第五話
「はーい、テッド君。朝ごはんですよ〜」
半分揶揄うように言いながら、テッドのいる病室の扉を開けたのは白いカラス頭のロボットだった。
「四号……お前、ほんと他のロボットと違ってよく喋るな」
そう言いながら、ベッドから上半身だけを起こした状態でテッドは四号が運ぶ食事の乗ったトレイを受け取る。
鶏肉のソテーにスクランブルエッグ、トマトとキャベツのサラダ、そしてライ麦パンが今日のメニュー。徐にフォークでキャベツを口に運び、シャクシャクと咀嚼する。
テッドがこの機械の街——パライゾに来てから既に三ヶ月が経過していた。
四号が言うには、彼の容体は死に至るほどではないものの完治には相応の時間を要するものだったらしく、この街にある技術を用いても最終的には自然治癒頼りであり、今もテッドはベッドからほとんど動けない(許されていない)状態であった。
その間はずっと読書。それか四号からこの街について聞くだけだった。運動はダンベルやハンドグリップで腕を鍛えるのが精々。
曰く、この街は本来歴とした人の住む街であり、黒い外壁などはなく、都市としても国としてももっと広大なものであったと言う。
しかし、それを壊したのは他でもない魔物の存在であった。
人々は魔物から逃れ、街に残されたロボットたちはこの無人の街を一号を中心に守り続けている。それがこの街の現在。
そして、そんな街に居るロボットを総称してEVEと呼ぶ。
——こいつらは……街の住人から捨てられたってことなのか?
テッドはパンを齧り、唾液に溶かして飲み込んだ。
四号とこの街の本のお陰で多少なりとも彼らに対する知識はある程度はついた。
来たばかりの頃は、彼らロボットは機械だと言われても、テッドの知る機械(手作業等に使う)とはそのレベルがかけ離れていたため、全く理解できず、五〇〇年の技術の差と言うのはあながち間違いではないのだろうと納得していた。
因みにロボットの中でも四号がやたらと表現豊かなのはヒトのあらゆる治療に特化したロボットであり、外科、内科、精神など、ありとあらゆる医療行為を行うために患者に合わせた様々なコミュニケーションを可能にするためらしい。
つまり、感情や意思による行動ではなく、そう言うことができるロボット故の動作なのだ。
——なのにやたらと癪に触るのはなんなんだろうな?
チキンソテーもスクランブルエッグも食べ終えて、使った食器をトレイの上に並べる。
その様子を見て、四号は頷く。
「うむ、良好なようだね。消化器官のダメージは少なかったのは運がいい」
「そりゃどうも。毎日美味しくいただいていますよ」
「食への感謝を忘れないのは良い心がけだ。七号も喜んでいることだろう」
七号とは、このパライゾにおける農畜産物の生産を行なっているロボットのことだった。
過去にテッドは、ロボットしか居ないこの街に食料は必要なのかと問いたが、君がいるだろう。と半ばはぐらかされた。
「うん、うんうん」
「なに唸ってんだ?」
四号は手に持った薄い端末を見てどこか大げさにそのカラス頭を縦に振っていた。
「テッド君。これを使いたまえ」
そう言って四号はそれを投げ渡した。
咄嗟にキャッチした長い棒に握りの付いた……と分析するまでもなくそれは杖だった。
「この部屋のみの生活はいい加減飽きただろう? 退院、とまではいかないが今のバイタルなら、杖をついて少し歩き回ることくらいは大丈夫」
「本当か!?」
「まあ、塔の中を冒険するくらいかな。外に出て無茶されても困るし」
「……ちょっと待て、ここ……あの黒い塔の中なのか?」
「え……知らなかったの?」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「おっと、立つのってこんな難しかったか……?」
立つどころかまともに脚を使うのですら久しぶりであるテッドにとって杖を使っていてもそれは困難を極めていた。
重心がうまく定まらず、体重は杖を握っている右腕にかなりかけている状態だ。
「まあ、君も二足歩行する人間だ。あんよをやめてからずっとやって来たんだから、三ヶ月ちょっとで綺麗さっぱり忘れるわけないって」
「ああ! なんかムカつく!」
そうこうしている内に三本足で歩ける程度には感覚を取り戻したテッドは悠々と塔内の探検に出る。
「暗くなる前に帰ってくるんだよー」
「塔の中じゃ明るさなんて変わんねーよ!」
「おお、そこ突っ込むんだ」
——小一時間は経っただろうか、あの巨大な塔の中と聞いて予想はしていたが、その複雑さはテッドの想像を遥かに超えていた。
エレベーターには優に100を超えるボタンがあると思えば、その先でまだ別のエレベーターに乗り継ぐことができたり、長い廊下からやっと扉を見つけたと思えばまた別の長い廊下であったり、と言うより部屋が少な過ぎる。
いくら散策しても廊下、通路、回廊。
探せど探せど、一向に部屋らしきものが見つからないという奇妙な構造をしている。要するにどう言うことかと言うと
「……迷った」
これほど歩けば杖を使った三足歩行などとうに慣れたものだった。
兎にも角にも何かしらの方法でもってロボットたちに接触し、病室に戻る道を知らなければならない。
その為にも目に入る扉は片っ端から開けていく。
——そう言えば、塔の中にはロボットがいないんだな……。
その時、最悪な結末がふとテッドの脳裏に過ぎる。
——まさか、こんなとこで野垂れ……死ぬ?
