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終末のイフリート  作者: 矢宮暁
日本編
8/13

八話「監視」

 松房学園からバスに乗ること十五分のところに、そのアパートはあった。


 見たところ普通のどこにでもあるようなアパートで、簡易的な階段が一階と二階を繋いでいる。


 零児の部屋は二階奥にあるらしく、見るとそこには「東堂」と表札が飾ってあった。


 部屋には明かりが灯っており、どうやら黒野が言っていた「監視」は予め来ているようだった。


「……」


 零児は警戒しながら、ゆっくりと鍵を差し込み、音がなるべく鳴らないようにドアを開ける。


 すると、なにやら食欲をそそる匂いが鼻先を刺激した。それはほのかに立ち込める、鶏ガラとポン酢の香りだった。


「……鍋?」


 食欲に釣られたかのように、中に入るとそこには見覚えのある顔があった。


「お? 遅かったねー」


「宮野さん!?」


 中では宮野が肉団子をはふはふと頬張っていた。じゅるりと垂れる肉汁がぽとりとポン酢に波紋を作り、静かに広がっていく。


「監視って宮野さんなんですか?」


「らしいねー。作戦があることを言っちゃったのがバレて、懲罰的な意味合いで配属されたんだー。私としては楽ちんだからラッキーですけどねー」


 今度は菜箸で白菜を受け皿へと運ぶ。滴る出汁、ふわりと漂う生姜の匂い。


「さぁさぁ座ってくださいー。鍋食べましょー」


 白菜を噛み締めながら、宮野は置いてあった座布団をポンポンと叩く。


「まぁ、深くは考えないでおこう」


 鞄を適当に放り、ブレザーをハンガーに掛けると零児は座布団の上で胡座をかいた。


「いただきます」


 用意してあった皿に満遍なく、バランスよく具を入れていく。


 白滝やエノキ、先の肉団子に白菜。ポン酢には柚子胡椒が振ってあり、それは出汁から香る生姜とともに鼻腔を突き抜けた。


「宮野さんって料理得意なんですね」


「そこそこ一人暮らし長いからねー。これくらいしか娯楽がないんだよー」


「大変ですねイフリートって」


「まあそうでもないよー。しかしあれだねー」


 宮野はまじまじと零児の顔を見る。


「吹っ切れたー? もしくはなんかいいことでもあったー?」


「わかりません。ただ、なんでしょう……重荷が少しだけ軽くなった感じです」


「そっかー、ふふっ」


 宮野は小さく笑う。笑窪が似合っていた。


「笑うんですね宮野さんも」


「むー? 笑うよー? あんまりは笑わないけどー」


 少しむっとしたようにいつもの無表情に戻る。


「そういえば、黒野さんは宮野さんの上司にあたるんですか?」


「あれ? 黒野さんと仲良くなったのー?」


 宮野は珍しそうにきょとんとしている。余程のことのようだった。


「いや、凛愛……麻葉山さんと直接話したんですけど、その時に色々と」


「麻葉山って、マジでー? マジだとしたらこれ結構やべー」


「やべーですか」


 箸を止めて、宮野は零児に向き直る。


「預言者ってだけでもまず狙われやすい上に、名家の生まれだからねー。噂じゃあ自分に迫る危機だけは虫の知らせみたいなのがあるらしいけどもー」


「じゃあ俺の存在も預言されてたんですか?」


「聞いたことはないねー。多分イレギュラー的な感じだと思うよー。それにどうやら預言にはデメリットもあるみたいだし、おいそれとはできないだろうねー」


(凛愛はバエルの名を知っていた。だとしたら預言されていたはず。しかし、それを宮野さんは知らない訳だから、凛愛は預言を全部教えているわけじゃないらしいな)


