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サンフランシスコの作り話

 筆者はこの作品を書くにあたって、アメリカのコメディ映画を何作品か観たようですが、あまり作品には影響していないと思うと言っていましたね。アメリカ人の笑いにあまりついていけないようです。なので、この作品は、日本人が思う、アメリカ人の勝手な思い込みが多数出てきていると思うんですよ。事実1割、フィクション9割といったところでしょうかねー。

 誤った情報というものはこの世界には数多くある。

 人は一度その情報を完璧に信じてしまうと、その呪縛からはなかなか逃れられない。たとえそれがどんなに科学的見地から証明されようと、あるいは実際に事実を目の当たりにしたとしても、やはり人は最初のマザーである情報を信じようとしてしまう。誤った情報を無理やりこじつけて信じようとしてしまうのである。これは記憶を司る海馬が、感情を支配する器官である扁桃体と運命的な隣人関係にあるからなのかもしれない。つまり、記憶と感情は深いところで強く結び合っているのである。このふたつは、喧嘩が絶えないが結局は深く愛し合っているめんどくさい恋人同士に似ている。彼らは似た者同士のようで、じつはまったく真逆の存在であることにも気づかないまま。

「なぁ、ジェームズ。日本とアメリカってほんと真逆なんだよな」

「いったい何の話だい、トム」

「まぁ、聞けよ」

 トムは、バリバリと大きな音をたてながらポテトチップスを食べ散らかしているジェームズに向かってそういった。

「アメリカでは車を運転するときにはロード(道)を走るだろ。けれど日本はロードじゃなくて、道路を(doro)を走るんだぜ」

「ロード(道)と道路。なるほど、逆だね、たしかに」

 ジェームズはトムの突然的で、前後のつながりがない話題に幼いころから慣れている。

「車線もアメリカじゃ右側を走るのに、日本じゃ左側なんだぜ、おい」

「たしかにそれも逆だね」

「つまり日本はなにもかもアメリカと逆なんだよ。きっと左利きが多いんだぜ、あの国は」

 今や多くの人が目にしているネットニュースというものは、大半がデマや憶測で書かれているものが多く、どこかの国の代表が一族みんなに同じ髪型を強要しているとか、有名チェーン店ではネズミの肉を使っているとか、そういった類のものがはびこっている。そのようなニュースのたちの悪いところは、全部が全部、ウソではないところにある。日本では『火のないところに煙は立たない』ということわざがあり、スペイン語では『川の音がきこえたところにはそこに水がある』という格言も存在するのだから、すべてを否定してしまうのはフェアじゃないだろうが、大衆が飛びつくコンテンツ作りのために多くの情報は歪曲して伝えられる。

 おそらくトムは、スマホのネットニュースを熱心に読み、しかも彼が興味を持ったのがたままた日本に関する記事であり、しかしそれは残念ながら日本に行ったこともなければ、太平洋を越えたこともない、かの有名なフェイクネットニュース『Got a swagマジでイケてる』の管理人マイケル・オッドーのブログの記事だったのである。

「やたら詳しいじゃないか、トム」

「しかも聞いておどろけ、ジェームズ。むこうの兵隊さんは、ブレードを腰に差していて、道で歩くときには妻を3歩後ろに歩かせるんだよ。なんでも前方から敵に襲われたときに奥さんを逃がすためなんだとさ。クールだよなー」

