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第七話

 刹那の沈黙が流れ、一号は応えた。


「それは、四号から既に話されているはずですが」

「魔物の侵攻で機械も街も捨てて逃げたって話か? 信じろって方が難しいな」


 一拍置くようにテッドはスープをひと匙すくって飲む。


「この街。いや、都市か? を捨ててどこに逃げる? 当時の環境がどうとかは知らんが、機械技術(お前たち)を抜きにしてもここまで発展しているんだ。周囲にそれ以上の街があったとは思えない。遠ければ道中で魔物の餌食だしな」


 テッドの口から次々と質問が溢れ出す。一方で一号はそれを沈黙で受け止めている。


「なあ、もしかしたら何だが……お前たちが守ってるのはこの街じゃなく……まだ人なんじゃないのか?」

「…………!」


 一号の表情がハッキリと変わった。銀色の双眸が一瞬見開き、口角が萎縮する。

 テッドもそれを見逃したりはしない。図星といった顔だ。


 ——やっぱり、機械とは思えないな。


「……四号がそうなのかロボット全般がそうなのかは知らないが、嘘が下手なようだな」

「そう……ですね。彼の嘘がもっと上手であれば、テッド様が疑うこともなかったのでしょうけれど」


 一号はスープを静かに啜る。

 味を確かめるように目を閉じ、舌の上で転がし、飲み込む。

 ちょうど、二人の皿は空になった。なんの合図もなく扉から灰色の猫——八号がワゴンと共に現れ、皿を片していく。

 そして、一号はゆっくりと立ち上がる。


「いいでしょう。お見せしましょう。私たちが守るものシャングリラ・システムを」



 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇



 エントランスを後にし、再び一号の案内の元で塔の中を歩いていた。場所としては塔の中腹から少し上あたりの階だろうか。

 通路から通路、そして通路へと無限とも思えるほど続く長い道のりを経て、やがて、他とは毛色の違う巨大な両開きの扉の前へと辿り着いた。


「ここは……」

「この中にEVE(私たち)存在理由(守るべきもの)があります」


 ごくり、と喉を鳴らし、テッドは前に進み扉を押し開いていく。

 中は暗かった。

 廊下などとは違い照明が一切存在しないようだった。

 目を凝らして、暗闇に目を馴染ませていく。

 少しずつ少しずつ、徐々に徐々に——暗闇の中で小さく淡い、青い光が見える。

 それが六つ並んでいるのが分かる。


「なんだ……あれは?」


 テッドは歩を進めて光との距離を詰めていく。

 青い光を放っていたのは、深めの調理鍋くらいの大きさの透明な水槽だった。

 どうやら、その中に満たされた青い液体が下から照明で照らされていたために青く見えたようだ。


 青い液体の中には、表面にシワの様な模様が深く入った肌色がかった薄いピンク色の歪な球体が浮かんでおり、それには三つの電極が繋がれていた。


 ついに暗闇に目が慣れた。そして、気がつく。

 目の前にある灯りのついた水槽はほんの一部だということに。

 彼の目の前、この部屋の一面にあるもの。

 灯りがついていないだけで、同じ液体に同じ物体が入った円柱形の容器が、数万単位で並んでいるその光景をテッドは目の当たりにした。


 ——気持ち悪い。


 直感的にそう感じた。


 ——気持ち悪い。気持ち悪い!


 見れば見るほどに頭の中を掻き回される様な異様な感覚に襲われる。


 ——気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い!!


 二、三歩下がって、両膝をつき床に向かい、飲んだばかりのスープを吐き出した。

 胃液が喉から登ってきた不快感が残り、酸っぱい匂いが鼻腔を満たす。自然と涙目にもなる。


「こ、これは! これはなんだ!?」


 得も言えぬ怒気を放ちながら、叫びを持ってテッドは一号に問い詰める。

 すると、六つあった容器の内の一つが発していた青い光を消した。


「間に合いましたね」


 言いながら、一号はその容器の前に立ち、深々と礼をし、続けてこう言った。


「享年一〇二年。お疲れ様でした。どうぞ、ごゆっくりお休みくださいませ」


 ——おい、なんだその言葉は? まるで……まるでそれが!


「生きて、そしてたった今……亡くなりました」

「……!」


 思考を先読みしたように告げた。

 驚愕するテッドに目も合わせず、頭を上げた一号は続ける。


「お察しの通り、この水槽の中にあるのは人の脳です」

「お前ら……」

「水槽の脳。という仮説をご存知ですか?」


 その淡々とした問いかけにテッドは知らない。とだけ返す。


「簡単に言えば、あなたが体験しているこの世界は——脳が見ている仮想現実の世界(バーチャルリアリティ)なのではないか? という仮説です」

「仮想現実? それが……一体どうしたってんだ」

「要するに……シャングリラ・システムとは、その仮想現実を脳に齎す側となるCantGoTu(バーチャルリアリティ)環境。この水槽の中で彼らは人生という夢を見ているのです」