 なにか、嫌な予感が零児の背中を駆け上がった。


「そろそろ締めようかー。うどん? 雑炊?」


 宮野が冷蔵庫を漁りながら聞く。


「あ、うどんで」


「私もうどん派だわー」


 乾麺をそのまま鍋に入れ、蓋を被せる。


 ふつふつという音が、蓋の隙間から漏れ出ていた。


「じゃあ、凛愛ちゃんって今松房に通ってるのー?」


「今日の昼過ぎに来ただけなんで、詳しくは分からないです。それとなんか護衛を頼まれまして」


「護衛ねー。黒野さんがいるからいらないと思うけどー」


「それで、彼氏的ななにかを演じてくれと言われまして」


「漫画かよー」


 宮野は呆れたように肩を竦めながら、こまめにうどんの様子を見る。


「まあでも、一週間だけだしなんとかなるよー」


「なりますかね」


「なるなるー。どうしてもって時は連絡してー」


 宮野は手頃な紙に電話番号を書いて零児に渡した。


「ありがとうございます。助かります」


「それよりうどん食べよー? 伸びる前にー」


「そうですね」


 菜箸でうどんを掴み、受け皿へ。


 そして勢いよく啜る。


 モチっとした食感と、スッキリとした喉越しの良さが、もう少し、もう少しと食欲を促した。





「はぁー美味しかったー。満足満足ー」


「鍋はいつ食べてもいいものですね」


「わかるー」


 宮野は冷蔵庫から取り出した棒アイスをデザート代わりに頬張っている。


「あの、宮野さん」


 意を決したかのように、零児は声をかけた。


「なにー?」


「お帰りにならないんですか?」


 宮野は食べ終えたアイスの棒を咥えながら、首だけで振り向いた。


「私は監視だからー、四六時中いるよー」


「寝る時も?」


「おはようからおやすみまでー」


 嫌な汗が一斉に噴き出した。


「それはちょっと……申し訳ないと言いますか、精神衛生上宜しくないと言いますか……」


「まー、監視とはいえ私もどうかとは思うけどねー。思春期男子と一つ屋根の下なんて危ないしー」


「で、ですよね!」


 零児は顔を赤くしながら必死に頷く。


 その健全な反応を見た宮野は、またも小さく笑窪を作った。


「けどー大丈夫っぽいねー。これなら安心して監視出来そー」


「いやいや、ダメでしょ!? 色々と!」


「黒野さんに文句言われるの嫌なんですよー」


「うわ言った! 正直に言いやがった!」


「大丈夫だってー、あんまり断られるとちょっとだけ傷つくなー」


 零児はわざとらしく咳こんで、気まずさを誤魔化した。


「それでもダメでしょう。俺としては別にどちらでもいいんです。でも、宮野さんは一人の女性なんですから」


「……」


 宮野は無言で俯く。その頬はほのかに紅潮しているようだった。


「すいません……顔、洗ってきます」


「まって」


 席を外そうとした零児を宮野が呼び止める。


「……ありがと。でも監視は任務だし、仕事だからやり遂げるよー」


「わかりました」


 それだけ言うと、零児はそそくさと洗面所に向かう。


 少しだけ振り向くと、宮野は窓の方をぼうっと眺めており、その表情は分からなかった。





「おじさん……そう……預言者がいるんだ……それに魔獣バエル……? そっか……おじさんたちがバエル兄さんを……」


 暗闇の中、少年は黒スーツの男一一黒野に一方的に会話する。


 黒野の目に光はなく、口からは涎が垂れ、もはや意識すら存在していないようだったら。


「魔獣どもが……私の娘を……」


 うわごとのように、ただそれだけを黒野は繰り返す。


「おじさん……可哀想だね……僕が助けてあげるよ……だからもっと教えて……?」


「預言者……に……戦闘能力……ない……襲うなら一人の時……」


「どこにいるの……?」


 胡乱なまま、黒野は続ける。


「松房学園……2-A……バエルと共に……」


 少年は少しだけ驚いたような表情を浮かべ、さらに『それ』を強めた。


 すると、黒野は


「ああああ……」


 身をよじるような快楽に悶える声を上げながら、やがて完全に意識を失った。


「中々の偶然……もしくは預言を元に……動いてるのかな……だったら厄介……もっとじっくり仕込まないと……」


 少年は用意してあったブレザー型の制服に身を包む。


「待っててね……バエル兄さん……」


 暗闇で、快楽は蠢動する。

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