「後ろから襲われたときはどうするんだろうね」

「サムライは人を後ろから襲わないんだよ。一種のプライドさ」

「道に地雷が埋まっていたら?」

「おいおい、ジェームズ。日本は島国だぜ。火薬なんてシケって使えやしねぇよ。だからみんなあんなにブレードを大事にしてるんだよ」

「日本ってすごい国だな」

「もっと日本について知りたいんだよなー。どこかに日本に詳しいやついねぇかな」

 トムの朝はこうした突発的で、非脈絡的な好奇心から始まる。



 根川恭一の朝はいつも規則正しく始まる。

彼は7時にセットしておいた目覚ましが鳴るまえにはもうすでに起床し、まず最初に瞬間湯沸かしポットのスイッチを押す。前の夜に洗っておいたマグカップにはジャスミンティのティーパックがいれてあり、お湯を入れるだけですぐに飲めるように段取りあるのだ。カーテンを開けて、横で爆睡しているラッシュを横目に顔を洗い、無香料の歯磨き粉で丁寧に歯を磨き、マウスウォッシュも忘れずに行う。この時点でまだ7時の目覚ましは鳴っていない。そして沸いたお湯をマグカップに注ぎ、できるかぎりの時間をかけて香りを楽しむ。茶葉がお湯に十分溶け込んできたことを確かめてから最初の一杯は噛み締めるように流し込んでいく。清潔な口腔内に、上品なジャスミンティが入っていく何とも言えない感覚を恭一は母親の次に愛している。あとは部屋がもっと清潔にされていたらいうことはない。ラッシュの机の上に放置されているクッキーの残骸が気になってしまうが、それはもうしかたがない。共同生活とはそういうものだ。ガムテープを手に巻きつけてペタペタと掃除してやりたい気持ちになるが、それもしかたがない。ラッシュはいいやつだ。恭一は静かな衝動をぐっと押しとどめる。目覚ましが鳴る寸前には恭一はスマホに手をかけており、設定しておいた曲がかかった瞬間に停止させる。目覚ましより先に起きてしまうのだから、はじめから目覚ましなんてセットしなくてもいいだろうと机のクッキーの残骸の首謀者によくいわれるが、恭一はそれをやめようとは思わない。大事なのは循環性なのである。

 そうやって、恭一の朝はいつも規則正しく始まるのである。


 「聞いたぜ、キョーイチ。トムのやつに派手にやられたんだってな」

 いつもの朝食の時間に、ラッシュは隣に座ってきた。

 恭一は起きて3杯目のジャスミンティを相棒に、朝食のベーグルとサラダを食べている。

「まったく、あれから大変だったんだよ。服についた文字は落ないし、足跡も消えないし」

 前日のゴタゴタを振り返り、うんざりした気分で恭一は天をそう返した。

「ラッシュ、いったい彼は何なんだよ。僕の穏やかな日常を脅かすあいつは」

 恭一はトムについての悪評もとい伝説をいろいろ聞かされる。

 女子寮には当たり前のように忍び込むし、腹が減ったからといい校庭でバーベキューをはじめたり、どこからか飼育用の牛を連れてきて闘牛をやりだしたり(牛はまったく暴れなかった)、授業中にピザを頼んで持ってこさせたり、学園の創立者の銅像をトイレに移動させたり(トイレは憩いの場と本人談)とあげればキリがない。私立の、しかも育ちのいいに生徒が多く集まるトラスティベル・アダムス・スクール始まって以来の問題児といわれおり、校内外でその評判は主に悪い意味で広く認知されているのであった。

「あいつには近づかないほうがいい」

 ラッシュからその忠告を聞いた恭一は、どうしてそんな人間を学校側は野放しにしているのだろうと疑問を抱いた。

「なんでも、トムの父親と学園長は古い友人で、しかもかなり友好的な関係なんだとさ。だからあんなに好き勝手やっているのに追い出されない」

「日本の学校だったら即退学だよ、それ」

「トムが日本にいけば、きっとこの学園の大学進学率も今よりさらに上がるだろうね」

 ラッシュは鼻で笑いながら朝食のマッシュポテトを口に運ぶ。

 恭一もつられて笑い、マグカップに入ったジャスミンティをすすった。

 するとラッシュが思い出したように話題を変えて話し始めた。

「ところで、君に合うグループを探してみたんだが」

 いったいこの学園にはいくつグループが存在するんだ、と恭一は眉をひそめる。正直、先日のkick me騒動以来、グループに所属することに若干の抵抗を感じていた恭一だったが、それと同時にやはりどこかのグループには入っていた方がなにかと都合がいいはずだとも思ってもいる。

