表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/11

自分が間違っていたことに気付いた時、人はどうやって挽回しようとするんだろう。私には手持ちのカードが少ない。とにかくみーちゃんの顔を見て、それから話をしなければ。一人反省会後、夏目君と分かれた足で二階にあがり、私はみーちゃんの部屋のドアをノックした。


「果歩ちゃん、どうしたの?」

「ちょっとみーちゃんに話したいことがあって。入っていい?」

「うん、どうぞ」


促され入った部屋の中を私は改めて見回した。みーちゃんは白を基調とした自分の部屋を、淡くて柔らかなパステル調のカーテン、同色調のベッドとハート型クッションで女の子らしくまとめている。チェストの上には季節に合わせたガラス小物で飾った一角もあり、ミニ畳の上に青い石が敷き詰められた金魚鉢の中で赤い金魚と黒い出目金が涼しげに泳いでいた。周囲には朝顔や敷き石、蓮の葉っぱなど、色とりどりのガラス細工がどれも埃ひとつなく飾られている。こまめに手入れされているのがわかる様子に、細々したものをまったく管理できない私はしきりに感心してしまう。


「わ、夏の金魚って可愛いねぇ!全体的に日本の夏って感じで爽やか。みーちゃんのセンスって好きだなあ」

「そうかな?……えへへ、ありがとう」


はにかんでお礼を口にするみーちゃんが可愛くてまたしても胸がきゅんと鳴った。思わず、でへ、と頬を緩ませた。こんな可愛い子が一つ屋根の下にいるというのに、どうして彼らは即座に恋に落ちないかね、と勝手なことを考える。

ガラス細工はもう一人のみーちゃんも好きだった。病室の引き出しには、何かのお土産に買ってきたガラスの万華鏡が仕舞われていて、時折光に翳して一緒に眺めた。みーちゃんの万華鏡は側面や底辺も複雑な形にカットされていて、ただ窓辺に置いただけでも、光を受けて綺麗なプリズムを映し出す凝った造りのものだった。様々な色彩を散らす繊細で美しい光の乱舞を二人で眺めたことを思い出していたら、不意に一片の光が胸へと落ちた気がした。


夏目君の言葉に私は、おそらくみーちゃんが本当に気にしていることにも気付かないまま一人急いていた自分に気が付いた。とにかく謝って話をしようと、そう思って訊ねたけれど、ここで私がみーちゃんに謝ることに意味があるんだろうか?

確かに私は色々なことを急ぎ過ぎていたかもしれない。なんとかイベントを発生させようと躍起になったり、だけど中途半端に終わってしまったり、逆に警戒心を煽ることになった無駄な行動については、きちんと謝るべきだと私も思う。ただ、私の本音が、家での注意事項なんて無視してみーちゃんが住人の誰かと幸せな恋人同士になってほしいと思ってることに変わりはない。私には、みーちゃんが確実に幸せになれる道を前に遠回りができる気がしない。たとえそれが今のみーちゃんの意思に反することであったとしてもたぶん同じだと思う。

私がこれまで仕掛けてきた下手な誘導が起因しているのはそこだ。方法は変更するとしても、間違いなく私は今後もみーちゃんの恋愛のために奔走するだろう。そういう、根本的なところが譲れない私が謝罪の言葉を口にしたところで、意識の違いは埋まらないんじゃないだろうか。


「果歩ちゃん?」


心に迷いが生じたら、勢い込んだ気持ちが萎んでしまった。黙り込んだ私の名を呼ぶみーちゃんの声にはっとした私は咄嗟に笑顔を張り付ける。

愛らしいみーちゃんの不思議そうな顔に私は思う。きっと私はこの先も自分に嘘がつけないだろう。みーちゃんが菠薐の住人と恋人同士になって幸せになるという、その夢を諦める自分が思い描けない。