 テッドは床を蹴り、一号に掴みかかろうとする。が、まだ病み上がりの身である。立ち上がれば早々にバランスを崩してその場に倒れてしまう。


「お前は……! これが……こんなのが……生きてるって言うのか!?」

「はい」


 当たり前の様に一号は肯定する。

 這い蹲りながら、ギリギリと噛み締めた歯が鳴る。


「一体誰がこんな狂った機械を……!」

「シャングリラ・システム。そしてシャングリラ・システム防衛機構EVE(イヴ)を開発したのは他でもない……エディ・エルドレッド博士です」


 一号は腰を低くし、這い蹲るテッドの頬を右手で撫でる。その仕草に反射的に床に向かって腕を伸ばし、むりやり体を床から引き剥がして、今度は杖を使ってしっかりと立ち上がった。

 横には青い光を放つ、人の脳が入った水槽がある。


「……こんなもの!」


 杖を振り払い、この不快感を拭いたい衝動のままに水槽を破壊しようとする。が、一瞬にして間に入り込んだ一号にそれは阻まれる。


「クソ!」


 すぐさま杖を引き戻す、一号はそれに抵抗しない。手元に戻った杖をつき、二歩三歩と距離を取る。


「言いましたよね……。EVE(私たち)はシャングリラ・システムの防衛機構。エルドレッド博士の悲願である水槽の脳計画。それを果たすためのシャングリラ・システム。そして、果たし終えるまで守るのが私たちの役目……」

「分かんねぇ……理解できねぇよ……。こんな脳みそだけになって、機械の一部みたいなやつらが生きてるって言えるのかよ……」

「確かに、こちら側から見ればこの方達は生きている様には見えないのかもしれません」

「……! じゃあ!」

「それでも当人たちからすれば、自分は紛れもなく生きているんです。このシャングリラ・システムの中に保存された八〇兆通りの人生パターンを辿り、幸も不幸も山も谷もあるごくごく普通の人らしい人生を送り、死を迎えた頃にシステムも機能を停止する。それをかつてこの街にいた人の数だけ行う。それが水槽の脳計画」


 一号の弁舌にテッドは口籠る。

 彼女の言う水槽の脳計画が正しいものなのかは分からない。しかし、水槽に浮かぶ脳だけを見て生きているなんて肯定はできない。

 かと言って、シャングリラ・システムの仮想現実の中で生きる彼らを安易に否定するほど非情にはなれなかった。


「……お前たちはどれくらいこれを続けてるんだ?」

「およそ四百年ほど」

「! そんなに長く……」

「実のところ、シャングリラ・システム発足時に水槽に入っていた街の方々は既に亡くなっています」

「じゃあ、今起動している水槽に入っているのは……」

「テッド様と同じ、旅路の果てにこの街に辿り着き、そして自ら水槽に入ることを望んだ方々です」


 驚愕し、ふらつき、杖が床を短い間隔で鳴らした。

 四百年も経てば、その中で旅人の一人や二人は街を訪れるだろう。当たり前だ。しかし、


 ——望んで水槽の中に入った?


 まさか、どうして、何があった。と単調な質疑だけが脳裏を駆け巡る。


「……もちろんあの方たちも初めはテッド様と同じようにシャングリラ・システムを嫌厭しておりました。しかし、時を経て再び旅に出た時、身を以て経験し思い出したのです」

「……一体、何を思い出したって言うんだ?」


 恐る恐るテッドは口を開く。

 その答えを彼はとっくに知っているだろうに。


「魔物、そして——龍の存在。人類にもう行き場などない。と言うことにですよ」


 龍。その言葉に酷くテッドは表情を暗く歪ませた。


「どうやら、テッド様も龍には因縁があるようですね?」

「……そうだな。俺は龍に……全てを奪われた」


 杖を握っていない左手を見つめて、テッドは固く拳を握る。

 その目に怒りや無念、後悔が滲んでいた。


 一号はそっと右手で青く光る水槽を撫でる。

 その近づいたことにより光に染められた白髪は、美しくも冷たい色になった。


「結果、この方たちは戻ってきました。そして、龍の侵攻以前の人が人として暮らしていた時代の生活。自分たちが生まれるよりも前の時代の人になることを望んだ」

「……こいつらは、逃げたのか?」

「向き合った故の結論です」


 水槽から手を離し、一号はテッドの方へ踵を返す。

 そして、もし、と前置きし、


「テッド様がシャングリラ・システムを望むのであれば私たちは受け入れます。私たちが守ります」


 次に、ですが、と置いて、


「現在、水槽に入っている方々の余命は一月ほどです。それまでに決めてください。水槽に誰もいなければシャングリラ・システムは自動的にその機能を永久的に停止します。ですのでもし、テッド様が……」

「必要ねぇよ。俺は……水槽には入らない」


 確かな覚悟で言っていることが、その金色の眼差しから一号は読み取り、そうですか。の言葉とともにどこか儚げに笑みを返す。


「……部屋に戻る」


 一号が、かしこまりました。と返事をした後、テッドは背を向け、廊下の光の入る扉を方へ杖をつきながら進む。


「少し……頭を整理したい。もちろんさっきの言葉を取り消す気はない。俺は水槽には入らない」

「……はい」


 ふとして、テッドは立ち止まる。


「なあ、お前たちはこのシャングリラ・システムが停止した後はどうなるんだ?」

「システムの防衛機構である私たちは、一見自立しているように見えて、実際はシステムの一部として動いています。つまり……」

「つまり、システムが停止すればお前たちも死ぬ(とまる)のか」

「はい……その通りでございます」


 ——そうか。とだけ返事をして、テッドは再び歩を進め、部屋を後にした。

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