「たしか君は掃除が好きだったよね」

 そういってラッシュはスマホを取り出し、何かを検索しはじめた。

「掃除は好きだね。この間の休みも、パソコンのキーボードの間のホコリを掃除していたら一日が終わっていたよ」

 得意そうに語る恭一に対して、今度はラッシュの方が眉をひそめる。

「まぁ、それはいいとして。『クリーン&クラッシュ』っていうグループがあってだな。ここはSNSもこまめに更新されていて、君と同じで几帳面な人間が集まっているんだ」

 几帳面な人間と聞いて、一瞬だれのことか恭一はわからなかった。

「へぇー。どんなグループなの?」

 恭一はそのグループになんとなく興味を抱く。

「隅々まで部屋を掃除したあとに、ビスケットクラッカーで派手にパーティをやるんだよ。俺も一度参加したことがあるんだけど、これがけっこうクセになるんだよ。きれいに掃除した部屋を思いっきり汚すのって楽しいんだよね。っておい、キョーイチ。どこにいくんだよ」

 恭一は話の途中で退席し、食堂から出ていった。

 せめてポップコーンでパーティやれよ、とボヤきながら。


 恭一が食堂をあとにして自分の部屋に戻ると、見たことない顔が2人いた。

 トムとジェームズである。

「このクラッカーうまいな。うますぎて、地面に落ちた破片ももったいないくらいだぜ」

 トムはそういってバリバリと音を立てながら恭一の机に乗ってクラッカーを食べている。

「トム、これにさっきのポテトチップスをはさんで食べると最高なんだよ。味と、地面に落ちる破片が倍増するのさ」

「さっそく試してみよう」

「ちょっと、ちょっと!!なにやってんのさ」

 恭一はこれ以上部屋が汚されてしまうのを阻止するために、ふたりのあいだに割って入る。

「パーティするなら、せめてポップコーンにしてよ」

 恭一は、目の前で部屋が汚されていくことに頭が混乱してしまい、わけのわからないことをいった。

「ようジャパニーズ。帰ってくるのを待ってたぜ。まぁ、座れよ」

 トムは無理やり恭一をベッドに座らせ、自身もそのへんに置いてある椅子に腰掛ける。

「じつは俺たち、日本のことをもっと知りたいと思っていてな。あの国はなかなか興味深いんだよ。なんでも日本人は鼻で味覚を感じるんだろ?」

 おそらくラーメンのことなのだろうが、日本人からすればニュアンスが絶妙に違っている。

「あっちでは水道水がすごく清潔で、こっちの水飲んだらみんな腸チフスになるって聞いたことがあるよ」

 秀才で名が知られているジェームズでさえも、鵜呑みにした情報を疑おうとはしなかった。

「そりゃすげえな。専門医も、いったい何本メス消毒すりゃいいんだ、ってキレるかもな」

 ふたりの来客者はそんなジョークでゲラゲラと笑い合う。

 恭一はもちろんだが、まったく笑えない。

「あんたたちのことは聞いてるよ。悪名高いトム・サースティンに、その影で暗躍するジェームズ・コリンズ」

 恭一はふたりのペースに巻き込まれてはいけないと思い、対立することの意思を伝える。

「おいおい、おかしな言い草はやめてくれよ。たかが学園中のLEDを抜きとって売りさばいたくらいじゃないか。かわりにふつうの電球に移し替えたからしばらくバレなかったし」

「あれは大変だったよねー。ひとつひとつ規格と型を調べて、必要なところはちょっとした基盤工事までしたんだからさ」

 彼らはほんとうに高校性なのだろうか。

「あんたらがなにを考えているか知らないけど、僕の穏やかで清潔で、平穏無事な生活を邪魔するのだけは許さないぞ。ここはアメリカだ。自由と責任の国なんだよ。自分の行動には責任をもったらどうなの」

