第六話
仄暗い灰色の廊下。扉の前、天井の小さな灯りの下、褐色の犬の隣でテッドは紅茶を啜る。
テッドと一号の悶着。それに終止符を打ったのは他でもないこの褐色の犬——EVEの二号の介入であった。
彼(雄と仮定する)が、割って入ったことにより一号の山の如く動かなかった優先順位が見直され、彼女は今扉の向こうで着替えているわけだが、四号が女王と称した一号を御することができるとは、見た目は犬でも二号と言う番号に伊達ではないらしい。
ついでに紅茶を持って来たのも二号だ。……皿にカップを乗せて咥えて運んだのはいいが、どうやって淹れたのだろうか。
——そういえば、あの時助けてくれたのもこいつ……だよな?
砂漠を彷徨い、行き倒れたあの時見えた獣の脚。あの果てしない砂漠越えをできたのは彼もロボットが故なのか。
二号に手を伸ばして、その頭を優しく撫でる。二号は嫌がるでもなく、心地良く目を瞑って応えた。
砂漠の時、街で二〇〇〇番台たちに襲われた時、できればカウントしたくはないが先ほどの悶着。思えば三度も救われている。
これは、今までし損ねていた少しばかりのお礼だった。
「……待てよ?」
テッドの脳裏に何かが引っかかる。が、扉を開いた音がその思考の引っかかりを弾く。
見るまでもなく、現れたのは着替え終えた一号の姿だった。
「お待たせ致しました。先ほどはとんだご無礼を」
そう言って彼女は深々と腰を降り頭を下げる。重力に従って垂れ、揺れる白髪はまるで木漏れ日のようで、優雅で形式ばったその仕草はこの街のどのロボットたちよりも機械的だった。
「い、いや、謝るのは俺の方だ。お前が頭を下げる必要なんてない」
徐に頭を上げ、少し首を傾げながら、一号はテッドの目を合わせて、ふっとほくそ笑む。
その姿は、どう見ても人の少女のそれだ。
「こう言うとアレなんだがな、未だにお前たちが機械だってことが信じられないな」
テッドはそう言いながら一号と二号を交互に見やる。
「そうですね。私と二号は特にそうでしょう」
「と言うと?」
「私たちは本来、人の生活の中で活動するロボットなのです。本来であれば戦闘やその指揮と言ったことは謂わば、専門外なのです」
テッドは初めて一号に出会った時のことを思い出す。
自身が魔物に手も足も出ずに持久戦でなんとか持ち堪えていたところを彼女は難なくその首を刎ねた。
その勇ましくも美しいその姿を忘れはしない。
「専門外……ね。とてもそうとは思えないな」
「本来の目的よりは……肉体も大幅に強化されて、専用の戦闘デバイスも作られておりますので……」
自身の手のひらを見つめながら、どこか物悲しそうに一号は語る。
人の生活の中で、と言うことは本来ならばその色素の薄い手に握られていたのは重い刀剣などではなく、暖かい人の手だったのだろうか。
「…………おい」
呼びかけに反応して一号は視線を手のひらから移す。
テッドは右手を差し出していた。
「挨拶がまだだったな、知ってるかもしれないが俺はテッド・ブランデル。この前は助かった、ありがとう」
そこで初めて、明確にして一瞬だけ一号の表情が変わった。ような気がした。
そして、彼女はゆっくりと応え、返す。
「……はい、存じておりますテッド様。私はEVE一号。ようこそパライゾへ、私たちはあなたを迎え入れます」
両者の手が硬く握られた。
「あー、そういえば……」
「どうかなさいましたか?」
握られていない左手でテッドは部屋の中央を指差す。そこには、先ほどまで一号が入っていた円柱型の容器だった。
「いや、あのでかい水槽みたいのに入って何してたのか少し気になってな」
「あれはメンテナンスです」
「メンテナンス?」
聞き慣れない言葉に反響するようにテッドは言葉を返す。
その様子に暫し一号は言葉を模索する。
「そうですね、人で言うところの……入浴と言ったところでしょうか」
「にゅ、入浴!?」
自身の行いを再びテッドは後悔する。人で言うところの入浴。裸になってて当然であった。
