~夏~
ぼくがこの山奥の屋敷に来てから季節は巡り、茉莉花が芳香な夏がやってきた。
「姫さま、本日の花をお持ちしました」
「近う寄れ」
今日も姫さまは新鮮な花をご所望だ。いつも花が捨てられるところを見たことが無いから、どこに消えているかはわからない。調べようとしたこともあったが、女房たちが立ちはだかって、難航した。
「そなたはよく飽きもせずに毎日毎日、わらわに花を持ってきてくれるものだな」
「おつとめですから」
おかしなことをおっしゃるお人だ。たとえ飽きようとも、それが役目である限り、放り出したりはしない。
それに、この屋敷は居心地が良いのだ。姫さまのお役に立って、ずっとここに居たい。
「ふふ。最近、そなたが来る時間が一日の楽しみじゃ」
「光栄です」
今度はうれしいことをおっしゃられる。楽しみにするほどの何かが、ぼくの来訪にあるとは思えないのに。
優しいお言葉をかけられて、ぼくは大胆な気持ちになっていたのかもしれない。頭を下げたまま、思い切って訊ねたのだった。
「教えていただきたいことがあります」
「なんじゃ、申してみよ」
御簾越しに彼女が扇子を煽ぐのが見える。僅かばかり、警戒を滲ませた声だった。また拒絶されたらと思うと、恐ろしい。それでもぼくは引き下がらなかった。
「姫さまはどうして、桜がお嫌いなのですか」
「……季節も移ろったというのに、そなた、そんなことをまだ気にしておったのか。あれはそなたの落ち度ではない」
「では教えてくださいますか」
気弱そうな面をしておるのに押しの強いやつじゃの、と姫さまは呆れ笑いを漏らした。お気を悪くした風ではなかった。肩にかかった長い髪を手先でいじりながら、姫さまは咳払いをした。
「母上を思い出させるからじゃ。いつも少し赤らんだ頬が愛らしい、桜と並び立つととても絵になるお方じゃった。『桜の宮』と帝に――父上に、そう呼ばれていた」
姫さまが次に語った内容は、ぼくに衝撃をもたらした。
「母は嫉妬深い女でもあった。父の他の寵姫に隙あらば嫌がらせをして、独占しようとした。そしてその矛先はついにわらわにまで向いた」
――信じられない! こんな、花にしか興味ないような幼子が! 帝の寵愛をいただくなんて……!
「わらわが十二歳になった頃、父上はわらわにやたらと構うようになった。『遊び』と称して、気色悪いまねまでしてきたな。母はそんなわらわにまで嫉妬した。果ては怨念によって体に異常をきたし、呪詛を吐きながら息を引き取ったという」
姫さまのお声には厭悪が含まれている。それが母に対してなのか、父に対してなのかはわからない。昔語りは静かに続いた。
――可愛くない子! 呪ってやる! お前なんか、一生花でも食べていればいいわ!
「母の怨念を一身に受けて、わらわも異常になってしまった。わらわは花喰いのアヤカシじゃ、淡雪。現帝の皇女でありながら、屋敷から出られず、誰とも会えず、ひそかに朽ち果ててゆくしか許されていない惨めな女なのじゃ」
ぼくは息をのんだ。アヤカシだの呪詛だの、姫さまは、何をおっしゃっているのだろう。
いや。そんなことよりも気色悪いまねって、なんだろう。よく、わからなかった。
姫さまは現在十九歳だと聞いている。七年前の出来事を今なお引きずり、心の傷を癒せずに過ごしておられるのだろうか。
あまりの仕打ちではないか。こんな境遇のまま朽ちていいようなお方ではないと、ぼくは頑なに信じて疑わない。そう抗議をしたら、姫さまはそっけなく手を振った。
「むだじゃ、むだじゃ。気持ちはうれしいがの。帝のすることに、抗えるはずがあるまいに。衛兵と言えば聞こえはいいが、わらわが逃げぬように監視しておる」
「ではせめてものお慰めに。今晩は口どけの良い、美味なるお花をお持ちします」
ぼくは「花を喰う」という主張を本気で信じたわけではなかった。ここで話を合わせれば、姫さまは気をよくしてくださるのではないかと考えての提案だ。
「なら、薔薇を探してまいれ。花びらを砂糖に漬けるとうまいのじゃ」
「かしこまりました」
その場を辞して、厨房へ足を運ぶ。
砂糖といえば、町では高額で取引されている貴重品ではないか。祝いの席でなければ目にかかることすらできないのがぼくの認識であった。
けれど姫さまの御為、屋敷の者は喜んで貴重な砂糖を保管庫から出してくれる。ぼくは女房たちに話をつけてから――日が暮れるまでの間に薔薇を手に入れるべく、山に踏み入った。