 恭一はベッドから立ち上がりながら、ふたりの来訪者に断固抗議した。

「まぁ、まぁ、落ち着け。そして座れ」

 恭一は強引にふたたびベッドに座らされた。

「いいかよく聞け。この世界はユートピアを目指している。ユートピアといえば聞こえはいいが、実際のところそれは管理された世界だ、それも徹底的にな。そんなものはつまらない。オレが目指す世界は『ワンダーランド』。すなわち、刺激的で、驚きがあって、新しい発見にみちあふれた日常。これがオレにとっての『善』だ。反対に、つまらなくて、退屈で、反復した日常が『悪』なんだよ」

 恭一は喜々として語るトムに、すかさずいい返した。

「僕にとっては、基準にそって整頓された、平穏で静かな世界が『善』。クラッカーやポテトチップスの破片が散っている世界が『悪』だ。世界があんたのいう『ワンダーランド』になってしまったら、だれも掃除をしなくなって、キーボードの隙間のホコリやマッグカップの汚れもロクに洗うことはなくなり、ダイオキシンや酸性油脂を体に蓄積させることになる。それこそ腸チフスになって、メスが何本あっても足りないじゃないか」

 大人しそうに見える目の前の日本人がペラペラと英語をあやつる姿を見て、ふたりのアメリカ人は軽いショックを受ける。日本人に対して、勤勉で、無駄口をたたかないサムライのようなイメージを持っていたふたりには意外な発見であった。

「わかったらさっさとこの部屋から出ていってくれないか」

「わかった、わかった。そうまくし立てるなよ。ちょっとからかっただけだろー。すぐに出ていくよ。いこうぜ、ジェームズ」

「はいよ」

 トムとジェームズは、あいつちょっと妄想がすぎるんじゃねぇのか、といいながら部屋をあとにした。


その日の日中はとくに何事もなく終わり、日が落ちて各々が自由に過ごす時間になった。

寮の暮らしはスケジュールが組まれているが、その多くは生徒自身の裁量にまかせてあり、門限の11時を過ぎなければほぼ完全な自由が約束されている。

 恭一はやはりどのグループにも所属できずにおり、行くあてもないのでラッシュがいるトレーニングルームに訪ねていた。

「災難だったね、キョーイチ」

 ラッシュは巨大なダンベルのついたトレーニングマシーンで体を熱心に鍛えている。

「まいったよ。あれから地面におちたお菓子の破片を掃除してさ。おかげで授業に遅刻するところだったよ」

「ひとの部屋に勝手に入るのはよくないが、まぁ、少なくとも俺のスペースもきれいになった」

 恭一はふてくされたようにラッシュを睨んだ。

「冗談さ。まぁ、そんなことより、キョーイチ。俺と一緒に健康管理をしよう。こうやって体を鍛えていれば、頭もスッキリしてリフレッシュするさ」

「こんな重そうなもの持てないよ」

「まずは30ポンド(約13キロ)からはじめるといい。俺だって最初はここからスタートしたんだ。いまじゃ小指で持ち上げられるよ。しかも足の」

 ラッシュがダンベルを小さいものに替えてくれる。

 恭一はしぶしぶトレーニングマシーンに乗った。




 恭一がダンベルマシーンに奮闘しているころ、トムとジェームズはあいかわらずクラッカーを食べていた。トムの部屋は、当たり前のように散らかっているが、彼に気にしている様はクラッカーのかけらほどもない。LED窃盗事件の首謀者であり悪ふざけが好きなふたりのアメリカ人は、そうやってクラッカーを食べながらなにか面白いことはないかと模索していたのである。

