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御簾ごしの姫  作者: 甲姫
3/4

~秋~

 五年の月日が流れてなお、ぼくのつとめは変わらない。

 壮大な夕焼けを眺めながら金木犀をかき集めた。新鮮なうちもいいが、乾燥させれば後で茶にできる。

 持ち帰った花を整理し、今夜の分を腕に抱えて、参上した。


「失礼いたします。淡雪です」


 秋は夜が肌寒い。それゆえ障子が全て閉じられている。ぼくは軒先の燈篭の下で、応答を待った。

 しばらくして女房が開けてくれた。ぼくは縁側から上がり、灯台の照らす箇所へと歩み寄る。女房は姫さまの部屋の障子も少しだけ引いて開けた。


「姫さま、本日の花をお持ちしました」

「近う寄れ」


 今宵は一段と声がか細く聴こえた。

 時が経つにつれ、姫さまは以前ほど楽しげに語りかけてくることがなくなった。けれども相変わらず、白い手を御簾から伸ばして、手招きをしてくださる。

 月に何度かお加減が悪くなって、会ってくださらない時がある。つい先日がそうだったため、まだ調子が戻らないのだと考えられる。

 いつかそういった折に年配の女房にこっそりと打ち明けられたことがある。どうやら姫さまは本当に花を食べておられる、らしい。それどころか、他にどんな食べ物も受け付けないそうな。

 信じられなかった。食用にも使える花は何種類か存在するが、それと毎食花を食すのとでは大きく話が違う。

 奇怪な事実に動揺したものの、やがて受け入れて、何事もなくつとめに徹した。

 花を献上した後、沈黙が下りた。ぼくは退室の許可を請う。すると何故か姫さまが引き留めた。


「奇特なやつじゃ。そなたは声変わりをする以前からつとめておるな。すっかり図体も大きくなって……こんなに長くもつとはのう。もう、わらわの実態もわかっていよう」


 何とお答えすればいいかわからないので、黙って続きを待った。いつしか女房の気配はしなくなっている。


「恐ろしくないのか。花しか喰えぬ女など、気味が悪かろう」

「めっそうもありません。ぼくが集めている花が姫さまのお食事になるとわかってから、ますますやりがいを感じております」

「そなたの献身はうれしい。しかしわらわは鬼じゃ、淡雪」

「おに……? だとしても姫さまは、姫さまです」

「ちがう!」


 彼女は荒々しく御簾を叩いた。かと思えば、勢いに任せて巻き上げた。

 ぼくはつい顔を上げて、呆気にとられる。

 姫さまが頭巾か何かを脱ぎ捨てたらしい。視界を覆う白い布がはらりと落ちた。その向こうから現れた異様な面貌に、刹那、見惚れる。

 すぐに目を逸らした。高貴なる姫の顔をぼく程度の人間が直視するなど、あってはならない。

 そんなぼくの顎を、しなやかな指が捉える。目線を強引に誘導された。必死になって目を逸らすも、うまくいかない。

 姫さまは区切られた空間から身を乗り出している。どきりとした。覗き込む澄んだ黒い双眸に、そして顎に触れるひんやりとした指に。


「この角と牙を見よ! 心が昂ると、勝手に出てしまう。醜いじゃろう」


 命じられた通りにしながら、ぼくはゆっくりと頭を振った。悲痛な叫びが胸を突き刺すようだ。

 尊大に振舞うが、姫さまは繊細で傷つきやすい。先に人を突き放すことで身を守っているおつもりなのだ。長く湾曲した角や牙があろうと――なんとも可憐で、愛くるしいお方だ。


「母が異国の民に乱暴されたがために、ぼくは生まれました。母が捨てた代わりに村長が拾ってくださいましたが、結局どこに行っても疎外感がついてまわった。でもここは違う。ぼくに温かい居場所をくださる姫さまは、この世で最も美しく、尊いお方です」

「尊い!? そなたはまだ知らぬだけじゃ、わらわの餓えを。花以外にも口にしたいものがあるぞ。時々、人の血肉を喰らいたくなって、たまらぬ。たまらぬのじゃ!」

「ではどうか喰らってください。姫さまがそれで楽になれるなら、ぼくの血肉など、惜しくはありません」


 そっと彼女の手を払い、改めて平身低頭した。

 狂おしい静寂があった。生唾を呑みこむ。じきにサラサラの髪がぼくの耳元にかかり、細い手が肩に触れた。


「いいにおいじゃの……日の下を自由に歩き回る、血色の良いもののにおいじゃ。そなたはいつも両手いっぱいに花を持っているのに、花よりも野原の匂いがするのじゃな」


 熱を含んだ囁きがぼくの首筋を掠める――

 激痛に襲われ、反射的に瞑目した。すぐにねっとりとした柔らかいものが傷口をなぞる。あふれ出すものを、舐めとってくださったのだろうか。痛みが徐々に麻痺していく。

 目を開くと、恍惚とした表情で血を啜る姫さまがすぐそこにいた。ぼくの血液が姫さまの顎をしたたり、単衣ひとえを赤く染めていくさまに、何故だかぞくっとした。

 突然、姫さまが我に返ったように顔を上げた。青ざめて、ぼくを揺さぶる。


「逝くな淡雪! わらわを置いて逝くのは許さぬぞ」


 大げさだ。安心させたくて、なんとか笑みを作った。


「いいえ、まさか。明日も姫さまに生きる楽しみがありますように……まだ、死ねません」

「……すまなかった。もうさがれ。手当てはしっかりやるんじゃ……」

「失礼します」


 恥じらって顔を袖で覆い隠す姫さまをもっと目に焼き付けたかったが、大人しく踵を返す。

 傷口を手の平で押さえながら、また明日、と去り際にぼくは呟いた。聴こえていたかどうかはわからない。

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