第三十七話 作り物の恋、本物の恋
「海、そこの本取って~」
「これ?」
本棚の前に乱雑に積まれた本の山から、彼女の指差す本を取って渡す。
「違う~。その隣の本」
彼女に言われて、本を受け取り、新しい本を渡す。
「やっぱり仕入れすぎたね」
「だね~」
「だね~って、反省してないでしょ?」
「ばれた?」
こんなに表情豊かな子だとは思わなかった。
そんな彼女につられて、こっちも笑顔になる。
あの日、両親からの電話を受けて、慌てて二人の部屋に行った俺が見たものは、誰もいない血まみれのリビングだった。
あの日から、満月は姿を消したまま、数年が過ぎた。
♪♪♪
「ごめん。手離せない。海、でて~」
脚立に乗って本と格闘している彼女の言葉を受けて、受話器をとる。
「……はい、わかりました」
「誰から?」
言葉少なに電話を切った俺を見て、彼女が不思議そうな顔をする。
「俺の両親。……満月、亡くなったって」
「えっ? 満月さん、見つかったの?」
彼女が目を見開く。
「いや。満月の両親が手続きしたんだって。満月が失踪してから随分たつし、もう区切りをつけたいって」
この日、姿を見せないまま、満月は亡くなった。
満月が失踪した日から、たくさんの人が満月を探した。もちろん俺も。
でも見つからなくて、しばらくした頃、俺の話になった。
誰が俺の次の代表者になるか。
順当にいけば俺の両親だったけれど、俺と満月の関係が終わっていることを知った両親はそれを断った。
満月の両親も当然断った中、代表者に名乗りをあげたのは意外な人物だった。
「そっか……」
今、目の前で神妙な顔をしている人物。紅花だ。
満月を最後に見た人物が彼女だった。
失踪の前日、俺のことで満月と話がしたくて、紅花は満月の職場をたずねたそうだ。
そこで満月からクローンの話を聞かされ、後を頼まれたと紅花は証言した。
もちろん、そのことで紅花は変な疑いもかけられた。
でも、数日後、藤さんの元に代表者を紅花に変更したいとの満月直筆の手紙が届いたということで、紅花の疑いは晴れ、彼女が俺の代表者となった。
俺は仕事を辞め、同じく仕事を辞めた紅花と住んでいた町から遠く離れた場所で本屋を始めた。
今、俺は海と名乗っている。
宇宙のクローンではなく、海という一人の人間としての人生を生きている。
クローンを作った満月のことをどう思えばいいのか、いくら考えても答えはでなかった。
自分がクローンであることに悩んだし、今でもその悩みは尽きない。
だから、手放しで感謝はできない。
でも、生きていて楽しいことも、もちろんある。
だから、満月もどこかで幸せに暮らしていてくれればいいな程度には、この数年で思えるようにはなった。
「大丈夫?」
「うん」
心配そうな顔をする紅花に俺は答えた。
♪♪♪
「はい。木霊です。……そうですか。わかりました」
「電話? 誰から?」
軽く首を傾げてこちらを見る彼女に俺は答える。
「藤さん。満月ちゃん、亡くなったんだって」
「え?」
驚く彼女の手を取り、説明する。
「ご両親がね。手続きしたんだって」
「そっか……」
「大丈夫?」
「うん。……そっか、私、死んじゃったかぁ」
おどけてみせる彼女の手は震えていた。
そんな彼女を俺はそっと抱き締める。
満月ちゃんと会った次の日、その日も宇宙が出社しなかったことを不思議に思った俺は、宇宙と満月の住む部屋をたずねた。
そこで俺が見たのは、血だらけの満月ちゃんと宇宙に宛てた手紙だった。
俺が見つけた時点で満月ちゃんはすでに息を引き取っていた。
宇宙の心変わりには気づいていた。
許せなかった。
満月ちゃんはあんなに健気に宇宙を支えているのに。
満月ちゃんは宇宙だけを見ているのに。
俺はこんなに満月ちゃんが好きなのに。
満月ちゃんではなく、出会ったばかりの紅花に心移りした宇宙の身勝手さが許せなかった。
だから、手紙を読んだ。
そして、そこに書かれた内容に驚いた。
宇宙がクローンで、本物の宇宙はあの夏の日の事故で亡くなっていたこと。
その悲しみに耐えきれずクローンを創った自分の弱さを謝る言葉と、紅花への心変わりに気付きながら宇宙を自分に縛り付けようとした狡さを謝る満月ちゃんの言葉が、その手紙には綴られていた。
そして、宇宙の代表者を紅花にしてほしいと書いた手紙を同封するから、それを藤さんという人に渡すよう書かれていた。
どうか幸せになって欲しいという言葉と一緒に。
許せなかった。
なんで満月ちゃんだけがこんなことにならなければいけなかったのか。
俺は手紙に書かれた藤さんという人にすぐに連絡をとった。
そこからは一世一代の大勝負だった。
今思えば、あれが火事場の馬鹿力というやつだったんだと思う。
部屋に来た藤さんとその会社の人たちと一緒に満月ちゃんの遺体を運びだし、そして、白い部屋で俺と藤さんは取引きをした。
俺が満月ちゃんの手紙で知った事実を黙っている代わりに、満月ちゃんのクローンを創り、別人として生きることができるようにすること。
宇宙の代表者は紅花にしてもらうことにした。
一か八かだったけれど、どうやらクローンというものは俺が思っている以上に隠されるべき事実だったらしい。
驚いたことに俺の要求は全て叶えられた。
そして、満月ちゃんは目覚め、俺は満月ちゃんを連れて町を離れた。
もちろん、満月ちゃんには自分がクローンだなんて伝えていない。
彼女は自殺が失敗したとしか思っていない。
「木霊さん、運命の赤い糸って、何本もあるんですかね」
俺の腕からそっと抜け出して満月ちゃんがたずねる。
「やっぱり一本かな。私がズルしたから、神様が怒って切っちゃったのかな」
そう言って満月ちゃんは静かに泣いた。
「そんなことない。作り物だって、信じれば本物になるよ。……俺がきっと証明してみせるよ」
もう一度、満月ちゃんの手をとって、俺は自分に言い聞かせるように言った。
こうして日々は続いていく。
これで完結になります。
小学生のときに思い付いた話をひょんなことから随分たって再度書き始めて、なんとか完結できました。
当時はただの黒歴史だったものが、完結して、しかも読んでくださる方がいて、本当に幸せです。
ありがとうございました!