「結局、日本のこと訊けなかったなー」

「そうだね」

「ジェームズ。クラッカーはもうないのか?」

 ジェームズと一緒にお菓子を食べると、減るスピードがおかしいぐらい早い。

「あいにく今は全部切らしててさ。ポップコーンしかないよ」

 ジェームズはポップコーンの袋をトムに投げて渡した。

「こんな歯ごたえのないもん、食えねぇよ」

 トムはそれをさらに投げ返す。

 すると突然、トムの部屋にノックもせずに来客がやってきた。

「ねぇ、あたしのケータイしらない?朝からずっとさがしているんだけどぜんぜん見つからないの」

 小柄の体型と長いブロンドの髪をした彼女は、ノースリーブにショートパンツという普段着で、明らかに朝起きてそのままということがひと目でわかる姿をしていた。

「メイリーン。おまえここ男子寮だぞ」

 メイリーンと呼ばれた彼女は、トムたちの暮らす男子寮に堂々とやってきてなにひとつ悪びれる様子がない。

「だってケータイもってないし、あたしの番号知ってる人間探すのが手間だったから」

 トムとジェームズとメイリーンは、5歳のころに近所のセントラル公園で一緒に遊んで以来、家族同然のような間柄である。3人でやった最初のイタズラは、公園の敷地を独占するためにワニが逃げたから探してくださいという張り紙を近所中にばらまくことだった。おかげでひと時ではあったが、セントラル公園のまるまる1エーカー(約4000平方メートル)は彼ら3人の庭になったのである。

「とりあえずジェームズ、メイリーンのスマホにかけてみろよ」

 ジェームズはいわれたように、スマホを取り出しメイリーンにかけてみる。

 と突然、爆音でギターロックの曲がかかりだした。

 3人はいったいどこから音がするのかと辺りを見回す。

「あ、なんだ。ブラの中にあるじゃない」

 メイリーンは安心したようにそういい、自身の下着の中からスマホを取り出して曲を止める。

「せっかく大きくなったと思ったのに。勘違いだったのね」

 そういって今度は落胆の表情を見せた。

「まったく人騒がせなやつだな。スマホくらいちゃんと定位置においておけよ」

「そういうなよ、トム。メイリーンに躾を教えるのは、クマに確定申告教えるより難しいんだから」

「たしかにそれはいえてるな。自転車の乗り方教えてやったのに、最後にはバラバラになってたんだもんな」

「あれは勝手に壊れたのよ」

 メイリーンは約一日ぶりのスマホとの再会に忙しそうである。

 トムはそんなメイリーンを眺めながらあることを思いついた。

「メイリーン。そういやおまえ、破壊するの好きだったよな?」

「なによ、人をデストロイヤーみたいに。この地球上の物質がヤワすぎるのよ」

 メイリーンという人物は、不器用とか機械音痴という領域を通りこしていた。ジェームズも以前、彼女にゲーム機を貸して原型を留めていない姿で帰ってきたことがある。そのくせに最初から壊れていたのよとかいうものだからもはや何もいう気がしてこない。

「そんなおまえに頼みがある」

「トム。なにをはじめるんだい?」 

 そう尋ねたジェームズに対して、トムは不敵な笑みを浮かべる。




そしてサンフランシスコでも比類をみない破壊の女王が、見つからないケータイを発見したその同時刻、やや潔癖症で、精神科医も匙を投げたくなるほどの妄想癖である根川恭一は、30ポンドのダンベルの持ち上げ方を見つけられずにいたのである。

「やっぱこれムリ。ぜんぜんあがらない」

 恭一はあきらめてトレーニングマシーンから離れ、隅の方でデッドリフト(スクワット)をやっているラッシュのもとへ近づいた。

「腕が痛くなっちゃったよ。まったく」

「鍛え方がたりないね。そんなんじゃ引越しもまともにできない」

「もし引越しが必要になったら、真っ先に君にお願いするよ。お礼はプロテインでいいかい」

「キャロノマン社のプロテインにしてくれよ。あそこは不純物も添加物もない、本物を扱っているからね」

 ラッシュの足の筋肉は、普段のほっそりとした足からは想像もできないくらいに筋肉が盛り上がっている。スクワットという筋トレは、数ある筋トレメニューの中でも1、2位を争うくらいつらい作業だという。

