十二話「六月第二週土曜日、その1」
今日は休日であるはずなのに、零児はやけに早く目を覚ました。
風呂場という名の寝床で曲がった腰を伸ばしつつ、コーヒーを煎れる。
しかし、やはり落ち着かない。
「……何が出来るんだ俺に」
どこに住んでいるかは聞けば分かるだろうが、今零児や凛愛に協力するような生徒はいないだろう。何より、まだ転入してきて一週間も経っていないのだから、やはり距離感も遠い。
闇雲に学校近辺や繁華街を見回っても、効率はあまり良くないだろう。
「あっつ!」
いつの間にかカップを溢れていたお湯が指にかかり、零児は思わず飛び退いた。
冷蔵庫から氷袋を取り出して、慌てて指先を冷やす。
「……だめだな」
効率とか気にしている場合じゃない。
その辺りは宮野に任せるしかないのだから。
(俺は俺に出来ることをやりきろう。それしか出来ることは無いんだ)
「んー? おや、早いねー」
「あ、すいません。起こしちゃいましたか?」
宮野がのそのそと起き上がってくる。髪はボサボサでなんというか色々と残念な感じだった。
「いやー今日は早めに起きる予定だったからー助かったよー」
ポリポリと頭を掻きながら、大きな欠伸を一つして宮野はフラフラと洗面所へと向かう。
以前、目玉焼きを作って以来、いつの間にか朝食を作るのは零児の仕事になっていた。今日はシンプルにトーストと、レタスのサラダにする予定だった。
パンをトースターに入れ、半玉のレタスを手でもいでいく。包丁で切っても良かったが、何かのテレビ番組でちぎった方が美味しくなるというのを聞いてから、ちぎるようにしていた。
ドレッシングは宮野のお気に入りらしい、紫蘇ドレッシングが常備されておりそれを軽くかけてやる。すると紫蘇独特の香りがツンと鼻先を刺激し、ほのかに寝ぼけた頭を目覚めさせた。
やがてトースターがチンッという快音をたてると、それを白いプレートの上に移し、脇にオレンジマーマレードを添える。
零児は朝といえばコーヒーだったが、宮野はオレンジジュースならしいため、冷蔵庫に入れて冷やしておいたグラスにとくとくと鮮やかな色味のオレンジジュースを注いでいく。
「ん。いい感じだ」
コーヒーを啜り、サラダにフォークを刺して口に運ぶ。シャキッとした食感と爽やかなドレッシングの風味がじんわりと広がっていく。
トーストにマーマレードを塗れば、それは黄金の輝きを以て口内を照らした。
「おー、シンプルながらもいい感じだねー」
あちこちに跳ねていた髪を撫でつけながら、宮野は零児の向かいに座った。
真っ先にオレンジジュースを飲み干し、また注ぐ。それからトーストを勢いよく齧り、そのあとマーマレードを塗っていく。
「今日、どうしますか?」
「んー、私はとりあえず国防省行ってー、色々と動いてみるよー。凛愛ちゃんの意見も聞きたいしねー。零児くんはどうするー?」
「僕は街中とか学校周りとかをひたすら探してみます。怪しい建物とかも含めて」
自分に出来ることはそれくらいだ、と零児はそれに付け加えた。
「零児くんー今日って何曜日?」
「土曜ですけど……」
「学生は休む日だよー。だから今日はゆっくりしてなー?」
「でも俺は……!」
一刻も早く、一秒でも早く楓を助けなければどうなるか。
それは零児が一番よく知っていた。
「大人に任せなー? それとも信用されてなかったりー?」
「そういうわけじゃ……」
「なら任せてくれるねー? 大丈夫ー、私たち、特に特級イフリートは結構暇なんだよー」
宮野はケラケラと笑い、サラダを摘む。
「それでも俺は……」
「零児くん、索敵魔術はー使えますかー? 探知魔術はー? つまり足でまといってことー」
「……クソっ!」
「だから任せなー。私はーその道のプロですよー?」
ここまで言われて零児は引き下がる他なかった。
「分かり……ました……お願いします」
「……任せなー。悔いてるのは君だけじゃないんだよー」
一瞬、宮野の眉間に皺が寄ったようにも見えたが、瞬きする間に消えていた。
(待てよ……?)
ふと、意地の悪いアイデアが浮かんだ。
「じゃあ、今日は友達と遊びに行ってきます」
「おーいいねー、いかにも学生だねー」
「それじゃあ宮野さん、諸々お願いします」
零児は頭を下げると、宮野は満足そうに頷いた。
「無理かぁ」
ベッドで寝転がりながら、凛愛は大きく溜息をこぼした。
敵の襲来まであと三日。だというのに依然、敵の作戦内容が分からなかった。
「預言は万能じゃないったってよう?」
これまで、預言で分からないことは何一つとして無かった。
しかし、ここに来て分からないのだ。
いつ、誰が、どこに来るかは分かる。
だが何をするのか、肝心のそれが分からない。
何度も『聞いて』みるが、答えは返ってこない。
「なぁ、このままだとたくさんの人が死ぬかもしれねぇんだぞ!?」
室内に凛愛の怒号がこだまする。
しかしそれは虚空に飲まれ、やがて静寂の帳を下ろした。
「……なんでなんだよ。なんで今だけ、こんな時だけ使えねぇんだよ!」
ベッドに拳を叩きつける。
行き場のない怒り、そして歯がゆさ。
「これじゃあ……意味無いじゃんかよ……」
力なく、叩きつけた拳を緩める。
預言が使えない今、凛愛に出来ることは何一つとして無かった。
無力感が押し寄せ、少し泣きそうになる。
その時、ノックもなしにドアが勢いよく開かれた。
「凛愛いるか!?」
零児だった。
なぜか、きちっとした私服を身につけている。
「どうやってここまで来たんだ? ここ機密事項なんだが?」
「途中で松葉さんに会ってな」
「なるほど松葉か」
松葉の減棒が決がした瞬間だった。
「で、何しに来たんだ?」
「街に行くぞ。デートだハニー」
「は、はぁ?」
平然と言ってのける零児とは対照的に、頓狂な声を上げる凛愛。自分から言い出していた恋人設定を完全に忘れていた。
「遊びに行くんじゃなくて、楓を探しに行くんだよ」
「あ、ああそうだな! だよな!」
一瞬、なぜか期待していた自分を殴り殺して平静を装う。なぜ期待していたかは全くもって分からなかった。
「じゃあ着替えるから待ってな」
「おう」
零児はあっさりと部屋から出ていく。
そして一人、部屋に残された凛愛はクローゼットの前で立ち尽くしていた。
(どうする!? なんか、こういうときの服持ってたっけ?)
なぜか慌てながらクローゼットの中を必死に漁る。
しかし部屋着ばかりで、外に着ていけるような服は一一
「……制服でいいか」
考えるのをやめて、結局いつものブレザーに身を包む。慣れた感覚が結局のところ一番だった。
「デート、じゃねぇ。これは調査だ。楓を探しに行くだけだ。他意はない、ハニーとかもアレだ。あたしのノリに合わせてるだけだ。そうそれだけ。別にそういうんじゃねぇ」
姿見の前で必死に言い聞かせる。誰に聞かせるでもないが、一応自分の中のスタンスを決めて起きたかった。
「ふぅ……よし。行くか」
そして深呼吸を一つし、部屋を出た。
土曜日が始まる。