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初投稿です。誤字脱字等あり読みづらいと思いますが、ご了承ください。
「はい、俺の渡しとくから。」
そう言って渡されたものを、手のひらに乗せたまま高坂 葵は思考を停止した。
その間に、葵を混乱させた当の本人である佐伯 誠は、玄関のドアを開けてさっさと出ていってしまった。
バタンとドアが閉まる音を聞いて、やっと我にかえった葵はへたりとその場に座り込んでいた。
さっき誠に渡されたものは、どっからどうみても鍵である。
葵が今日から使うものと同じ形状をしていることから、間違いなく部屋の。
(…えっ、なんで?)
頭が回り始めても、誠の合鍵を渡される意味合いがまったくもって理解できない。
葵はその真新しく輝く銀色のものを所在なさげに握ったまま、誠が出ていった方と逆にふらふらと歩き出した。
葵と誠は、いわゆる幼馴染である。
お互い同じ時期に隣同士に引っ越してきて、同じ年頃のこどもがいたことから、物心がつく前から家族ぐるみの付き合いをしていた。
葵たちの実家のある地域は住みやすいところではあったが、近隣に大学がないため、進学をする学生はほとんどが実家を出て一人暮らしを始めることが多かった。
葵も例にもれず都心の大学に進学を決めていて、先程無事に引っ越し作業を終えたところだった。
誠も同じように四月から葵と同じ大学の他学部に進学を決めていて、それを知ったお互いの両親がそれなら同じアパートを借りれば何かと安心だ、とか言い出してしまい腐れ縁の継続が決定してしまった。
誠は葵の部屋と同じ階の角部屋に住むことになり、引っ越しは葵よりも数日前に終わらせていたため、男手が必要だと両親にいわれたらしく手伝いをしてもらっていたのだ。
その帰り際に、予想外の置き土産をもらってしまった。
まだまだダンボールだらけの部屋のなかで、葵はまだ誠から渡された鍵を見つめていた。
(どうして、こんなもの私に渡すの?)
葵には誠の意図がまったくもって見当がつかなかった。
誠は昔から言葉数が少なく、必要以上のことは話さない。
葵は長い付き合いから、なんとなく誠の考えていることがわかることが多かったが、今回はさっぱりわけがわからない。
(…今まで通り部屋に来ていいって意味なのかな?)
確かに、実家にいた頃は頻繁にお互いの部屋を行き来していたが、それはあくまでも実家だから。一人暮らしの部屋となると今まで通りというわけにもいかないだろう。
何より葵は、実家を出るにあたって決意していたことがあった。
そのためにも、この鍵を使うことはないだろう。
葵は鍵のことはきれいさっぱり忘れようと心に決め、運び込まれたばかりの新品のデスクの引き出しにその鍵をしまった。
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部屋の片付けや新生活の準備、大学入学のオリエンテーションに追われていた葵は、誠と顔を合わせないまま三週間以上が経ち、四月も後半に差し掛かっていた。
大学生活にも慣れ始め、数週間前まで満開だった桜の木もすっかり様変わりしていた。
「葵ちゃん、はやくしないと次の講義間に合わないよ。」
春の陽気にあてられたこともあり、ぼんやりしていた葵の腕を、志村 咲が急かして引っ張った。
黒髪を伸ばしたままにしている葵とは違い、明るい茶色の髪は肩辺りでふわふわしていて、まるで小動物のようだ。
そんな可憐な容姿の咲は実はしっかりものの長女気質で、しっかりしているように見られがちだか実は抜けている葵とは相性が良く、すぐに打ち解けた。
入学早々に、葵が居眠りをしそうになっていたところを見られてから、葵のお目付け役をかって出てくれている。
「ごめんねー、なんか暖かくてぼーっとしちゃって。」
「もー、そんなこと言って最近ぼんやりしすぎじゃない?」
