残酷な夢
『リズビア・ガーナ、私は今ここで君との婚約を破棄する』
その声にホールがざわめく。
呼ばれたのは私の名前。
『婚約を破棄って…殿下は正気ですか?』
私は答えていないのに私の声が相手へ勝手に答える。
『正気だよ』
殿下…と呼ばれた彼は綺麗で艶やかな金髪に黄金の瞳がよく似合う整った顔立ちをしている。
服装は白の軍服。金と銀の王家にしか着用を許されない刺繍がふんだんに扱われた特別な軍服に身を包んでいる。
『ガーナ公爵家と王家が交わした婚約を簡単に破棄できるはずがないじゃないですか』
私の視界は愉快そうに細まる。
私は全然愉快じゃないのに勝手に動く。
『君がしてきたご令嬢方への酷いいじめを許すことはできないし、そんなことをする人間が国母にふさわしいとは思えない』
愉快そうに細まっていた視線が声を発した相手に向かう。
少し暗めな緑色の髪を束ね、メガネをかけた知的な男性。
『たかが侯爵家の分際で私と殿下の会話を割かないでいただきたいわ』
『その反応こそが国母にふさわしくないと言ってんだよ』
違う男性が声を発する。
焦げ茶色のツンツン髪に、菫色の釣り目。他の男性よりも男らしく武術に秀でている体格といえる。
『では、いったい誰が国母にふさわしいと宣うのかしら?』
まるで自分以外にふさわしい者などいないといった自信ありげな態度。
自分と自分の心が噛合わない。まるで自分であって自分でないような何かを見せられているようだわ。
…というかここどこ?
私家にいたはずなのに。
しかも婚約者とかいないわよ?だってまだ5歳なのに。
そういえばいつもより視線が高いし…
自分の姿を確認したくて下を見たいのに身体は動かない。
なんなのこれ…
『君よりも彼女×××××が私の婚約者に、この国の将来の国母にふさわしい!!』
―ッッ!
彼女の名前の部分が全く聞き取れないばかりか酷い耳鳴りに襲われる。
『今ここでリズビア・ガーナが私の婚約者ひいては一国の王妃にふさわしいと思う者は名乗り出てみよ』
名乗り出てこいと言われて名乗れるものなんていないのではないだろうか。
だって相手はこの国 (?) の王子なのだから。
『なんで…あの子が…』
自分の口からこぼれた声は王子たちには届かない。
『では、彼女×××××が私の婚約者に、王妃にふさわしいと思う者はその意を示せ!!』
―ッッ!
また、酷い耳鳴りに襲われる。
名の分からない彼女の顔が見たくてもなぜか分からない。ぼやけて映らない。
王子の声に一拍おいてホールは盛大な拍手が溢れかえる。
割れんばかりの賞賛の、賛同の拍手。
『どうしてあんたなんかが!!?』
大きな金切り声とともに視界が揺れる。
声を発したのは私。そして揺れる視界の先には顔の分からない彼女。
手には何かを握りしめて。
殿下が咄嗟に前に出て彼女を庇う。
それでも躊躇なく振り上げられる銀色に光る何か。
ゾッとする。どうしてそんなものを握っているのか疑いたい。
私の手には鋭い刃のナイフが握られていた。
『きゃーーーー!』
ガッッッ!!
誰かの叫び声と鈍い音が耳の奥に響く。
それらが怖くなって目を瞑り、次に見えたのはなぜかホール全体だった。
ズキンと右腕に痛みが走り腕を捻り上げられていることに気づく。
相手は焦げ茶色の男性だった。
『王太子殿下に刃をむけるなどなんて女だ』
冷徹な瞳でメガネの男性が私を見据える。
『どうして!どうして!その女が私の―』
泣き叫ぶのは私だけど私ではない。誰も怪我をしなくてよかった。
安心するとなぜか視界がまどろんでくる。
あぁ、これは夢なのね。
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バシッッ!!!!
盛大な音とともに左頬に激しい痛みが訪れる。
驚いて目を開ければ目の前には大切な家族が私を見下ろす形で立っている。
『この恥知らずが!!なんてことをしてくれたんだ!』
いつも優しい父が激怒し手を握りしめている。
どうして?