 恭一は、どうしてこんなに辛い苦行をわざわざ自分から率先しておこなっているのかさっぱりわからなかった。

「ラッシュ。決して侮辱しているわけじゃないけど、君を見ていると辛いことがないように思える」

「もし辛いことがあったら、俺はこうやって筋トレをするのさ。筋肉が育っていくことを考えていると幸せな気持ちになってくる。筋トレが終わって体が火照っているときに、俺の人生は充実していると感じる。恭一は辛いことがあったときはどうしてる?」

 恭一は、ラッシュになら話してもいいかなと思い、自分が辛いことや悲しいことがあったときの対策を熱心に筋トレに励む目の前の親友に語る。

「僕はひとりっ子なんだけど、ずっと兄弟が欲しいと思っていたんだ。それも兄がふたりで、姉がひとり。つまり4人兄弟で、僕はその末っ子さ。僕の中ではこの設定がベストなんだよ。頼れる兄がふたりいて、優しい姉がひとり。みんなきれい好きで、掃除を愛している。小さいころはよく4人で砂場を掃除しているところを想像してたよ。あとは太陽の光を浴びたシーツに4人で一緒になって寝るところとかをね。そんな想像に浸っていると不思議と心が穏やかになっていくんだ。僕はひとりじゃないって思えてきてうれしくなるんだよね。ラッシュは兄弟がいるのかい?」

「年の離れた妹がいるよ。最近はあまり会えてないけど」

「そっか。僕も兄弟が欲しかったよ。いまじゃ想像でこしらえることしかできないけど、それがなんとなく心の支えになっていたりするんだよね」

 そう恭一が語り終えた次の瞬間。 

 トレーニングルームの照明が消え、何も見えなくなった。

「て、停電!」

「みたいだな」

「ど、どうしよう!真っ暗だよ。何も見えないよ」

「キョーイチ。慌てるな。そのうち復旧するさ」

「いや、でもさ。大丈夫なのかな」

「まぁ、暗闇でもダンベルの位置はわかるんだよ」

「いや、筋トレの心配はしてるんじゃなくて」

 恭一がオロオロしているなか、ラッシュは暗闇の中でなにごともなかったかのようにトレーニングを続けるのであった。




 一方そのころ、トムとジェームズとメーイリーンの3人は学園内の事務室にある、すべての電源のマザーとなるパソコンの前に移動していた。ここには、いつもは雇われの用務員である中年のランド・フォーレスが滞在しているのだが、あまり仕事熱心な人間ではないため、今夜も仲間のいる市街の方へブラックジャックをやりに出かけている。

