一話「日常」
朝。
朝起きて東堂零児はすぐに朝食の準備に取り掛かる。妹の紗彩が起きる七時まではあと三時間。弁当もついでに作らなければならないから、案外猶予はない。
料理を作れはするがあまり得意ではないため、いつも簡素なものになってしまう。事実、今日は卵焼きと牛肉の甘辛煮。それと市販のマカロニサラダという男子高校生のような献立だった。
慣れた手つきでフライパンを動かし、雑に弁当箱に詰めていく。それから可愛らしい猫柄のスカーフで包みテーブルの上に置いておく。
それらが終わると零児はリビングに飾ってある両親の写真に手を合わせる。
今日で両親が亡くなってから十年。家事などは慣れたものだ、料理以外だが。
ここでようやく妹の紗彩が起床、寝ぼけ眼を擦りながら洗面所に向かう。その間に零児はパンにトマトケチャップを塗り、チーズを乗せてトースターに入れる。さらに給湯器でコーヒーを入れ、テレビを付ける。
テレビを付けると朝のニュースが居間に流れた。
『昨日、N県S市で魔獣が出現しました。幸い負傷者はおらず、近くのイフリートによって駆除されました。近頃、魔獣が各地で連続出現しておりますのでお出かけの際はご注意ください』
「この辺りか、気をつけないとな」
魔獣。それは大気中に存在する元素、『魔素』を過分に取り込んでしまい暴走した動物のことを指す。イフリートはそんな魔獣から民間人を守る警察のような存在である。
様々な試験を超えた、選ばれし人間のみがイフリートになることができ、零児の妹である紗彩は国立のイフリート養成学校に通っていた。全国でもイフリート養成学校は少なく、特にここS市にあるものは全国でも有数の倍率を誇っていた。
「お兄ちゃん。朝ごはんなにー?」
自慢の長い髪をゆったりとセッティングしながら、間延びした声で紗彩は聞く。
「ピザトーストだぞ」
小さく洗面所から「よしっ!」という声が聞こえ思わず零児は頬を緩ませる。
ドタドタとせっかくセットした髪を振り乱しながら、可愛らしい制服に身を包んだ紗彩は嬉しそうにトースターへと駆けつけた。
「お兄ちゃん分かってるねぇ。やっぱり朝はピザトーストに限るっ!」
「嬉しいのはいいんだが、時間大丈夫か? 今日は朝から訓練あるんだろ?」
「あ……」
紗彩は顔を真っ青にすると、生焼けのピザトーストを取り出しかぶりついた。微妙にチーズが溶けきっていないらしく、なんとも言い難い顔で鞄を担いだ。
「ひっへひまふ!」
紗彩は鍛えられた健脚で家を飛び出し、一目散に学校へと走り去っていった。
喧騒に取り残された零児は、呆気にとられながらやれやれと肩をすくめる。
「相変わらず騒がしい妹だ」
ニュースを見ながら自分の分ピザトーストを食べ終わると、零児は玄関横にある自分の部屋に向かった。
紗彩が学校に行ったあとは、一人で勉強する時間を割り当てている。目標は紗彩が通っているイフリート養成学校だ。
人間には魔素受容体という身体器官があり、そこに魔素を取り込み、一般的には魔力と呼ばれる力に変換することで魔装を構築したり、魔術を発動したりすることができる。
しかし、零児の身体にはその魔素受容体そのものが何故か存在していなかった。
つまり、そもそも魔力を生み出すことすら出来ないのである。これまで何度もイフリート養成学校を受験しているが、ペーパーテストで点数を取れたとしても、全く適正がないということで落とされてきたのだ。
(それでも……俺は……)
かつてイフリートであった父と母。二人に憧れて零児はイフリートを目指している。幼き日の憧憬、自分と妹を助けるために魔獣に殺された二人のためにも。
付箋や書き込みだらけになった教本を捲りながら冷めてしまったコーヒーを啜る。もったいないからと、一応飲みきるがインスタントコーヒー特有の苦味に思わず顔を顰めた。
(新しいやつ入れるか)
一区切りおいて、一旦居間へと降りる。朝のような騒がしさは無く、どこか虚しい静けさだけが漂っていた。
空になっていた給湯器で湯を沸かしている間にテレビでも見ようとリモコンに手をやったところで携帯が鳴った。
『弁当箱忘れた! お昼休みまでに持ってきてくれたら嬉しかったり』
テーブルの上には確かに弁当が忘れられている。
肩を落とし、ため息をついてから慣れない手つきでメールを打つ。零児は昔から機械がどうにも苦手だった。
