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この話で本編完結となります。
葵はずっと握りしめていたものを、もう一度確認するかのように見つめた。
(意味をわかってから、これをちゃんと使うのは初めてだな。)
誠の意図に気付く前は、葵の手の内にあってもどこか所在なさげだった合鍵は、今はしっかりと己の存在を主張するかのように輝いていた。
葵は、もう一度合鍵を持ち直すと、誠の部屋の鍵穴に差し込んだ。
あのあと葵は、咲に誠のことや自分の気持ちを洗いざらい打ち明けた。
葵が全てを話し終えるまでずっと笑顔で聞いていた咲は、じゃあ早く本人に伝えてあげなきゃ、と葵の背中を押して送り出してくれたのだ。
急いで帰ってきてインターホンを鳴らしたものの、肝心の誠は留守であったため、いまこの合鍵が本来の出番を迎えたわけである。
ガチャンっと音がして鍵を開けた葵は、ゆっくりとノブを回してドアを開いた。
「…お邪魔しまーす。」
部屋の主が不在なのはわかっているが、落ち着かない葵は誰にでもなく挨拶をした。
この部屋に入るのは3回目のはずだったが、今までと心持ちの違う葵はどう振る舞うべきかわからなかった。
少しうろうろした後、とりあえず置いてあったソファーに腰をかけた。
(…あぁ、誠の部屋だ。)
身体を落ち着けてみると、この間と同じように、葵はそこら中が誠の気配で溢れていているのを感じた。
全身が誠に包み込まれたような気持ちになって、少し気恥ずかしくもあったが、どこか落ち着くような、不思議な感覚を覚えた。
(誠が帰ってきたら、きちんと自分の気持ちを伝えよう。)
そう決意した葵は目を閉じて、誠に何から伝えるべきか頭の整理をすることにした。
――
「…い…あおい。」
「ねぇ、葵。」
――遠くで誠の声が聞こえる。
「まさか、この前言ったこともう忘れたわけじゃないよね?」
急に明瞭に聞こえた声で、葵はびくりと目を覚ました。
ソファーにもたれて眠ってしまっていた葵の目の前には、下から覗き込むようにして床に座っている誠の姿があった。
「…あれ?私、寝て、たっ…?」
「うん、寝てたね。」
考えながら寝てしまっていた自分に気付いた葵は、今から想いを告げようというときに、とんだ失態を犯してしまった自分が恥ずかしくなって俯いた。
誠もその場から動く気配はなく、二人の間に沈黙が流れた。
「…あれ、使ったんだよね?」
すぐに合鍵のことだとわかった葵は、俯いたままコクリと頷いた。
「意味、わかった上でここにいるって思っていい?」
あの夜のように甘さをはらんだ誠の声が穏やかに響くと、葵は顔を上げた。
誠は隠すことなく愛おしそうな表情を葵に向けていて、目があった葵は顔が火照るのを感じた。
「…私のことずっと待っててくれたの?」
「…うん。待ってた。」
『合鍵を渡した意味』の答え合わせをした葵は、すぐに返ってきた肯定の返事に、涙がこぼれそうになるのをこらえた。
「私ね…ずっと、誠はお姉ちゃんのこと好きなんだって思ってたの。」
「…」
「だから、やっと、自分の気持ちに気付いたけど、諦めなきゃって思って、誠と会わないようにしなきゃって。
… でもね、でも、どうしても無理だった。
どんなに消そうって思っても、私の中の誠は消えてくれないの…
…私の中で唯一、諦められなかったのは誠だけなの。」
結局伝えたいことがまとめられないまま、葵は焦って言いたいことを一息で言ってしまった。
しかし、最も伝えたいことだけは始めから決まっていた。
それを伝えるために、葵は大きく息を吸って、誠の目をしっかりと見つめて、ゆっくりと口を開いた。
「私、誠のことが好き。」
そう言った瞬間、ずっと黙って葵の話を聞いていた誠が葵の手をぐっと引き寄せた。
その力に抗うことなく誠に身を委ねた葵は、床の上で座って抱き合う形になると、両腕に力を入れた誠にきつく抱き締められた。
一気に誠の香りに包まれた葵は、多幸感でどうにかなってしまいそうだと思った。
「…そんなのとっくに知ってる。」