 もちろん停電の犯人は、トレンスティベル・アダムス・スクールが誇る破壊の女王、メイリーン・キャシー・ティンスしかいなかった。

「ったく、だれが停電させろっていった!?」

「しょうがないじゃない。アンタがこのパソコンいじれっていったんでしょ」

「オレがいったのは、ただ学校中の監視カメラを使えなくしろっていっただけだ。それをなんだ、いったいどうやったら学園中の電気が止まるんだよ」

「だから知らないわよ!適当にクリックして、適当にキー叩いていたらこうなったんじゃない」

「なんで電力供給システムにアクセスできちまうんだよ。いつからハッキングなんかできるようになったんだ?」

「ハッキング?あたしにハッキングなんかさせたわけ?」

「おまえ、知らないでやったのかよ」

「わかってんの?これは立派な犯罪なのよ」

「そんなの生まれる前からわかってる」

「あら、そう。だったらあんたの前世はランサムウェアか、もしくはトロイの木馬だったってわけね」

「やっぱおまえ知ってんじゃねぇか」

「うるさいわね!ただ、知ってる単語デタラメにいっただけよ」

「おまえがそんなだから」

「はいはい、ふたりとも。とりあえずそのへんでやめる」

 トムとメイリーンの口論を慣れた様子でジェームズが止める。ふたりのオーバーヒートぶりは小さいことろから何も変わっていない。

「こんなことになるんじゃないかと思ってさ。偽造IP使ってたんだよね。これならどこからアクセスしたかバレないし」

 ちょっと失礼といって、ジェームズはキーボードの前に割って入り、手際よく事態を処理する。

 停電してはいるが、この事務室だけは非常用電源が作動しているらしく、照明は消えているがパソコンは元気に稼働していた。

「さすがジェームズだな。とにかく電力を復旧させようぜ。これじゃ、せっかくもってきたピザがよく見えない」

「同感だね。月は美しく、そしてピザはうまい」

 そういってジェームズは手元を見ずに、まるでそこになにがあるかちゃんとわかっているかのようにピザをつかみ口に運ぶ。

「それあたしのピザなんだけど」




 恭一が停電したトレーニングルームの真っ暗な空間にようやく慣れはじめたころ、今度は彼の友人がご乱心の様子だった。

「ちくしょう!どこのどいつだ、停電させやがったのは。ただじゃおかねぇぞ!」

 ラッシュは暗い室内で、普段の穏やかな状態はなりをひそめ、ヒステリックにわめいている。

「ラッシュ、落ち着けよ。さっきまでの冷静な君はどこにいったのさ」

 恭一は逆に落ち着きはじめており、暗闇のなかで影だけ確認できる友人に対して少々呆れていた。

「これが冷静でいられるか!早くプロテインを飲まないと、ゴールデンタイムが終わっちまう!」

 筋トレが好きな人間ならわざわざ説明するまでもないが、ゴールデンタイムとは、筋トレが終わったあとに訪れる、体がいちばんタンパク質を吸収しやすくなる時間のことである。さまざまな説があり、また個人の体によって微妙に違ってくるが、運動後45分がプロテインの効果的な摂取時間といわれている。ラッシュは、キャロノマン社の粉状プロテインを深く愛しており、ミリ単位で細かく分量し、ぬるま湯に溶かして飲むスタイルをとっているのだが、停電のせいで計量カップのメモリがまったく見えず、しかもこのあとのメニューにランニングマシーンで10キロ走る予定だったため、電力が停止した現在の状況にかなりイラだっているのであった。