それを故意ではないとはいえ覗き見、そして、何を思ったのか二度同じことをした。
決して誰かが彼を責めることはない空間ではあるが、それが一層彼にとって思い詰める要因となっていた。
「どうかなさいましたか?」
「いや、なんでもない……」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
場所は変わり、一号の案内の元、二人と一匹はエントランスのような広い空間に出た。
とはいえ、装飾の類はなく。無骨な灰色の壁がドーム状になり、廊下よりは灯りが多いため少し明るいくらいの印象だ。
「どうぞ、こちらにお掛けください」
中央にはこの空間は不釣り合いな真っ白なテーブルと椅子が置かれていた。
ああ、と拙く返事をしてから促されるままにテッドは腰掛け、向かいには一号が座る。二号はその足元で体を丸めている。
やはり、広い空間に対して使ってる空間が少なすぎるからだろうか、テッドはどうにも落ち着かず自然と体がそわそわと揺れる。
「すみません」
唐突に一号は謝罪の言葉を述べる。
「は? な、何がだ?」
「残念ながら、使える部屋はこれしかないのです。落ち着かないでしょうけれど、どうかご理解ください」
「あ、ああ、そのことか。いや、大丈夫だ。気にすることじゃない」
それは良かった。とだけ述べたら、また暫しの沈黙が続いた。ロボットであるが故なのか一号はどこ吹く風だが、テッドの内心はいっそ台風でも来て欲しいくらいに切迫していた。
辛い、とにかく辛い。
すると、一号が瞑っていた目を開き、右に首を曲げる。
「来ましたね」
その言葉につられてテッドも同じ方向を見やる。
ドーム型のエントランスに複数存在する扉の一つが開かれ、鍋を乗せたワゴンを運ぶ、人型のロボットが現れた。
その頭は灰色の猫になっており、身に纏う給仕服を見る限りは女性型なのかとテッドは推測する。
鍋を乗せたワゴンはやがてテッドたちの座るテーブルにまで運ばれ、蓋が開かれると鍋からは湯気が立ち昇った。
そこで初めて昼時なのだと思い出す。思えば、塔内を延々歩き回っていたため腹は既に空となっている。
「まだ治療中とのことでしたので、シンプルなスープをご用意いたしました」
スープが注がれた底の浅い皿が二枚並べられると共に一号は解説する。
「一号、お前も食べるのか?」
「私だけではありませんよ」
灰色の猫頭は底の浅い皿をもう一枚取り出し、同じようにスープを注ぐ。
彼女は腰を下ろしそれを床へ、二号の元に置いた。
コトッ、という音に反応して目を開いた二号は舌の裏側でスープすくって飲み始める。
「私と二号は人の生活の中で活動することが目的です。そして、人の生活に馴染むためには食事も共にするために私たちは食事をすることでエネルギーを得ることができるのです」
なるほどな、と返してテッドはスープを一口飲む。
ふわっと鶏ガラの風味が口の中に広がる。
「美味いな、これ」
「ありがとうございます。八号も喜んでいるでしょう」
「八号……は、あの猫か」
テッドはその姿を見るために視点を左手に向けるが、灰色の猫は既に扉の向こうで一礼をした後に静かに扉を閉めた。寡黙である。
どうやらというかやはりというか、四号ほど喋るロボットは珍しいらしい。
「……少し質問いいか?」
「ええ、構いませんよ」
あまり気分のいい話ではないが、と前置きをして、テッドは真剣な面持ちで問いかける。
「お前と二号は人の生活……まあ、人と関わるのが目的に作られたと言ったな。ってことは、お前らはこの街にまだ人が居た頃から作られているってことだよな?」
「その通りです。この街の防衛を目的として製造されたのは三号からになります」
テッドは一時唇を噛む。
この先を言ってしまえば、少なくとも現在の彼らの見方に彼らとの関係性に大きく変化が起こると潜在的に察しているからだ。
そして、決心を決めて口を開く。
「じゃあ、知っているだろう……。この街の住人は、どこに行った?」