「えっ!?」
すっかり甘い雰囲気に酔ってしまいそうになっていた葵は、誠の返事で我に返り、そのまま顔を上げると、呆れたような顔の誠と目があった。
「葵が自覚する前から、俺を含めて周りみんなわかってたよ。」
葵は、そういえば薫にも同じようなことを言われたと思い出すと、自分のわかりやすさと鈍感さを呪った。
落ち込んだ様子の葵を見ていた誠は、葵の頭を軽く撫でた後、おもむろに口を開いた。
「だから、はやく気付いてほしかった。
…葵の気持ちにも、俺の気持ちにも。
大学入って一人暮らし始めたら、待つつもりなんてなかったから、それ渡したんだ。
葵がちゃんとその意味に気付いたら、もう我慢しないって決めてた。
だから……」
誠は話している間もずっと葵から目をそらすことはなかった。
葵もそんな誠の瞳に捕らえられたように、二人はじっと見つめ合っていた。
「…だから、いい加減俺のものになって。」
その言葉が合図だったかのように、二人の唇は自然と重なっていた。
二人の想いと同じように重なりあった唇は、溶けてしまいそうなくらい甘くて、熱い。
ふわふわとした心のまま、葵はその感覚に身を委ねていった。
どのくらいそうしていただろうか、何度も繰り返し重ねられる口付けはどんどんと激しさを増し、葵は息をすることさえ忘れそうになった。
苦しくなって誠の胸を軽く叩くと、やっと唇が解放された。
「ちょっ、ちょっと!ストップ!」
「…なに?」
不満げな態度を隠すことなく、誠はまた口付けを再開しようとしている。
このままでは、もしかしたらもしかするのかもしれないと思った葵だったが、当然心の準備などできていない。
「…ほら、もうこんな時間だし、今日は、ね!」
時刻は午前0時をまわろうとしていた。
明日は月曜であり、もちろん大学もある。
「…こうゆうときは鋭いんだな。」
ボソッと呟いた誠は、まだ葵の拘束を解こうとはしなかった。
「…葵、明日一限あるの?」
「そう、そうなの!はやく起きなきゃいけないの!」
だからもう帰るね、と言わんばかりの様子の葵を、誠はじっと見つめていた。
「ふーん、じゃあ…」
やっとわかってもらえたと思った葵は、次の瞬間、自分の身体が宙に浮くのを感じた。
「…ついでに俺も起こして。今日のところは抱き枕で勘弁してあげるから。」
そう言った誠は、葵を抱き上げたまま寝室へと歩き出した。
「…えっ!!ちょっ、ちょっと、待って!」
「もう我慢しないって言ったでしょ?」
(…ま、誠ってこんな感じだったっけ?)
いつも隣にいた幼馴染に恋人という肩書が加わった途端に強引になった誠に驚きつつ、葵はやっと本来自分がいるべき場所に帰ってこれた気がした。
そんな二人を祝福するかのように、机の上の合鍵が銀色に輝いた。
―END―
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翌朝、何度起こしても起きない誠をやっと起こした葵は、シャワーと着替えをするために自分の部屋に戻ろうとしていた。
「じゃあ、私戻るからね。ちゃんと着替えて一限受けるんだよ!」
恋人ではなく、まるで母親になったような気待ちになった葵はため息をつきたくなってしまった。
「…うん。で、いつ、こっち引っ越してくるの?」
また意味のわからないことを言い始めた誠に、葵は動揺して言葉を失った。
「合鍵の意味わかったんでしょ?
そのためにうちの親父と高坂のおじさん説得して、広い角部屋借りたんだし、準備出来たら教えて。」
そう言い残して風呂へと消えていった誠を、葵は呆然として見つめていた。
(え、え、えーーーーーっ!!!?)
『合鍵を渡した意味』が葵の思っていた意味より一歩先の意味だったことに加え、まさか両親まで懐柔済みだとは思わず、誠の周到さに葵はその場に立ち尽くしてしまった。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
出来たら本編に入らなかった内容を番外編などで書きたいと思っています。