「なんであらかじめプロテインジュースをつくっておかないんだよ。ってか、分量なんてだいたいでいいんじゃないの?」

 恭一はなぜラッシュがこんなにこだわっているのかさっぱりわからない。

「運動が終わってプロテインを作るひと時が、俺の人生の楽しみでもあるんだよ。わかるだろ?」

「ぜんぜんわからないって」

 と当然、急に照明が明るくなった。

 それと同時に、

「ピエロが出たぞーーー!!」

 と、誰かがそう叫んだ。

 辺りが急に騒がしくなり、バタバタと走り回る音が聞こえてくる。

「ピ、ピエロだって?なにそれ」

恭一は混乱してラッシュにそう尋ねる。

「知らないのか。殺人ピエロのウワサ」

「何なんだよ、それ!」

 恭一がうろたえていると、急にトレーニングルームの部屋が開いた。

 そして入ってきたのは、血まみれのピエロの姿だった。

「あ、あ、あれがそうだ」

 ラッシュもそのピエロの恐ろしい形相にあごが震えている。

「に、逃げろー!!」

「ま、待ってよ、ラッシュ!!」

 恭一は逃げだしたラッシュの後を追い、窓から外に出る

 ピエロは恭一をターゲットにしたらしく、ものすごい勢いで恭一の後をおってきた。

「な、なんでこっちに来るんだよ!!う、うわぁぁ!」

 恭一は無我夢中で寮の庭を走り、必死にピエロから離れようとする。

 必死になって走り続け、気づけば恭一は自分の部屋の前まで着いていた。

 ドアを開けて自室に入り、ベッドの布団を被る。

 すると入口からゆっくりとピエロが入ってきた。

 部屋の電気はついておらず、ピエロの暗いシルエットがますます恭一の恐怖をかきたてた。

「なんでこっちにくるんだよ。僕がなにをしたっていうんだよ」

 ほとんど泣きそうな声になっている恭一のところへ、ゆっくりとピエロは近づいていく。

 そしてピエロは恭一のベッドに乗り上げる。

「う、うわぁぁぁ!ってちょっとまった!!」

 恭一はそういってピエロの行動を遮る。

 恭一に叫ばれたピエロは一瞬、ぴたっと進行を止める。

「靴のままベッドにあがるんじゃない!!」

 恭一はぴしゃりとそういい切った。これまでの恐怖がウソのようにその言葉には恐怖の欠片もなかった。

 恭一は殺人ピエロが現れた恐怖よりも、自身の圧倒的な潔癖症の方が勝っていたのである。

 ピエロはそういわれて、首をかしげながらおとなしくベッドを降りる。

「あと、入ってくるときに体が棚に当たっていたよ!それで4センチずれた。ちゃんともとに戻すんだ!早く!」

 恭一は巷で噂されている恐怖の殺人ピエロが自分の部屋に乗り込んできた恐怖よりも、自身の周囲が呆れるくらいの整理整頓グセの方が勝っていたのである。

 ピエロはそういわれて、またしもおとなしく従い、本棚の位置をもとに戻した。

 そしてピエロはそのまま恭一の部屋をあとにしていく。

 ピエロが去っていく背中を見届けると、恭一のもとに遅れて恐怖心がやってくる。自身の反射的な掃除魔の性分と、ピエロが残していった不気味な空気に、頭がパニックになり軽い放心状態になっていた。

 すると今度はラッシュが部屋に入ってきた。

「キョーイチ、大丈夫か!」

「ら、ラッシュ」

 恭一は安堵して全身の力が抜ける。

「ピエロ帰っていったぞ。どうやって追い出したんだ?」

「え?えーっと」

 恭一はなにがなんだかさっぱりわからなかった。

 とりあえずピエロは去っていったのである。




次の日の朝。

 もちろん殺人ピエロの正体であるトムと、作戦計画参謀のジェームズはおかしなウワサを耳にしていた。

「トム、これ見てよ。SNSは今、昨日の殺人ピエロの話題で持ちきりだよ」

 ジェームズがいつものベンチでだらけているトムに向かって、持っているスマホを見せた。

「そうかそうか。やっぱりみんな驚いていたみたいだな」

 トムは満足そうに身を乗り出した。

「ホント、みんなびっくりしてたよね。なんか今、その対処法もできているみたいなんだよ」

「対処法?どういうことだ」

「ピエロが現れたら、まず靴を脱げっていうんだよ。そうすれば恐怖の殺人ピエロはおとなしく帰っていくんだって」

「なんだよ、それ。そんなピエロがいるかよ」

「あと、こんなのもあるよ。本棚のズレを元に戻せって叫ぶと部屋を片付けてくれるみたいなんだ」

「昨日の俺の言動のまんまじゃねぇか」

「あと、事前に筋トレをしておくとさらに効果的だって」

「ぜったい意味ねぇよ!」

 誤った情報というものはこの世界には数多くある。

 人は一度その情報を完璧に信じてしまうと、なかなかその呪縛からは逃れることができない。

 それは1000年前から変わらないし、1000年後も変わらないだろう。


 最後まで読んでいただけた方、本当にありがとうございます!いやー、どうですかねー?わたしは面白いと思うんですがね。キャラクターが面白いし、語り口も軽快でわかりやすい。筆者はあまり完成度は高くないし、作り込みが甘いって自分で言っちゃってるwまぁ、あまりかっちりやられては、読む方は疲れるんでちょっと肩の力を抜いたくらいがいいんじゃないかとわたしは思っているんです。

 次作も絶賛執筆中なので、興味のある方はぜひ期待して待っていてください~!

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