「……あのね、今度皆で遊びに行きたいなと思ったんだけど、みーちゃんはどう思う?」


きょとんとするみーちゃんを見つめた私の口からそんな言葉が滑り落ちた。


「ほら、みーちゃんが越してきたあたりってちょうどバタバタしてたから、ちゃんと歓迎会できてなかったでしょ?冬木先輩も息抜きは必要だって言ってたし、秋山君とももっと話したいし、夏目君や春さんならきっと賛成してくれると思うんだ。海いくとかごはんいくとか旅行するとか……内容はなんでもいいから。どうせ一緒に暮らすなら、皆で仲良くなれたらいいなって思うんだけど、どうかな?」

「……皆で遊ぶっていうこと?叔母さんたちも?」

「うん。春さんや夏目君も免許持ってるから、遠出もいけるよ。うちの『タイプ2』なら大人数でも平気だし、祐成やチロも一緒に」


口にしたのは咄嗟の思いつきだったけど、案外悪くない案だと思えた。

そもそもの話、みーちゃんと住人との距離を縮めること自体は悪い話じゃないんだ。

確かに赤の他人が一緒に暮らす上で気をつけなければならないことは山とある。でも下宿という形態の中では距離を置きすぎると別の弊害も生まれてしまう。皆が普通の顔で暮らそうとする中で一人過敏に反応するのは輪に歪みを生むんだ。相手も自身も疲れはて、いつか同居自体がうまくいかなくなる。

だけど私のように、皆は家族のようなものだと思える程に近くなるなら、逆に彼らが味方になる。心の支えが増えたなら、変に邪推する周囲の声も気にしないでいられるようになる。

あくまで皆で、と強調したせいか、やがて少し戸惑った風だったみーちゃんがこくんと小さく頷いた。


「……皆一緒って楽しそうだね。夏休みは果歩ちゃんとももっと遊びたいし……うん、私もいきたい!」


果歩ちゃん家の車大好き、と言いいながら、ちょっとほっとしたように相好を崩したみーちゃんに、ぱっと私の顔が明るくなる。控え目な花がふわっと柔らかく綻んだみたいな笑みに私の鼓動が高鳴った。


ちょ、とんでもなく可愛い生き物がここにいます……っ!


危うく世界中に叫ぶところをなんとか堪え、私は早速みーちゃんの手をとり部屋を出た。

方向性は間違ってないんだ。まずは皆と知り合って、仲良くなって、最後に恋人同士になる。私はその順番を整えてあげれば良い。皆が心配するようなことが杞憂になるくらい、根がしっかりしたカップルになれば問題ないんだから。

ならばさっさと皆の予定を聞いて計画を練らなければ!先ずはまだ縁側にいるだろう夏目君に話を持ちかけよう。

うきうきとした足取りで共同エリアに向かっていた私達は、途中で玄関を開ける音に気がついた。




「春さん! お帰りなさい、遅くなるって聞いてたけど思ったより早いね」

「お、お帰りなさい」

「ああ、果歩ちゃん、美空ちゃん、ただいま」


帰ってきたのはお父さんを除けば唯一会社員をしている春川さんだった。

ふにゃっと笑う春さんの笑顔は凄く柔らかい。春の日差しというか陽の光をたっぷりあびたふわふわの毛布というか。一瞬で人の心をふわっと優しく撫でるみたいな温和な空気に包まれて私も頬が緩んでしまう。でも今日は顔に疲労の色が見える。私は心配になって靴を脱ぐ春さんから荷物を受け取った。脱ぎ終わった後私が持っていた荷物を引き取った春さんは、首元まで締めていたネクタイを片手で緩ませてふうと一息をつく。その仕草はちょっと格好いいって思うのは私だけかな。ちらっとみーちゃんに視線を遣ったら慌てたように顔を背けるところだった。どうやら同類だったらしい。みーちゃんの初々しい反応にニマっとなる。


「明日からの方が忙しくなりそうだから今日は一旦解散したんだ。元々繁忙期は定時退社日以外早く帰れないんだけど、今は納期が近いから。この分だと週末も厳しいかもしれないなあ……。何が辛いって、夜の8時になったらエアコンが止まるんだよ。今日みたいに帰れる日ならいいけど、この先もこれだとさすがに暑くてしんどいなあ」

