四話「バケモノ」
目を覚ますとそこは病室だった。部屋中が薬品臭く、調度品やベッドがやたらと白い。一応窓らしきものはあるが、雨戸が張られており外の様子は伺えなかった。
「頭痛てぇ……」
やけに痛む頭を抑えながら、零児は起き上がる。
頭痛を除けば体に不調はないようで、身体はピンピンしていた。
「なんか忘れてるような……?」
無理やり頭を稼働させて思い出す。
徐々に、薄らと記憶は浮き上がる。
パイモンが撤退した後、窓に赤い血が見えて、それがやけに気になって、校舎の中に入ってそれで一一
殺意。
紗彩の、蓮の、セリナの、見知らぬイフリートの殺意が迫る。じわりと、喉元に冷たい刃が突きつけられる感覚。
それはどうしようもないほどの恐怖を伴って、零児の心を突き刺した。
「そうだ……俺は……」
掌で顔を覆う。
涙と鼻水がとめどなく流れ、冷たい汗は滝のように背中を滴った。
「俺はなんだ……? 人じゃないのか……?」
魔素受容体はない。これは一種の障害だと言われていたが、もしかしたら零児が人間でないことの証明なのかもしれない。
「じゃあ俺は、人じゃないのだとしたらなんだ?」
『僕は空間魔獣パイモン』
零児のことを兄だと言っていたパイモンは、自分を魔獣だと名乗った。
つまりそれは、パイモンが弟であるとするならば、零児は一一
「魔獣、なのか?」
否定したいが、どうしても出来ない。
妙な確信が胸中で渦巻いているからだ。
魔獣それはつまり、両親の仇であり、それを果たすために零児はイフリートを目指していた。
しかし、零児はイフリートになれないばかりか、魔獣なのかもしれない。
仇を打とうと意気込んでいたが、実際は自分自身が仇だった。
その現実は残酷なまでに零児を苛んだ。
「ふざけんなよ……そんなの認められるわけねぇだろ……」
そう零しながら壁を思い切り殴りつける。
赤い血が僅かに散り、情けなさがこみ上げてくる。
「どうすりゃいいんだよ……」
その時、おもむろに病室のドアが開かれた。
そこに立っていたのは、黒いスーツに身を包んだ初老の男だった。片手に黒い革製の鞄を下げ、その目に感情の色は見えない。
「東堂零児だな?」
低く、しっかりとした声、それは零児に有無を言わせない。
「はい」
「君には現在、大量殺人の容疑がかかっている」
男は平然と言ってのける。やはりそこには感情は存在しない。
「世界初の人型魔獣、ケース『レイジ』既に君には人として有する最低限度の権利が存在しないことを理解して貰いたい。いや、理解しろバケモノめ」
「俺は……俺は……人間で……」
消え入るような声を無理やり絞り出すが、男はまるで聞こえもしないとばかりに続ける。
「本来なら死刑、しかも人としての死ではなく、魔獣としての死を与えるところだが、安心したまえ。我々に協力するならば君を殺さないでやろう」
「質問……いいですか?」
「君に権利が存在しないと言ったのを、もう忘れたのかね? だが我々は寛大だ。聞こう、何が気になる?」
機械的な表情のまま、男は尊大に尋ねる。
「なんでイフリートが中々来なかったんです……? もっと早く来ていればこんなことには……」
すると男は初めて、人間らしい表情を浮かべた。
怒りだ。
「昨日のことだ、市内の駐留所の中に大量に魔獣が出現し、イフリートや職員たちは魔装を展開するまでもなく全員殺されたらしい。私を除いてな」
男は拳を握りしめる。
爪が食い込み、そこからは血が滴っていた。
「私が出張から帰ってきたときの地獄がっ! 同僚や後輩、仰いでいた先輩までもをっ! 無残に! 凄惨に! 残酷に! それが、魔獣の貴様に分かるというのかァ!」
男は咳払いを一つ入れ、再びその表情を殺す。
「生き残ったのは、私と同じように出張に出かけていた者と、巡回に行っていたものだけだ。私が本部に連絡を入れた時には全てが遅かった」
男は死んだ顔のまま涙を流した。
「娘が通っていたんだ。あの学校にはな。明るい子でなぁ、友達もたくさんだったさ。だが死んだ。貴様ら魔獣のせいで死んだ。大方、先に手下でイフリートを潰し、学校を貴様が襲うという算段だったのだろう」
「違う俺は……」
「なんだ? 人間だとでも言うつもりか?」
「……」
何も、言えない。何も返せない。
「協力するのか? しないのか? 早く選べ、バケモノめ。」
「……分かった、協力する。何をすればいい?」
男は鞄からスマートフォンを取り出し、雑に投げつけた。
「仕事の時はそれに連絡する。そのときに内容も説明する。少しでも怪しい動きをしてみろ。我々には君の妹を殺す覚悟がある」
「やめろ! それだけは!」
「なら一色セリナを、久我蓮を殺そう。たしか親交があったな? 彼女たちも魔獣ということにすれば、法律なんていくらでも無視できる」
「頼む……やめてくれ……何だって協力する……だからそれだけは……」
声を震わせながら、零児は懇願する。
男はそれを虫けらでも見るような目で嘲りつつ、踵を返した。
「いい顔になったじゃないか。バケモノめ」
男が去った病室には虚無が独りでに反響している。
ベッドの上で零児は独りうなだれていた。
いつの間にか人を辞め、いつの間にか大量殺人者になり、いつの間にか人質を取られている。
「もう訳わかんねぇよ……」
顔を覆いながら呟く零児。
「いやぁ、なかなかにヘビーな現場に出くわした系ですねー」
その隣にいつの間にか女がいた。
気配はなく、それこそ今来たかのように。
「私のこと覚えてますー? 校舎でやり合ってたはずなんですけどー」
「えぇ、確か宮野さんですよね?」
「そうですそうです。いい記憶力してますねー」
「トラウマですから」
皮肉げに零児は返すが、宮野はどこ吹く風とばかりに受け流した。
「で、今日来た理由なんですけどねー、挨拶しとこうと思ってぇー」
「挨拶?」
「今度、大規模な作戦があるらしいんですけど、そこで君を実戦投入するらしいんですよー私たちのチームメンバーとしてー」
「そうですか」
そう呟くと零児は布団の中に潜り込んで、宮野に背を向けた。
「むー? 反応薄いですねー? なんででしょー?」
「……」
「あー、さては『もはや自分がどう扱われてもいい』みたいな感じの自暴自棄ってますねー?」
宮野はとぼけたように腕を組みながら続ける。
「それってぇ、慰めてくれる人を待ってるんですよねー? 可哀想だねーって、同情するよーって。それって最高最悪にダサいですねー」
「……だったらどうしろって言うんです。俺みたいなバケモノに」
「君程度をバケモノとよぶならー、松葉さんとかなんなんですかねー? それこそ魔獣かも知れませんねー」
宮野はマイペースな表情の中に、確かな意思を持っていた。
「私だって何回もバケモノって呼ばれましたよーなんせ天才でしたからねー、でもー自分で自分をバケモノなんて思ったことは一度もないですねー、思い上がりもいいとこですよー」
「俺のも思い上がりってことですか?」
「自分でバケモノって思わない限り、少なくとも一人の人間じゃないんですかー?」
宮野はそう言って微かに笑ってみせる。
「以上、松葉さんからの伝言でしたー、それではまた今度ー」
魔装を構築し、やがて『転移』で宮野はその姿を消した。
「バケモノと思わない限りは人間、か……」
零児は掌を見つめる。
何となく、今出来ること、やるべき事が見えたような、そんな気がした。