「だって、春の陽気が気持ちよすぎるんだもん。」
本当はそれだけが理由じゃないことは明白だったが、そのことには見ないふりをして咲にはおどけた笑顔を見せた。
教養科目の多い新入生は講義が朝からびっしり詰まっているため、少ない休み時間も移動に当てなければならず、ゆっくりしている暇はない。
葵の通う大学は、文理たくさんの学部をもつ総合大学だけあり、広大なキャンパスのなかに様々な学部棟がところ狭しと並んでいる。
次の講義は先程までいた経済学部棟から少し離れた理学部棟で行われるため、葵と咲は足早に歩き始めた。
「そういえば、葵ちゃんはサークルどこにするか決まったの?」
「うーん、まだ考え中だけど、どこかのテニスサークルに入ろうかなって思ってる。」
葵は中学高校とテニス部に所属しており、せっかくなので大学でも腕が鈍らない程度にテニスを続けたいと思っていた。この大学内にもいくつかテニスサークルがあるようで、その中からいくつか見学に行き自分に合いそうなサークルに所属するつもりだ。
「そっか。私はまだ全然考えてないの。テニスもちょっと興味あるから見学だけでもついていこうかな。」
「本当?じゃあ明日の体験一緒にいこうよ。」
そんな話をしている間に、理学部棟の入口に着いていた。
葵は理学部棟には何度か来ているが、入るたびに毎度少し緊張してしまう。文系の学部棟よりも人通りが少なく、静けさが緊張を煽ることも理由のひとつだが、もうひとつの理由の方が大きい。
咲に気付かれないくらいの小さなため息をついて、葵は理学部棟に入っていった。
葵たちの受講している講義は文理両学部から人気のもので、理学部棟のなかでも最も大きい教室で行われる。開始予定までまだ少し時間があるが、一番前列の席すらも埋まりはじめていた。
葵はいつも通りの後方左側あたりに二つ空席をみつけて腰を下ろした。教室に向かう途中で化粧直しでお手洗いに寄っている咲の分の席も確保し、いつものあたりに席をとれたとメッセージを送ったところで、よく知る名前が後ろから聞こえてきてびくりと反応してしまった。
「佐伯くんって今年の理学部主席合格の人でしょ?入試で唯一、最後の難題解いたらしいよ。」
葵にとって、その幼馴染の名前はいま最も聞きたくないものであったが、一度聞こえてしまったら耳を閉ざせなくなってしまった。
「わぁ、いるんだねー、そういう秀才くん。もしかして、この講義にもいたりするかな?」
「あっ、あの一番前の右の方に座っている背が高い人だよ!」
「えっ、結構かっこよくない?」
聞き耳をたててしまっていた葵も自然と、誠のいる方へと視線を向ける。この講義を受けるときは、いつも一番前の右の方に座っていることは知っていた。
誠は華やかなタイプではなかったが、切れ長の一重のあっさりとした顔立ちはよく見ると整っている。本人は自分の外見を着飾ることにさほど興味はないが、180㎝を越える長身と細身の体型で何を着ても様になってしまう。加えて、頭脳明晰なことから中学高校時代も噂の的になることも少なくなかった。
ただし口数は少なく無愛想なため、女子に表立って騒がれるような存在ではなかったが、隠れファンは多かったと葵は認識している。実際に、何度か彼女の有無を葵に確認されたことがある。
つまり、誠は女性からみて魅力的な存在であるわけだが、葵が知る限りでは今まで誠が彼女をつくったことはなかった。
きっと恋愛事には興味がないんだろうな、とずっと思っていた。
(それにはちゃんと理由があったんだけどね。)
そんな瞑想にふけりそうになったところで、咲が葵のもとにやってきた。
「葵ちゃん、席ありがとうね。なんかまたぼーっとしてない?体調悪かったりしないよね?」
「大丈夫だよー、春はみんなこんな感じだって。」
心配してくれた咲に、沈みはじめていた心を悟られないようにまたおどけて笑って見せた。