「何でエアコン止めちゃうの?」

「残業を減らすため。暑いのが嫌なら効率よく仕事して帰りましょう、っていう作戦」

「えー……でも、まだこの先も早く帰れそうにないんだよね?」

「そう。だから明日からは8時以降もつけてもらえるよう交渉した。その明日からに備えて今日は帰ってきたんだ」


着替えてくるねと部屋に向かう春さんを見送って私はみーちゃんと顔を見合わせた。

どこかに出掛ける計画は出来れば全部の住人に参加して欲しい。かといって緊急事態でもないのに休みもままならない春さんに無理強いするのは気が引ける。私達はお互いに同じことを考えてることを悟って言葉に迷った。


「……とりあえず春さんのご飯あっためようか」

「う、うん」


社会人って大変だねと話しながら、私は冷蔵庫を開けた。




温めたコロッケにたっぷりの千切りキャベツを添える。付け合わせはサラダと漬物、それからきゅうりとわかめの酢の物。色々気にしない夏目君だと全部いっしょくたにレンジでチンしちゃいそうだけど、キャベツはシャキシャキ感が命だと思う私は面倒でも別にして温める。本当は私達が用意してあげる必要はないのだけれど、疲れてる春さんを見てたら放っておけない気持ちになった。みーちゃんが用意してくれたご飯とお味噌汁を前に、部屋着に着替えてた春さんはほっこり顔を綻ばせた。


「ここに住んでて良かったって思うのはやっぱりこれだよね。一人暮らしだったら百パーセントコンビニ弁当だったと思うと凄く有難い」


美味しいって幸せだなぁ、なんて言いながら手を合わせる春さんは子供みたいに無邪気だ。体ががっしりしてるというわけでもないのにどんどんぱくぱく食べていく痩せの大食いみたいな春さんをみーちゃんがぽかんと見つめている。彼は料理が得意な方ではないので、菠薐にくる前一人暮らしをしていた時はエンゲル係数が高くて仕方なかったらしい。それなのに体調を崩したりもしてたので、栄養ばっちりの食事がたっぷりとれる下宿は最高なのだそうだ。

男の人に釘づけになるみーちゃんという珍しい光景を眺めながら、私はお茶の入ったコップを両手で包む。

少し垂れ目でほんわかした雰囲気の春さんはいつでも笑顔の印象がある。春さんの容貌は人目を引く顔立ちというよりちょっと整ってるという程度なのだけど、傍にいるだけで安心感があるので男女問わず好感度が非常に高い。物腰も話し方も柔らかくて聞き上手、だけど根はしっかり者、とくればモテるのも当然だ。

みーちゃんが春さんを好きになったら、二人セットで癒し系街道まっしぐらだ。二人がいる場所はそれだけで日差したっぷりのひだまりみたいになるだろう。安定のほのぼのカップルとか、可愛すぎて唇がニヨニヨしてくる。


「そういえば、何か話したいことがあるのかな?」


先ほどの私達の空気を察してか、ひと段落ついたところで春さんが私達に水を向けた。言おうか言うまいか困るみーちゃんの眼差しを受けて、私は迷いながら口を開いた。


「えーと、実は、懇親会を兼ねて今度菠薐の皆とどこかに遊びにいきたいねって話してて。ちょうど皆の都合を聞こうと思ったところだったんだ」

「ああ、そういうことかぁ」

「うん。でも春さん忙しそうだから、今は日を改めた方がいいかなとも思ったとこ」


申し訳なさそうな表情の春さんに私は首を振った。ここは無理しても仕方ない。やはり遠出は難しいと謝る春さんに気にしないでほしいと重ねる。

すると、一歩距離をあけていたみーちゃんがおずおずと小さく手を挙げた。


「うん?……はい、美空ちゃん」


授業中の子供みたいに恥ずかしがって遠慮するみーちゃんの仕草に、春さんがふっと笑ってみーちゃんをあてた。途端、慌てて顔を赤くしたみーちゃんが誤魔化すみたいに瞬きする。


