歪みは生まれ
名もない誰かの視点→どこかの貴族の視点 です。
少し残酷な表現が出てくるかもしれません。
華鏡祭一か月前
ガチャガチャと金属が鳴る薄暗い廊下を両側、前後に剣を携えた男たちに囲まれてとある部屋へと歩み進める。屋敷の中に灯りはあれど、雰囲気は暗い。
真っ暗な夜闇の中にその灯りはとても頼りなく揺れている。
重厚な扉の前にたどり着けば前にいた護衛が何か呟くと内側からその扉はあけられる。
室内は真っ暗で何も見えなかった。
ただ正面にふわりふわりと大きな布が風を受けて揺れ動いていることだけが分かる程度。そこに何人いるのか、誰がいるのかはわからない。いや、分からないようにしているのか…。
「それがいきのいいものなの?」
あどけない声が淡々と室内に響く。
「はい。これが一番良いかと思います」
「そう」
前にいたであろう護衛が質問に答える。
いきがいい。それが何を指しているかわからないほど馬鹿じゃない。
俺たちの置かれた状況は決して幸せなんかじゃない。口答えをすれば殴られ、じっとしていれば蹴られ、仕事という名の労働が遅ければ飯は与えられず、汚れまみれの薄汚れた存在。
それでも、生きるためには仕方がないことだった。
外は大人が子供を平気で売る。
捨てる。
ごみのように。
買われているだけでも御の字であることは身をもって知っている。
買われた先が悪ければ貴族の快楽道具として殺される。女なら薬づけにされて弄ばれて壊されて終わる。
まだ、ましなんだ。
ぎりっと音をたて、握った手のひらに爪が食い込む。
灯りがあれば商品のくせにとかで殴られていたかもしれないが、幸いにもここは暗闇。ばれることはない。
「ねエ、あなた何番なの?」
「……937です」
「937番ね。あなたは今までどんなことをしてきたの?」
「荷下ろしや人体実験の被験者、盗みをしました」
「へ~、人体実験の被験者…。後遺症は?」
「とくには」
人体実験はいろいろある。良薬の実験体であったり、人を狂わす薬であったり、内臓に関するものだったり…
俺は運よく良薬の実験体を引けた。
これが違う薬であったのなら…あいつらみたいに廃人になるのだろう。
目を瞑れば思い起こされるのは口を開け、よだれをたらし、うつろな瞳でどこかを見る。人に蹴られても何も感じず意思も示さない。唐突にキレて叫び殴られ死んでいく哀れなごみ。
「運がいいのね」
ハッとして思考の海から抜け出す。
「今日も運がいい。あなたはこれからここではないところで過ごすんだもの」
「ここではない?」
それはつまり―
「脱出者ってことね。しかも違反者ではなく正規の方だからここを出るまでに殺したりはしないわ」
脱出者…俺が…
「その代わり、条件があるの」
「条件ですか」
声が震えて上ずる。
「そう、条件。あなたはこれから王都に行くの。王都では好きにしていいわ。ただし、どこかの貴族の使用人になりなさい」
「え、し、使用人ですか?」
学がなく卑しい身分の自分を雇う貴族なんているのだろうか?
よくてここと同じ状況、いや、ここよりひどい場合もあるだろう。
これは新手の娯楽なのだろうか。
「貴族の階級は問わない。使用人になって信頼を得てそばに使えられる立場になれば上々。そうでなくても貴族と直接言葉を交わす立ち位置なら何でもいいわ」
ゴクリと生唾を嚥下する。
「猶予は5年ね。5年の月日を与えてあげるわ。うまくいけばその後も私たちが干渉はしない。ただ…5年以内にその立ち位置に入れないのならお前は実験体として終わることね」
それがなんの実験体であるかなんて言わなくてもわかる。
俺が嫌悪を抱く方の実験体だ。
「5年間に王都を離れようとしたらその時点で首と胴体はおさらば。監視はずっとつけておくからくれぐれもはしゃぎすぎないでね」
監視のもとの自由。下手な行動をとればすぐにでも殺せるということをわざわざ伝えてくれるなんてお優しいことだ。
「何人かあなたのように試しているんだけどね、全部おじゃんになっちゃって。これだからダメなのよね。卑しい物って」
グシャっと何かが落ちる音が室内に満ちる。
「あ~あ、また駄目になったの?これじゃ駄目ね」
「お手が汚れますからそのままでよろしいかと」
年かさの女の声があどけない女の声に返答する。
「お、れは、5年以内に貴族に取り入って何をすればいいのですか?」
「ふーん、なかなか頭がいいのね。それすらも運が味方する原因かしら?…5年間は貴族側の信頼を得なさい。5年以降にこちらから合図を送ればその貴族を殺しなさい」
「殺すのですか」
俺が?貴族を?そんなことすれば…
「大丈夫よ。何も直接ナイフとかで殺せなんて言ってないわ。こちらが渡したものを使ってばれないように行動すればいいの。そうすればあなたは捕まったりしないわ。その任務が終われば本当にあなたは自由の身。この家紋は一切関与しないわ。どう?素敵でしょう?」
貴族に取り入る猶予は5年。その間に貴族と話せる立ち位置につけばいい。
それは下請けではなく内部の人間にということだろう。その中でうまく5年を過ごせばいい。その後は向こうが関与するまでそのまま平穏に暮らせればそれなりの金銭も貯まるだろう。そうすれば、なんだって出来る。
黙ったまま首を縦に振る。
「それじゃあ、あとはよろしくね」
ジャラリと鎖の音がして、扉側へと引っ張られる。足が少しもつれたが、ほんの少しよろける程度で済んだ。
「それでは我々は―」
「あ、そうだ。名前はケイジュ。お前はこれからケイジュと名乗りなさい」
「わかりました」
重々しい扉が閉まる。
その瞬間、一際大きな風が吹き込み布を捲り上げる。
薄く白い髪が靡くのが目に焼き付いた。
綺麗な白い肌が、髪が、まっすぐと俺を見つめていたから。その瞳の中にあるものを俺は知っている気がした―。
****************
「お嬢様、よろしかったのですか?あれの反応的に使えるとは思いませんが」
年かさの女は少女の機嫌をうかがうように、されど無表情で問う。
「別に使えなくても構わないわ。代わりはいくらでもある。まぁ、いつまでもお父様がお待ちしてくださるだなんて思っていないから、そろそろうまくいく駒を使っていかないと…」
自由になれる術があるごみが嫌いだ。
生きているだけでも感謝しなくてはいけないこの屋敷で、存在を雑に扱われても個体として認知されているだけマシだと思わずにはいられない。
「みんなみんな滅んでしまえばいいのに」
少女は月を見上げて誰にも聞き取れないくらい小さく呟く。
身に纏う衣を赤い、紅い、黒い何かで染め上げながら。
一体どこで、誰が話していたものなのか…。
次回からは華鏡祭2日目です。




