一話 復活
血みどろスプラッターなダークファンタジーを書きたかった。
人里から遠く離れた山奥のダンジョン。
山には凶悪な魔物が多く生息しており、長きに渡り何者の侵入も拒む天然の要塞だ。
そこにある秘密の洞窟は封印の結界により固く閉ざされていた。
洞窟は遥か昔から存在していたダンジョンだが、内部に立ち入るのはある魔物が封じられてからは禁止されている危険エリアとなっている。
人々からは幻のダンジョンとされ、存在さえ忘れ去られかけている洞窟の最深部では、一頭の巨大な狼が孤独に眠り続けていた。
その狼を囲む洞窟の岩壁には、幾何学模様の紋様と異界の文字で書かれた呪文が厳重に張り巡らされており、固い封印術が施されていることが見てとれる。
内部に自生しているヒカリゴケの光がぼんやりと彼、もしくは彼女を照らす。
神々しくも恐ろしくも、どこか現実離れした美しさは見る者によっては感動の涙すら流すだろう。
コケの年代を測るに彼、もしくは彼女は数百年前からここで眠っているのが推測できる。
この洞窟の時は凍ったまま、世界の終わりまで狼は薄明かりの中で眠り続けるものかと思われていた。
入り口の封印を破り、この静寂を破壊し、狼の凍った時を解かすものが現れるまでは。
森を包む霧を打ち払う轟音と共にその氷解者は現れた。
爆発音で軽い覚醒状態となった狼は、重いまぶたを開けて朧気な眼で侵入者を確認する。
「ハクロー様! ハクロー様! お聞こえになられますか! わたしです! あなた様の忠実なる牙、【フレイム】です!」
封印の結界を破り、熱くたぎる焔を纏いながら出現したのは赤い毛並みの魔猫の子猫。
まだ生後二ヶ月程度の体格しかないこの猫が、狼を数百年の眠りから解放したのだった。
子供特有の甲高い声で騒がれると、寝起きの狼………白狼としては少々機嫌が悪くなる。
「貴様、何者だ? オレの元へたどり着いた者は……いつ以来だ」
「わたしはハクロー様のことならなんでも調べて参りました!! あなたが封印されてからこの五千年間、あなたの復活だけを目的にして研究と研鑽を重ねて参りました!!」
…………。 なんだこいつ。
今、白狼の脳内では泉のように疑問が涌いて渦巻いていた。
なぜ孤独を好み、自由奔放で凶暴で社会性皆無の生き物である魔物が進んで他の魔物の助けになろうとするのか。
フレイムを名乗るこの猫の態度は、どうみても嫌々従わされている者の態度ではない。
むしろ、己から自然と従っているように見える。
恩でも売ろうとでも?
「貴様、なにが望みだ?」
長年発声しなかった声帯は驚くほど固まり、思ったよりも低い声がでた。
もし並みの魔物であれば、地の底から這い出る混沌さながらの本能でパニックに陥り、逃げ出していただろう。
だが、その殺意と憎悪の籠った眼差しで見つめられようと、フレイムは平然とした態度で満面の笑顔のままだ。
己の全身よりも巨大な青い瞳が射殺さんばかりの殺意を向けているが、フレイムを名乗る赤毛の猫は真紅の瞳を反らすことなく正面から見つめ返している。
白狼は精神魔法でフレイムの心を見透かしてみたが、その心は向けられた殺意にすら敬愛と喜びに満たされていた。
恐らく、今ここで白狼に食い殺されても彼女は笑顔のまま死んでいくのだろう。そこには死への恐怖など欠片もない。
その忠誠心は白狼が命じれば自らの喉笛を切り裂くことさえ躊躇いなく行うだろう。
理解不能なまでの底無しの狂気と呼べる忠誠をこの子猫は白狼に抱いている。
精神魔法で彼女の記憶を紐解けば、この謎の忠誠心がどこから湧いているのか知れるが、それはそれで面白みがない。
白狼は不老不死の命を生きるうちに学んだことがある。
謎というのは時間をかけて解くから楽しい、と。
「気に入った。 我が眷属となるがいい」
恐れることがない魔物。
最上位の魔物となってからは畏怖の対象だった白狼からすれば、非常に興味をそそられた。
それに封印を破るほどの強者だ。
フレイムは側に置いておけば色々と役に立ちそうだ。
それに彼女の話が本当なら、外の世界ではもう五千年も経っていることになる。
自分はずっとただ眠っていたので自覚はないが、時代にはかなり遅れをとっている。
人間どもが使う魔法も武具も、魔王朝時代よりも進歩しているに違いない。
こんな場所に己を封じた憎き勇者は既に寿命を迎えているだろうが、奴の子孫が残っていたら………。
―――必ずあの女神の血を、祝福を、全てを滅ぼそう
あの光の女神の顔を思い出すだけでも、自然と悪鬼の形相と思考が浮かぶ。
「ありがとうございます!! 一生、一生懸命にあなた様に仕えます!!」
深々と頭を下げるフレイムを眺めると、寝起きの運動がてらに最初の指示を命じる。
「先ずは王国を滅ぼす。 お前は先に偵察してこい」
「了解しました! 只今、偵察に行って参ります!」
魔炎のベールと共に、フレイムは消える。
こうして、人類史上最悪にして最強の敵と呼ばれた伝説の魔狼【白狼】は再び世に放たれた。
◇
「ハクロー様は五千年間で世界はどう変わったと思われますか?」
「魔王が消え、魔物が減少した。 強力な魔法使いもさぞや衰退したことだろうな」
「素晴らしい! 正解です! でもなぜ魔王が死んだことを御存じなのです?」
「簡単だ。 奴の腰から上を喰いちぎったのはこのオレだからだ」
「うぇ?!?! なぜそのような真似を?」
本来なら一介の魔物でしかない白狼が魔王に逆らうことなど、力こそが絶対にして、縦の上下関係は絶対の魔物社会に置いては決して許されないことだ。
だというのに、白狼は事も無げに言い放った。
五千年前の人と魔物の戦いは、当代の魔王が暗殺されてしまったがために魔物陣営は敗北を喫したのだが、この狼には罪悪感も呵責もないようだ。
この底無しの身勝手さと強さ。
それこそが【天災】と呼称される真の魔物なのだ。
その告白に心底仰天したフレイムだが、彼女の忠誠の炎は炎の毛皮と共に燃え上がる。
「さすがはハクロー様です! それでこそ我が主です!」
「魔物たるもの、そう簡単に他者を賞賛するな」
イエスマン化しているフレイムに早くも辟易しつつある白狼の鼻がある生き物の匂いを捉える。フレイムも空気が切り替わる気配を悟った。
人間の匂い。数は四人。
血と魔力の匂いからして、かなり若い冒険者だ。
レベルの高い魔物がうろつくこの森付近で仕事をしてるので、才能と経験豊富のベテランだろう。
「うむ。 運動がてら腹ごなしと行こう」
「このフレイム、誓ってハクロー様の邪魔はいたしません!」
新たな主従は顔を見合わせて笑いあうと、エサへゆったりと歩いていく。
慌てる必要はない。
向こうも自分たちに気づいて向かって来ているのだから。
焦る必要もない。
伝説の魔狼と火炎の子猫は、もう自由を得たのだから。