自然と小走りになり、嫌な汗が流れた数だけテッドは引き続き扉を開く。
テッド・ブランデルには何もない、家族も友人も生きる理由すらも。
しかし、しかしだ。
まさか、治療している病室がある施設内で迷子になって死ぬ。というのは些か格好が付かないというものではないだろうか?
未練があるとか、彼らに助けられ拾ったこの命を粗末にはしない。とか、そういうのではなくて、単純に人か男としてかのプライドがそんな死に様は嫌だと叫んでいた。
「冗談じゃねぇ、冗談じゃねぇ、冗談じゃねぇ!」
ぶつぶつ独り言を言いながら、また一つ、二つ、三つと扉を開く。
そして、廊下。ではない。一つの部屋にようやく辿り着いた。
部屋と分かるや否や、目を見開いて内部を探る。
病室とそう変わらない広さの間取りの中には、複雑な機器が壁から壁へと連なっており、それらから伸びるコードは中央に設置された巨大な円柱型の容器に収束されており、その中には少女が一人。
一糸纏わない姿で容器を満たした青い溶液と共に収められていた。
——って、ん?
溶液の中で静かに小さく浮いたり沈んだりを繰り返している中で、揺れる白髪の隙間から僅かに覗く見覚えのある銀の瞳が、こちらに気付いたようだった。
「す……! すまん!」
やや乱暴に扉を閉め、踵を返して息を吐く。
容器の中にいたのは、間違いなく一号であった。
四号の治療を受けてからおよそ三ヶ月。その番号を教えられただけで以降面識は皆無であったが、あの日あの時、彼を助けた白く繊細で猛々しい少女の姿を忘れたことはなかった。
しかし、テッドはそこで思ってしまった。
——なんでロボットの裸で俺が焦らなくちゃならないんだ?
その発想で謎の落ち着きを取り戻したテッドは、返した踵を再び返して、再度扉を開く。
もちろん側からすれば開いていい道理など通っていない。
むしろ、ロボットだからと開き直ってると受け取れる分、時と場合によってはセクハラのそれである。
隙間からちらりと観察する。先ほどとは違い、円柱上の容器からは青い液体は抜けており、その中身は空であった。
その事実を見て、テッドは視線を少し下に下げる。
あちら側も扉を開けようとしていたのだろう。白髪の少女——一号は、テッドと肉薄した距離まで歩み寄っていた。もちろんさっきの今だ。一糸纏わぬ姿は変わらない。
無言でテッドは扉を閉める。先ほどまでの自身の思考は食いたのだ——が、閉め切る前にそれは阻まれる。扉の向こう側からか細い少女の指が現れ、テッドが力を入れる反対方向に力を入れて、扉を開こうとする。
——ち、力強っ!
もちろん彼女もロボットだ。姿形はか弱い少女のそれだが、その実、驚異的なパワーを持ち合わせている。
それに比べてこちらは右腕は杖を握っているために左手のみで対抗するしかない。無論、勝機などなく、抵抗の中で少しずつ開いていく隙間から煌めく銀色の双眸がテッドを凝視した。
「い、いや、俺が悪かったから! だからお前は今すべきをことをなぁ!」
「脈拍に少々異常が見られます。早急に対処した後に然るべき検査を」
そう言いながら一号は更に力を加えてテッドの抵抗を押しのけ、グイグイと体を廊下へと押し出す。
初めて見た時はローブを纏っていたため思いもしなかったが、存外彼女はグラマラスな体型をしていることがこの一連の流れで明らかになる。
付け加えて先ほどまで浸かっていた青い溶液が純白の髪を柔らかな白肌を伝っていくことにより増強されるその艶かしさは最早、物理的なパワーよりも驚異的なものとなっていた。
「結構だ! 何も問題はない! だからお前は服を着ろ!」
「優先順位に変化はありません。早急に対処した後に然るべき検査を」
「だからそれが一番の対処だっつってんだよ!」
生身の人間でなければ、いくら精巧な人型であっても性的な反応など示さない。ということは理屈は残念ながらない。
肉体的にも精神的にも切羽詰まった人の思考など所詮そんなものであった。