胃痛と困惑
たくさんの人が賑わう空間
色とりどりのドレスを着飾った貴婦人が笑い、エスコートする男性方が誇らしげに言葉を交わす。甘ったるいお菓子と多様な匂いの紅茶。小さな子供たちの笑い声と走り回る足音。
楽しい雰囲気。
誰が見ても楽しくて御呼ばれしたことを光栄に思える今日という日
たった一名を除いて人々の顔には笑顔が咲き乱れる王妃殿下の誕生日パーティー
「リズビア様はとてもお淑やかでいらっしゃいますこと―」
「まぁ、お年の割に聡明でもあらせられますし―」
「デザイナーの才もおありであられますから―」
口々に言われる同年代の貴族令嬢たちからの賞賛と皮肉の嵐。あぁ、胃が痛い。顔の表情筋が死滅した為作り笑いで引き攣らせながらも相槌をうつ。引き攣りすぎて頬がぴくぴくしているわ
「そんなことはありませんよ。お褒めくださりありがとうございます」
そんな定型文をここにきてから3分に一回は口にしている気がする。
もう帰りたい。
帰らせてほしい。もういっそ王妃様に御挨拶したら帰ろう。体調が思わしくないので~って帰ろう。お母さまたちもなにも言うまい。
そう決心したのは30秒前
なのに、今日は厄日らしくて…
「リズビア、よく来てくれましたね」
満面の笑み。気品あふれる顔立ちの整った少年が柔らかな声で言葉をかけてくる。
その声に、人に女の子は振り向き頬を染めうっとりとしたため息をつく。私にとっては死刑宣告。
数秒前まで私に向けられた視線は好機の眼差し。しかし、彼に名前を呼ばれた瞬間から視線は敵意むき出しに早変わり。
「………ごきげんよう、殿下」
絞りだした挨拶に殿下が笑みを深める。え、逃げ出したい。悪魔が笑ってるわ
ここで走り出さなかったことを褒めてほしいななんて思った私は間違ってないと思うんだよね。
―――この時点で私の表情は死にました。
で、終われるはずもない。あぁ、胃がキリキリする。
「今日は母の誕生日パーティーに来てくれてありがとう。僕が手紙を出して正解だったかな」
金髪の柔らかな髪が風になびく。
「わざわざ殿下からお手紙を頂けまして光栄でございます」
強調しないでいただきたい。妬みの種を生むな。
ドレスの裾をつまんで礼をとり、顔を上げれば、至近距離に殿下の顔があって……恐怖なんだけど
スッと手を握られ、さも当然といったように私の隣に並び歩み始めた殿下の行動に出てきた言葉は「は?」だった。
いやいやいや、何やってんの?頭大丈夫?手、放して????
周りの貴族のお嬢様方からの嫉妬と羨望の眼差しが背中にめっちゃ刺さってる!!え、やめてください。私まだ死にたくないです。
頭の中は大混乱
「で、で、殿下!!お手を」
「殿下の前にではつかないよ」
そこじゃない!!
「お手をお放しください!手を繋がなくとも逃げませんから」
「ふ~ん。人前でなければ手を繋いでいいんだね?周りに人がいると恥ずかしい?」
「そう言う問題じゃ—」
不意にぐっと顔を近づけられ、耳元に殿下の吐息が聞こえる。
「俺から逃げようとかいい度胸だな」
「―っ!!」
さっきまでの声音よりも低い声音で囁かれ、背筋がゾワリと粟立つ。
咄嗟に殿下を押しのけるように距離をとれば先ほどまでの声色で「少し意地悪だったかな?」なんて言い放つ。
全然意地悪だとか思ってないくせによくもいけしゃあしゃあと嘘をつけるものだ。
周りのご令嬢は頬を染めている。
いや、助けて。この悪魔から私を助けていただきたい。
そんな願いは虚しく殿下に手を掴まれたまま、ずんずんと会場の奥へ向かう。
え、怖い怖い
「で、殿下いったいどこへ行くのですか?」
「母上のところに。まだリズビアは挨拶していないだろう?」
確かに王妃殿下にお祝いの御挨拶を申し上げてはいない。
帰るまでにはご挨拶しなきゃだけどそれは家族でもう少し後だったはずなんですよ。予定時間的に
「あ、あの御挨拶はもう少し後で家族そろって行う予定なんですが」
「僕のいうことが聞けないの?」
訳:黙って従え
「…」
この人怖いよ。シルビアとさえ婚約して欲しくないんだけど。は!もういっそガーナ公爵家からの王太子妃候補者選出は来期に見送りで良くないかしら?
それがいいわ
そうしたら、私も殺されることなく過ごせるし、シルビアも幸せになれると思うの。
こんな怖い人と結婚とかどんな嫌がらせなんだろうって話だし、四大公爵家の順番は絶対ではないものね。あ、私天才かな?
「急に静かになったと思ったらまた婚約者候補から外れるように考えてるの?」
ビクッ!
なぜ分かるの?え、怖い。考えてることまで言えてるの??
殿下は呆れたようにため息を吐きだす。
「顔に書いてる」
…。表情に出ていたのか。つい最近エリオットたちには褒められたはず?ん?褒められてたよね?それが、裏目に出てしまったらしい。なんてことだ。
「諦める気はないのか?」
「諦めると思ってたんですか?」
「普通の令嬢なら泣いて喜ぶんじゃないのか?今のリズビアの立場は」
そうですね。そうかもしれない。
でも私は違う意味で泣きそう。恐怖という名の涙がこぼれるわ
と、言うかなんで…
「名前で呼ばれるのですか?」
「ん?」
「なぜ私の名前を呼び捨てで呼ぶのですかと」
私の記憶が間違ってなければ前までは『リズビア嬢』だったはず
いつの間に呼び捨てになっていたんだ。
呼び捨ては貴族であれば仲の良い友人間で使用されるのが一般的。あとは家族や婚約者が使う。家族間や恋人間であれば大体愛称呼びをするのがこの国の貴族の文化でもある。
故に○○嬢、○○様だと敬称がついているため適度な距離感を保っている証拠にもなる。
なのに、殿下はずっと呼び捨てにしている。私の名を
王太子妃有力候補の名を呼び捨てにする。それが刺す意味を理解できない貴族なんているはずがない。
「リズビアが逃げないようにするためかな?あと、それほど気にしなくてもかまわないんじゃないか。僕たちは良好な友人関係を築いているのだから」
「…は?逃げ、え?逃げない為って言いました?」
「あぁ」
あれ?私この人と距離置きたくて自分の想いを大暴露して確かに友人ポジションに半強制で収まったよ。でもさ、私王太子妃になんてなりたくないって言ったよね。
それなのに逃げない為って何?
ちょっと何言っているかわっかんない。
この人本当に人の話聞いてたのか?聞いてなかった?嫌がらせ?絶対嫌がらせだよね。
誰がこんな王太子を好きになるのだろう。
すっごい嫌な奴すぎてかつての自分が馬鹿みたいだ。
「殿下ってすっごい嫌な人ですね」
「今更だろう?」
整った顔で誇らしげにおっしゃられているけど、それ誇ることじゃないですから。
久しぶりの王太子登場~
着実に外堀梅にかかるあたり怖さが溢れてるよね(彼はまだ6歳です)




