九話「襲撃」
部屋の隅で膝を抱えたまま迎える朝。
どうしようもないほどに寝不足だったが、零児は無理やりその体を動かし朝食を作る。
宮野は未だ、リビングに敷いた布団の上で爆睡しており、起きる気配はない。
(これ結構きついな)
痛む腰を擦りながら、目玉焼きを作る。
昨晩、まさか一枚しかない布団で男女二人が寝るわけにもいかず、冬用の毛布一枚を被って部屋の隅で縮こまっていた。
(次は風呂で寝るか? 案外広いし行けるかも)
「って落ち着け俺。風呂は寝るとこじゃねぇ」
一人ボケツッコミをしながら、慣れた手つきで目玉焼きを二つ作ると、一つを皿に移しラップを掛ける。
(起きた時に食べるかな)
米と目玉焼きだけの簡素な朝食だが、まるで食欲が湧かない零児にはちょうど良かった。
「いただきます」
目玉焼きを直接茶碗に載せ、その上から醤油をかけて一気にかき込む。
瞬く間に食べ終えると、歯だけ磨き、髪などはボサボサのまま部屋を飛び出した。
バス停には早朝にも関わらず、既に多くの生徒が並んでおり、意欲の高さを伺わせる。
その列の先頭、そこに見知った顔があった。
楓だ。
零児には気づいていないらしく、立ったまま文庫を読んでいる。
(話しかけない方が良さそうだな)
そんなスタンスで声をかけないまま、ぼうっとしている時だった。
「おーっす! 零児! 或いはダーリン!」
後続に並ぶ生徒達を無視しながら凛愛がやってきた。
凛愛はさも当然の権利のように列へと割り込んでくる。
「おい、ちゃんと並べ。並んでる人もいるだろ?」
「えー? ダーリンの横じゃないと安心できないなぁ?」
「じゃあ俺も後に並ぶからそれでいいな?」
「いえーす!」
コソコソと噂話されている事実に目を背けながら、列を抜け、最後尾に並び直す。すると列の先頭にいた楓とバッチリと目が合った。
楓はなにやらいやらしい笑みを浮かべると、先頭から一気に零児達がいる最後尾に向かってくる。
(あ、これめんどくさいやつだ)
反射的に察するも、状況は既にどうしようもない。
「おや東堂くん。朝からご機嫌だね」
「これはこれは委員長。なぜ後ろまで?」
「なに、転校生が心配でね。なにか不都合でもあったかな?」
本をカバンの中にしまいながら、楓は不敵に笑ってみせる。すると、凛愛はあからさまに不機嫌な顔を見せた。
「不都合しかねーよ。なんだぁてめぇ?」
(凛愛、キレた!)
ドスの効いた声で凛愛が凄むが、楓は至って冷静なままだった。
「おや、たしか麻葉山凛愛さんだったかな? 入学式以来だね」
「あ? 覚えてねぇなぁ」
「そりゃそうだろうね。なんせそれ以来、一度も来ていないのだから」
(マジかよ!?)
人知れず零児が驚愕していることにも気付かず、徐々に二人はヒートアップしていく。
その時だった。
「やべぇ! 伏せろ!」
凛愛が楓と零児の頭を掴んで、地面へと叩きつける。
「いっでぇ!!!」
零児がそんな声を上げるのと時を同じくして、頭上をなにかが通り過ぎる音がした。
そして通り過ぎた何かは、轟音とともに背後にある民家を容易く粉砕した。
「な、なに!?」
状況を理解できないまま、楓は打ち付けられた頭をさすっている。
「チッ……」
車道を挟んで向かいの道路に黒いローブを着たなにかが、周囲の景色から浮き上がるようにして立っていた。
「なんだアイツは……」
ローブは失敗したと見るや否や、すぐさま踵を返し逃げ出していく。
「追うか!?」
「いや、かえって不利になる可能性が高い。黒野、いや松葉に報告を入れておく」
凛愛はスマートフォンを操作し、松葉へと連絡する。
「……何が起こってるんだ?」
唯一、無関係なはずの楓が呆然としながら天を仰いでいると
「教えて……あげるよ……」
少年の声が聞こえた。
辺りを見回すが、声の主と見られる者は見当たらない。
「空耳か……?」
その声がもう一度聞こえることはなかった。
「あの人も……いいな」
少年は小さく笑う。目線の先には楓の姿があった。
「それに兄さんも見つけられたし、預言者まで付いてる。これはついてるな……」
目の前で跪くローブを一瞥もせず、少年は立ち上がり、手を広げた。
「決めた……あの子に決めた……君はもう要らないよ」
少年はローブの首元に手を当てると、容易くその首を握りつぶした。
おびただしい程の血が流れ、どんどんと血の池を作っていく。
「学校に……行こう……」
休校になるかとも思われたが、早朝の一件は事故として処理され、授業は平常通りに行われた。
そして迎える昼休み。
学生達や講師たちの専らの話題はやはり、その事故だった。
「なんか弾みたいなのが見えたんだよね」
「あれ、麻葉山さんを狙ってなかった?」
「いやぁ、東堂くんじゃない? よく考えたらこの時期に転校って言うのも変だし。絶対何かあるよ」
教室の中にいると、噂話が嫌でも耳に入る。
何とも言えない心境で凛愛の方を見ると、凛愛はどこ吹く風とばかりに持ち込んだ少女漫画を読みふけっていた。
「強いな、凛愛は」
「弱いねぇ、零児は。んなもん気にしてちゃつまんねぇぜー?」
「かもな」
(そんなに簡単に強くなれるなら苦労しねぇよ)
内心で愚痴を零しながら、零児は教室内を見渡す。
誰もがヒソヒソと、こちらに気づかれないように話している。
(あれ?)
楓がいない。
凛愛じゃあるまいし、授業をサボるような口にも見えない。
「なあ凛愛、楓知らないか?」
「あぁ?」
「うん、知らないね。もう聞かない」
即座に引き下がってなにもなかったことにする。
(パンでも買いに行ったのか? パン買いに行きがてら探してみるかな)
零児がパンを買いに立ち上がるが、凛愛は依然として少女漫画を読み続けている。
「そういや、昼飯はいいのか?」
「ん? あぁ松葉が作ったやつがあるぞ。ダーリンの分もな」
鞄から大きめの包を二つ取り出す。
包を解くと、そこには漆で塗られた如何にも高級そうな弁当箱があり、それが三層に重なっていた。
「松葉さんすげぇ!」
開けてみると一段目の中には、所狭しとおかずが敷き詰められていた。里芋の煮っころがしや、海苔の佃煮といった、さながらお婆ちゃんのお弁当のようなラインナップだった。
二段目には主菜、竹輪の甘辛煮や、煮込んだ牛すじ。卵焼きに焼き鮭が入っている。
三段目はご飯だが、ただのご飯では無い。
「そぼろご飯、だと……!?」
二色、鶏肉のそぼろと卵のそぼろ。そして端に添えられた紅しょうが。
彩にも文句はない。
「あとこれもあったな」
凛愛は鞄からさらに水筒を取り出した。
「まさか……!?」
慌ててカップを外し、捻りを回すと、芳醇な味噌汁の香りが辺りへと流れ出た。
「松葉さん……すげぇ……」
「いやー松葉、いやまっさんぱねぇわ。つーかさっさと食おうぜ。授業が始まっちまう」
「あ、ああそうだな」
(直に帰ってくるだろ。そろそろ授業も始まるし)
そう思うことにして、零児は松葉の弁当へと箸を進めた。
しかし楓は授業になっても、次の日を迎えても、その姿を現すことは無かった。