十三話「六月第二週土曜日、その2」
「いやー僕これバレたら減棒だと思うんだけど」
零児と凛愛を載せ、松葉は車を走らせる。
意識せずに、こめかみには冷や汗が浮かんでいた。
「あぁ? 零児を案内した段階で減棒確定だぞ?」
「はは……」
(松葉さん、目が死んでますよ……)
力なく笑う松葉。零児は社会の世知辛さを思い知ったような気がしていた。
「ほんと色々すいません。俺のわがままに付き合ってもらって」
後部座席で零児は小さく頭を下げる。すると松葉は真面目な顔で「それは違う」と否定した。
「僕たちは君のわがままに付き合ってるんじゃない。本来すべき仕事をしているだけだ。そしてそれが偶然君のやりたいことと重なった。それだけさ」
「……それでもありがとうございます」
「んだよ、男同士でいちゃいちゃしやがって。ぶっ殺すぞ?」
やけに凛愛の機嫌が悪い。ずっと窓の外ばかり眺めている。
(俺なんかしたか?)
心当たりはない。ともすれば女性が怒る理由はただ一つ、理不尽である。そしてその対処法、それは
「えっと……なんかごめんな?」
とりあえず謝っておくことだ。
しかし、眼前の凛愛はますます眉を釣り上げ、肩を怒らせる。
「『なんか』とはなんだぁ?」
(逆効果だったか……!)
後悔する零児。松葉は先程までの勇ましさを完全に無かったことにして、我関せずとばかりに無言で車を走らせている。
「なあダーリンさんよぉ? デートつってたよなぁ? なんで松葉もついてきてるんだあ?」
「いやそれって形式的な物だろ? 学校で怪しまれないためだとかそういうのだろ?」
「ぐぬぬ……まあそうだけどよぉ?」
バツが悪そうにそっぽを向く。ほんの少しだけ頬が赤いように見えた。
「と、ところでどこを探すんだい?」
「駅前をまずは探してみようと思います。といっても探知系魔術が使えないので、足を使いますが」
「そうか。僕も探知系は苦手でね。まあ出来ることをやるよ!」
松葉は笑う。しかし次の瞬間、その顔は恐怖に塗り固められた。
「だからさー言ったよねー? 私たちに任せなーって言ったよねー?」
宮野だ。いつの間にか助手席に座っている。
「ゆ、ゆうちゃん!? どうやってここに!?」
「『転移』で来たー」
「はっはは……」
松葉は曖昧に、誤魔化すように笑う。
対して宮野は氷のように無表情だ。
「ねー? 松葉さんー? 言いましたよねー? 多分零児くんがそっちに行くからー、止めるようにってー言いましたよねー?」
(読まれてたのか……)
内心で肝を冷やす零児、ハンドルを握る手がどうしようもなく震える松葉。凛愛は機嫌が悪いまま。この車内において男性の人権はないようなものだった。
「お? 宮野じゃないか。どうかしたのか?」
「どうかしたもないよー、なんで勝手に出ちゃってるんですかー、同伴ありにしてもー国家機密が外出ちゃ駄目でしょー」
宮野は振り向きながら、凛愛を咎める。すると普段ならば文句の一つでも言いそうな凛愛が素直に頭を下げた。
「……ごめんなさい」
「偉いねーいい子いい子ー」
(なんだこれ……何が起こってる?)
宮野が優しく頭を撫でると、凛愛はむず痒そうに身を捩らせた。
「さてー零児くんー、どういうことか説明してもらえるかなー?」
平常の口調で、優しく静かに宮野は問う。
それが途方もなく怖い。
「……なんの弁明もないです」
「やれやれー、まあー素直でよろしー」
宮野は再び松葉に向き直る。
「松葉さんー? 今回はー私が間に合ったからー良かったようなもののー、探知魔術も持たない人がー探索に出かけてーなんの意味がー?」
「い、いやでもほら、足で探すっていうのもね?」
「松葉さんー、言い訳はダサいですよー。最初からー私を呼んでいればー効率がいいのにー」
大きくため息を一つ。
「……最初から誘ってくださいよー。松葉さんになら付いて行きますからー」
頬を赤らめながら、宮野はそう言って俯いた。
「そっか……ありがとう、ゆうちゃん」
松葉も真っ直ぐな瞳のまま微笑む。
何やら前部座席は妙な盛り上がりを見せており、零児と凛愛は完全に置き去りにされていた。
松房学園から最も近い、繁華街は休日であるということもあってか賑わっていた。
ひっきりなしに人が往来し、雑踏が留まる様子はない。
「宮野さん、どうですか?」
その脇にある喫茶店に四人は入っていた。
作戦はまず宮野が探知をかけ、松葉と零児で辺りを探す。それで見つからなければ場所を変え、再度同じことを繰り返すというものだ。
今、宮野が通算十回目にも及ぶ探知を終えたがそれらしい者は見つからなかった。
「もっかい探してきます」
零児に松葉も賛同し、店を出ていく。
人混みに目を凝らし、中にいないか必死に探す。
「楓! いるか!?」
声を張り上げるが、人が避けていくばかりで見つからない。
「いたかい?」
「いや、見つかりません……」
「そうか……」
無力感に打ちひしがれながら俯いていると
「おや、久しぶりじゃないか。兄さん」
後から声が、かかった。
分かる、もう誰が居るのか。この身体中に感じる寒気と悪感。圧倒的な気配。
「……パイモンか」
「大正解」
松葉は気づいていないのか、普通の子どもだと思っているらしい。
「おや? 零児くんの親戚かい?」
松葉はパイモンに目線を合わせ、頭を軽く撫でる。
「うん! 僕ね! 零児お兄ちゃんの従兄弟で波門って言うんだ!」
「波門くんか。僕は松葉カイ、宜しくね」
「よろしく! 松葉お兄ちゃん!」
パイモンは松葉と握手をしている。それは一見、微笑ましい光景だ。
しかし零児にとってそれは、大口を開けた獣の目の前に、自分の腕を突き出しているようにしか見えないのだ。
「……なんで、こんな所にいる?」
低い声で零児はパイモンを威圧する。が、パイモンはどこ吹く風とばかりに松葉と手を繋いだままだ。
「そうそう、兄さん。明日またここに来てくれないかな? 合わせてあげたい人がいるんだ」
「まさか!?」
パイモンはケラケラと笑いながら松葉の手を離し、人混みの中に消えていく。
「期待に添えると思うよ」
何が起こったのか分からない松葉を置いて、そんな声だけが往来の中で反響していた。