『あんたのせいで私は旦那様から離縁を言われたのよ⁈なんであんたのせいで子供を、夫を失わなきゃならないのよ!?』
社交界一の美人として有名なロゼリア姉さまが泣きながら責める。
『私は悪くないわ!あの子が私から全部奪ったのよ!!』
『まだそんなことを言っているのか!お前が×××××にしたことは私達の耳にも届いているんだぞ?!自分がなんてことをしたのか分かっていないのか』
母さまはひたすら泣いている。
レイチェル兄さまは溜息をついて冷めた目で私を見下す。
どうしてそんな顔をするの?
私何もしていないのに。
声にしたくても声は出ない。酷く左頬が痛い。
生唾を飲み込めば鉄の味が広がる。口内を切ってしまったようだ。
段々と家族の声が遠くなる。自分の口からは意にしていない言葉が勝手に紡がれる。
家族が向ける私への憎悪だけは痛いほど伝わる。
優しいはずの家族が向けてくるのは酷い憎悪と嫌悪。ただそれだけ。
夢だったはずなのに妙に痛みはリアルで恐怖が募る。
これはなに?どうして―
『お前は今日限りでガーナ公爵家を出て行きなさい。今後一切我々と関わるな。縁を切る』
「え…?」
ぐわんぐわんと頭が揺れる。
親子の縁を切る?わ、私はなんで勘当されてるの?
何か言いたいのに身体は動かない。
どうして、どうして…
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『私は公爵令嬢なのよ⁈こんなことできるわけないでしょう!』
瞼を持ち上げれば家族の姿はなく、薄汚れた知らない場所にいた。
『あんた元公爵令嬢だか何だか知らんがちゃんと働きな。わがままなんて聞いてやれないよ』
しわくちゃなおばあさんが困ったように声掛ける。
頭には頭巾をかぶっている。手には長いモップを握っていることから何らかの掃除をしていたようだ。
ギャーギャー喚く私に呆れながらもそれでも見捨てようとはしない。きっと優しい人なんだろう。なのに私はそのおばあさんを突き飛ばしてその場から走り去る。
おばあさんに手を伸ばしたかったのに相変わらず身体は言うことを聞かない。
どこかの部屋に入るなり私はぶつぶつと文句を吐き出しながら、簡素なベッドに腰を下ろす。家ではないどこか。そのことから勘当されたのが嘘でないことを悟る。
鈍い痛みがじわじわと胸に広がる。
ガタン
『誰よ、こんな時間に』
扉を開くが誰もいない。
舌打ちをして扉を閉めて部屋に目を向ければいつの間にか知らない人が部屋の真ん中に立っていた。
『あ、あんた誰?不審者なら衛兵に突き出すわよ』
『あははは。僕はウィル殿下直属の影だよ』
黒衣のマントに覆われた彼は無邪気に話す。
影…それは伝言係であったり普段人目につかず主をサポートしたりする者達
『まぁ!ようやく迎えが来たのね!!ずいぶん遅かったわね』
キラリと彼の眼が光る。
その瞳には蔑みの色が浮かび、私の声に反するような落ち着いた声が響く。
『ほんと御めでたいよねぇ。でもあんたの望む迎えではないかな?』
『はい?』
彼はそう言うと腕を横一線に振りかぶる。
自分が何かを言おうとした瞬間喉に気持ち悪い温かさが溢れ、声が出せない。
『ゴフッ』
声の代わりに出たのは真っ赤な液体。
それは妙に温かい。一方で体温が急速に冷えていく。
え?ナニコレ…
『あんたがちゃんと大人しく悔い改めてたら誰も殺しまではしなかっただろうにね~』
ふわりとマントフードを外した青年の姿は月明かりでハッキリくっきりと目に映る。
甘栗色の短髪に黒と白のオッドアイ。
『まぁもう遅いけど』
その言葉を最後に私の意識は途切れる。
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そして、目を開ければそこは絢爛豪華なパーティーホール。
『リズビア・ガーナ、私は今ここで君との婚約を破棄する』
断罪の始まりの言葉。
あぁ、また繰り返すのだろうかこのやり取りを。
何度も同じやり取り。私を蔑む殿下をはじめとする生徒たち。嫌悪と罵詈雑言を吐く家族。私を殺しにやってくる暗殺者。
どうして繰り返すのかも何故動けないのに痛みや恐怖はとても生々しいのかも分からない。けれど一つだけ言えるのはこれが決して夢ではないということ。
夢なんて簡単に終わらせていいものではないことだけは分かる。
心は泣いている。もうずっとやめてと泣き叫んでいるのに…誰も私を助けてなんてくれないのだ。