三話「救出」
紗彩は夢を見ていた。
それは幼き日の景色。暑い夏の日のことだった。
両親を失い、多額の保険金と両親が残していた貯金を切り崩しながら送る灰色の日々。一応、兄がいつも面倒を見てくれていたが、紗彩としては放って置いて欲しかった。
その日、いつも通り学校から帰っていると、ふとアイスクリームの屋台が目に入った。他の同級生達がお小遣いを握りしめて屋台へと走る。
紗彩が見て見ぬふりして、帰ろうとすると
「アイス食べたいなぁ」
そんな声と共に兄が後ろからやって来た。
随分とわざとらしい演技で、やたらとアイスを食べたがる兄。
うち、お金ないからいいよ。帰ろう?
紗彩がそう言うのも無視して兄は財布に手をかける。
「よーし! いっぱい食うぞ! 2個いっちゃうぞ!」
そして兄は棒アイスを二つ買ってくると、一つを美味しそうに頬張り、やがて頭を抑えた。
「ごめん、 ちょっと手伝ってくれよ。アイスはそこまでたくさん食べれないことを思い知ったよ」
そう言ってもう一つのアイスを差し出す。
それは紗彩の好きなイチゴ味だった。
そのイチゴアイスの味を紗彩は今も尚、鮮明に思い出せる。
それほどに、嬉しかったのだ。
「お兄ちゃん!」
紗彩が飛び起きる。慌てて周囲を確認するが、魔獣の姿はどこにも無かった。傍らでは蓮とセリナが倒れているが、幸い息はあるようで、単に気を失っているだけの様だった。
「良かったぁ……」
ほっと胸を撫で下ろしていると、校舎の中からふと音が聞こえた。
ガシャン……ガシャン……
それはなにか、重いものが移動するような、そんな音だった。
「なにか居るの?」
音につられて、紗彩は校舎の中へと入って行く。
そして目にしてしまった。
「オェェ……ゴェェ……」
思わず紗彩は吐き出してしまう。それほどの惨状だった。
鮮血に染められた壁、廊下のあちこちには腕や足、眼球などが無造作に転がっている。照明は割られており、曇天が生む薄暗闇と相まって、昼間とは思えない程の暗さが廊下を包んでいる。
そしてその奥になにかが居る。
間違いなく人ではない。
「誰か、居るんですか?」
紗彩は声をかける。すると、『なにか』は振り返った。
それは鎧だった。
黒く禍々しく、近寄るものの一切を拒絶するかのような外見をしている。その身は何やらてらてらとした黒い液体で濡れており、それがより一層に不気味さを助長していた。
鎧は紗彩に手を伸ばす。
動きは緩慢で、攻撃の意思は見られないようだった。
鎧は重い足取りで、一歩一歩少しずつ紗彩ににじり寄っていく。
「こ、来ないで下さい!」
悲鳴を上げながら、紗彩は訓練用の小太刀型魔装を構築する。魔力の粒子が集まり、その形を創り出していく。
通常、魔術を使用するには魔装を展開している必要がある。それは、戦いながら魔力を構成することが極めて高い難易度であることに起因している。
「ガァァ……」
魔獣は低く呻き声上げながら動きを止め、その場に座り込んだ。そこに戦闘意欲は見られなかったが、紗彩の方はそうではない。
(これなら私にだって!)
紗彩は魔力を高め、第一準位魔術『導きの風』を発動し、それを足に纏わせるとそのまま弾丸のように、鎧へと突っ込んだ。
構えた小太刀が鎧と接触し、そして一一
キィン! という快音と共に魔装は高くはねあげられた。
「それなら!」
弾き飛ばされた魔装を拾い直し、次に紗彩は第一準位魔術『指し示す炎』で鎧の身体を焼く。しかし、それも一切ダメージにはなっていないようで、鎧はその場で座り込み項垂れているままだ。
「紗彩ちゃん! 下がって!」
次の手を練りながら次々と炎を生み出していると、後ろから声がかかる。その声の主は蓮だった。
蓮は訓練用魔装に『指し示す炎』を纏わせ、それを『導きの風』で強化する。そして、小太刀を逆手に持ち替えると、宙を回転しながら連続で鎧を切りつけた。
鎧は少しはたじろいぐも、大きなダメージにはなっていないようで、蓮は一度飛び退いて紗彩の元へ合流した。
「やけに硬いな。どうするよ?」
「どうも……はぁ……こうもないでしょ……」
息を切らしながら、セリナもそこに遅れて到着した。
「遅いぞ?」
「蓮が早すぎるのよ……」
ゼェゼェと肩で息をしながら、セリナも魔装を展開していく。
そして発動する魔術は、二人のものとは異なっていた。
「第四準位魔術、『重力の槌』!」
鎧を中心に地面が陥没していく。巻き上げられた塵煙も局所的にかかる超重力に逆らえず、煙一つ立たない。
鎧はその手を伸ばすが、やむなくそれも地面に叩きつけられる。
「ガァァ……」
鎧が苦悶の声を上げ、対照的に三人は笑みを浮かべた。
「今のうちに応援呼んで! 長くは持たないわ!」
