第三十一話 変わりゆく二人と二人
宇宙の鞄から本を見つけてから、私は宇宙に本の話ができなくなった。
私が宇宙に「一緒に勉強しようかな」と言ってから、宇宙は自分の勉強の話をしなくなった。
宇宙にクローンの話をしたときから、私たちは結婚の話をしなくなった。
この先、私たちは表面上は穏やかに過ごしながら、いくつのことを話さなくなってしまうんだろう。
そう思ったら怖くなった。
でも、それでもやっぱり、宇宙と過ごした時間が私に宇宙を諦めさせてくれなかった。
「馬鹿だなぁ……」
多分、今、私は人生最大の後悔をしている。
たまたま早めに仕事が終わって、気づいたら宇宙の会社の近くの本屋さんに来ていた。
紅花さんのいるあの本屋さんだ。
もしかしたら宇宙は別の場所で勉強をしているかもしれない。
もしこの本屋さんだとしても一人で勉強しているだけだろうし。
別に宇宙を疑っているわけじゃなくて、ただ早めに仕事が終わったから、ちょっと迎えにきてみただけだし。
心に浮かべたたくさんの言い訳をあざ笑うかのように、本屋さんに併設されたカフェでは宇宙と紅花さんが楽しそうに話をしていた。
店の外から眺めている私には二人の声は聞こえない。
でも、大好きな宇宙の笑顔がそこにはあった。
まるで大輪の花が咲いたような朗らかで柔らかい笑顔が。
好きだなぁ……その笑顔が私に向けられたものでなくても、やっぱり宇宙の笑顔は私を幸せにする。
「帰ろう」
私は二人に背を向けて歩き出した。
この後、私は部屋に戻って夕ごはんの支度をして宇宙を待つだろう。
そして、宇宙が帰ってきたら、本屋さんに行ったことなんて一言も言わずにいつもどおり夕ごはんを食べ、お茶をして寝るだろう。
宇宙も紅花さんと会ったことなんて言いもせず、当たり障りのない今日の出来事を私に話すだろう。
宇宙は自分から私に別れを告げることはできない。
だってクローンなんだから。
それがわかっているのに私は宇宙を手放してあげることができない。
好きだった宇宙の笑顔が私に向けられることがもうないとしても、やっぱり宇宙のそばにいたかった。
「あれ? 満月ちゃん?」
駅に向かって歩き出した私を聞きなれた声が呼び止めた。
「えっ? 木霊さん?」
振り返るとそこには驚いた顔をした木霊さんが立っていた。
「どうしたの? こんなところで?」
不思議そうな顔をする木霊さんに私は何も答えられず俯くことしかできない。
「宇宙と約束でもしたの? この時間だともう会社にはいないと思うよ」
何も答えない私の顔を心配そうに木霊さんがのぞき込む。
「宇宙と喧嘩でもした? 俺、会社に戻るところだから、一緒に行くだけ行ってみる?」
木霊さんの言葉に私はふるふると首をふる。
「なんでもないんです。帰ります」
「何でもないってことないでしょ。う~ん、とりあえずお茶でも……」
そこまで言って木霊さんが息を飲む気配がした。
「……あいつ、なんで!」
いつもの飄々とした口調とはかけ離れた木霊さんの低い声に驚いて私は顔を上げる。
「木霊さん?」
私の声にハッとした木霊さんは私の腕をとると本屋さんとは逆方向に歩き出した。
「えっ、ちょっと……」
「おいしいパンケーキのお店があるんだ。行こう」
声はいつもの木霊さんなのに私の腕を掴む力は強くて、有無を言わせない様子にびっくりして、私は連れられるままにその場を後にした。