「え、えと、春さ、……春川さんの帰りが早い日ってないですか?できれば土日がいいけど、夏休み始まって以降なら平日でも良いので。もしあったら、その……お家でバーベキューとかなら、なんとかならないかと思って。昔果歩ちゃん家でやったみたいな」

「……あっ!その手があったか!」


子供の頃庭でやったバーベキューを思い出して私はパンっと両手を合わせた。

確かセット一色あるはずだから、炭と材料さえ買ってくればいい。ご飯は炊飯器でいいし、簡易椅子と縁側を使えば座る場所の確保も可能だ。絶妙な打開策に一気に心が躍りだす。


「ああ、なるほど、それならたぶんなんとかなるよ。スケジュール確認しておくね」

「庭ならお手軽で手間もかなり省けるね……あ、じゃあ花火もしない?!」

「わ、嬉しい!」

「楽しみだね。ああ、それなら、学校の友達も誘ってもいいんじゃない?」

「え?」


春さんのフリに盛り上がっていた私達は驚いた。春さんをしげしげ見つめる私と読めないにこにこ笑顔の春さん。戸惑うみーちゃんが私達の顔を交互に見てくる中、私は頭に閃いたものを感じた。やっぱり、色んな事が適わないみたいだ。春さんの提案に、私は苦笑を浮かべて同意した。


「……そうだね。みーちゃんも、友達誘っていいからね?」


目を見開いたみーちゃんが、頭に言葉が浸透した後頬を染めて大きく頷き返した。早速と言わんばかり、嬉々としてみーちゃんが立ち上がる。


「あ、あの、私友達に連絡してくるね!」

「あ、みーちゃん待っ……」


軽い足取りで降りていくみーちゃんを呼びとめ損ねてしまった。伸ばした腕を所在なく降ろして、春さんをじと目で見返した。


「……夏目君に聞いたんだ?」


春さんが口元だけ小さく笑った。


「下で会った時、意地悪したかもって言ってたから、ちょっとだけ」


なんとなく座りが悪くて私はちょっとぶぅたれた。

私に限って、かどうかは正確には知らないけれど、確かに夏目君はたまに意地悪な時がある。だけど、指摘されて痛いと感じるということ図星だということだ。反発する気持ちがないわけではないけど、反省することの方が多いと思うから今は感謝の気持ちが大きい。そんなことを拙い言葉で私が伝える間中、春さんはずっとにこにこ笑っていた。


「果歩ちゃんの心が広くて良かった。フユ君だったら大変だったよ」

「う。それは確かに……」


基本仲が良い住人達だけど、夏目君と冬木先輩の相性は良いとは言い難い。と言っても、色々気安い夏目君が生真面目な冬木先輩に軽口を叩いて反感を買うといったことがあるだけだけど。その点私は喧嘩してもその場でどかんと爆発して引き摺らない。苦笑する私達にみーちゃんの弾んだ声が届いた。


「友達からいきたいってすぐ返ってきたよ!日付確定したら教えてねって!」


はしゃぎながら戻ってきたみーちゃんが頬を上気させて報告する。屈託がないみーちゃんの笑顔に私まで嬉しくなって、ついむぎゅーっとみーちゃんを抱きしめた。


わたわた慌てるみーちゃんとかこれまたとんでもなく可愛いな!



そんな感じでみーちゃんを可愛がることに夢中になっていた私は、私達をにこにこ眺める春さんがその後、実に大きな爆弾を放つことをこの時かけらも予想もしていなかった。


「あ、そうだ。僕も一人知り合い呼んでもいいかな?」

「あ、春川さんのお友達ですか?」


余程話の展開が嬉しかったのか、どうやらだいぶガードを緩めたらしいみーちゃんがにこやかに春さんに訊ねた。


「というか彼女なんだけど、最近全然会う暇がないから」

「わあ……!」


それ楽しみですね、と明るく続けるみーちゃんと対照的に、私はカチンと凝固した。


彼女。


……彼女。


…………彼女おおお?!


声にならない大絶叫をあげた私は、その後ずっと、夢の中ですら、ムンク状態が解けないままだった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