紗彩は慌ててスマートフォンを操作し、市内の駐留所に連絡を入れる。しかし受話器が上げられることはなく、虚しいコール音がなるばかりだった。
「繋がらない……!?」
「そんなはずは……」
蓮も慌てて電話をかけるが、やはり誰も出ない。
絶えず『重力の槌』をかけ続けるセリナの額に、玉のような汗が滲む。息も荒く、足元もふらつき始めている。
「だったら逃げるしかないわね……悪いけど蓮、私を運んでくれる?」
「ああ、逃げ切れるかは期待するなよ?」
「そんときゃ一緒よ」
真面目に言ってのけるセリナ。鼻を擦りながら笑う蓮。それにつられて紗彩も笑みを浮かべた。
「私があと十秒したら、『重力の槌』を解く。そしたら全力で走る、以上! そんだけ! 異論は?」
「無いね。紗彩ちゃんは?」
「ありません!」
セリナは満足そうに頷くと、そのカウントを始めた。
「十、九、八、七、六、五、四、三、二、一……」
ゼロ。
その刹那だった。
「大丈夫かい! いや、僕がここにいる限り間違いなく大丈夫だ!」
二人の男女が鎧と紗彩達との間に入った。
男性は大柄で赤髪、女性は小柄で黒髪だ。服は白い制服、そしてそれは彼らが特級イフリートであることを示していた。
「僕は松葉カイ! 正義のイフリートさ!」
「私はツレの宮野ゆうです。多分正義のイフリートですー」
松葉と宮野は鎧に向き直り、同時に魔装を形成していく。
松葉は背丈を超えるほどの大剣を、宮野は短刀を二本創り出した。
「それじゃあ行くよ! ゆうちゃん!」
「了解ですー」
まず切り込んだのは松葉だった。
大剣を胴に一閃。そして駆け抜けると、反対側の壁を蹴って自身の速度を上げながら再び胴を薙いだ。
鎧が躱そうと身をよじったタイミングで、宮野はゼロ距離まで詰めると、鎧に魔装を突き刺した。二本、ではなく無数に、おびただしい程の数をだ。
「第八準位魔術『爆雷』」
再び距離を取りながら、魔術障壁を展開。それと時を同じくして魔装が爆発、やがてその衝撃がやってきた。
ゴォォォ!!!
「うーん。やっぱりいい火力してますねーこれ」
煙で鎧の姿を確認出来ないが、宮野は満足そうに一笑した。
「まだだ! ゆうちゃん!」
次第に晴れていく煙。そこには傷一つない鎧の姿があった。
「わーお。マジですかー?」
宮野が驚きながら苦笑いを零す。
「仕方ない。ゆうちゃん、アレを使う!」
意を決したように松葉は剣を下段に構えた。
「あーやばいですね。皆さん私の後に隠れてください」
宮野が松葉の異変を察知して全力の魔力障壁を展開する。三人は訳も分からぬまま、慌ててその後ろに隠れた。
「第十三準位魔術『蒼炎』」
大剣を蒼く眩い焔が絡みつき、やがて大剣を覆い尽くしていく。あまりの熱量故に、触れた端から瓦礫は溶けだしていった。
立っている場所さえ覚束無くなった頃、松葉は蒼炎を纏った大剣を大上段に構えやがて一一
「超ウルトラアルティメット必殺! 『炎王の裁き』!」
口上と共にそれを振り下ろした。
迫る熱波、走る衝撃。融解した瓦礫達が水滴のように飛び散り、赤い地獄を伝播させていく。
自生していた雑草たちや、植えられた銀杏の木なども等しく燃え、やがて灰燼へとその姿を変える。
「これなら一一」
熱風で不明瞭な視界に目を凝らしながら、松葉は勝利を確信する。
しかし、
「ガァァ……」
鎧の姿は健在だった。
ダメージは通っているようだったが、それでも致命傷には至っていない。その証拠に鎧はまだ、その強靭な足腰で大地を踏みしめていた。
魔力障壁越しに、マイペースな宮野でさえも驚愕の色を隠せない。
「……マジですかー?」
紗彩達も同様に絶望の表情を浮かべていた。
そのときだった。
鎧の指先が仄かに明滅を始めたのだ。それは徐々に全身へと広がっていき、やがて鎧の中身を晒していく。
中身それは、青年だった。
そして紗彩は、蓮は、セリナはそれが誰かを知っていた。
「……お兄ちゃん?」
意識を失って倒れゆく、青年一一零児を松葉が受け止める。
「一体、何が起こっているんだ……?」
状況を理解できないままに、松葉は零児をおぶさる。
「済まない、彼を病院に連れていきたい。ゆうちゃん、転移頼めるかい?」
「了解。皆さんは途中で降ろしますね、まさか溶岩の中に置いていくわけにも行きませんし」
そう言うと、宮野は魔力を構築していき
「第十三準位魔術『転移』」
眩い光が一同を包み、そして次の瞬間には校門の前に居た。
「じゃ、皆さんはこのまま帰宅してくださいね。このあとのことはうちらに任せて下さい」
零児を負ぶさった松葉と宮野だけを光が包み、やがてその姿を消した。
「お兄ちゃん……」
紗彩が笑っているような顔で涙を流す。壊れたようなその顔は悲惨なものだった。
蓮とセリナも表情を失っている。
自分の命が助かった。
その事を喜ぶものは誰一人いなかった。