『昼前に買い物がてら持ってくから四時間目終わったら校門で待ってろ』
メールを送るやいなや、即座に返信が送られてくる。
『あざっす!』
時計を見れば十一時を回ろうとしている。先に買い物を済ませてもいいが、それだと荷物がかさばってしまうため、零児は先に届けることにした。
(できるだけ行きたくなかったんだけどな)
あそこには零児の昔からの知り合いが二人ほど通っている。不出来な自分とは違い、二人共優秀だったこともあってか零児は妙なコンプレックスを抱いていた。
(まあ、紗彩とは学年も違うし会わないだろ)
根拠の無い思い込みと、弁当を持って零児は家を出た。
「あれ? 東堂じゃん! 久しぶり! 元気してたか?」
(出会ってしまった)
校門の前で待っていたところ、この日はどうやら有名なパンの移動販売が来ていたらしく、思い切り出くわしてしまった。
栗色の艶やかなショートカット、同年代の女子と比べると一回りほど大きな体躯。快活で明るい性格は昔と一切変わっていないらしい。
彼女は久我蓮。零児の幼馴染であり、中学校までは同じ所に通っていた。
(コイツがいるということは……)
蓮の後から、見るからに気の強そうな女生徒が駆け寄ってくる。
母親が海外出身らしく、その遺伝子を受け継いだ美しく長いブロンドを一つくくりにし、見てくれだけは整えている。が、その実は冷たい女であり、特に零児はその被害を身近で被ってきた。
彼女の名は一色セリナ。蓮と同じく幼馴染である。昔からよく三人でつるんでいたが、二人がイフリート養成学校に進学したことを機に、あまり会わなくなっていた。
「うわ……零児じゃん……」
「『うわ……』とはなんだ。『うわ……』とは」
「そりゃアンタに会えば百人が百人、『うわ……』、もしくは『うっわ……』ってリアクション取るでしょ」
「ソースはあるんだろうな?」
「全私調べ」
昔のように軽口を叩き合っていると、懐かしさのせいか感慨深くあった。
「そういや東堂。なんか用事でもあったんじゃねぇのか?」
「そうだった。紗彩見てないか? あいつ弁当忘れて行ったんだよ」
「紗彩ちゃんならさっきパン買いに行ってたわよ」
親指で出張屋台の方を指すセリナ。その先には嬉しそうにカレーパンを頬張る紗彩がいた。
「お? ほにいひゃん、ほへんほうほってきてふれたの?」
「先に飲み込め」
呆れながら零児は注意する。いっぱいいっぱいに頬張っていたせいで、リスのようになっていた頬が少しずつ元の整った形に戻っていく。
「お兄ちゃん、お弁当ナイス! 一緒に食べようぜ?」
「いや俺は弁当持ってきてないぞ?」
「ふっふっふ……この私がなんの計画もなしにパンを買ったりすると思うのかね?」
紗彩は誇らしげにサンドイッチなどが入った袋を零児に受け渡した。
「なるほどな。でも俺は部外者だから学校には入れないぞ?」
一瞬、場が気まずい空気に包まれる。蓮は目線を逸らし、セリナでさえも俯いていた。
「外で食べれば良いではないか! 昔遊んでた公園近いし! 天気いいし!」
紗彩はなぜかやたらとテンションが高い。いつも一人の時はどんな風なのか零児は少し気になった。
「紗彩ちゃん。あたしも一緒にいいかな?」
蓮が袋からパンを取り出しながら尋ねる。紗彩は尋ねるまでもないと言わんばかりに拳を合わせた。
「セリナはどうする?」
少し離れたところで私は関係ない、みたいな風に他人のフリをしていたセリナを蓮が見逃すはずはなかった。
「うぐっ……行くわよ! 行けばいいんでしょ!?」
紗彩と蓮は二人揃ってやれやれと首を横に振る。
「相変わらずセリナは素直じゃないねぇ」
きゃいきゃいと三人は嬉しそうに囲いを作る。
(なんだろう。この疎外感……)
一抹の寂しさを覚えはしたが、なんだかんだで楽しい昼食は始まった。
同刻、S市イフリート養成学校。
既に終わっていた。静かに計画は完遂されたのだ。
校舎内は無人。もっといえば敷地内は既に無人。かつて人であったものが無造作に散らばっている程度だ。
グラウンドの真ん中にそれは居た。
見てくれは人、少年だ。
ただ、その周りは幾多にもなる異形の魔獣に囲まれていた。襲われているようにも見えるがそうではない。
少年は従えているのだ。王として。かつての世界を知る者として。
「ああ、叛逆だ。ここから始めよう。僕らの叛逆を。そうさここはスタートだ。そうだとも全部壊そう」
影は、迫る。