や親戚が殺されていく殺戮の中、少年は運良く錆び付いていた鎖がほどけて妹と共に逃げることができた。
だが衛兵は騎兵隊を出してまで少年を追い立て、ライト王国との国境近くまで追い詰めていた。
「逃げ切った、かな………?」
妹を背負ったまま夜通し走り通して、足はボロボロ。汗だくで疲れた身体を休ませようと、身体を近くの木に預ける。
少しだけ休むつもりが、よほど疲れていたのかうっかりそのまま寝入ってしまった。
目が覚めたとき、周囲に感じたのは荒く、力強い息遣い。
呼吸の間隔の速さからして人のものではない。
魔物だ。
夜の闇に紛れていた魔物の群れが、少年が動けなくなるのを待っていたのだ。
「あ、あ………」
恐怖でズボンを濡らし、見たものに伝播するほどの恐怖を顔に張りつけて叫ぶ。
「うわぁあああああ!!!」
パニックを起こして妹を忘れて走り出そうとする少年を白き大狼の前足が地に押さえる。
「わあああああああ!!! あああああああああ!!!!」
「静まれ、少年」
「こうるさいチビ助ですね!」
野太い声と甲高い声が交互に聞こえた。 追っ手の騎士かと思えばそれも違う。
少年を追跡していた親衛隊騎士は全員が女だ。男の声が聞こえる筈がない。
それが白い大狼の声であり、甲高い声の正体はよく見るとその足元いるちっこい猫であることに少年はようやく気づいた。
「………魔物が、喋ったの?」
「ようやく気づいたようなだな、にんげん! このフレイムさまをおそれているようだな!」
「フレイム、少し黙っていろ」
「はい!」
大狼は少年の頭の上から、文字通りの上から目線で話を進める。
「俺の名は白狼。 その昔、魔王の軍勢最強と謂われていた、と言えばわかるな。 貴様の名は?」
白き大狼は少年に名を尋ねる。
〝白狼〟
その名前に少年は聞き覚えがある。
帝国臣民なら誰もが知る、寝物語に登場する魔王にして神獣。
魔王の座を奪いあう戦いに勝利し、女神が召喚する勇者を悉く食いつくした恐怖の大王。そして真なる勇者、初代皇帝に倒された神話にして御伽話の魔物だ。
騙りにしては些か法螺を吹きすぎだが、少年は白狼から漂う神々しくも不吉なオーラから不思議と真実を語っているように感じられた。
「オレは、オレの名前は………ロウ。 妹はネメシスってんだ」
伝説の大狼、白狼との邂逅。
後の世に新たな伝説として語り継がれるこの兄妹の物語はここから始まるのだった。