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みーちゃんとも約束したし、不機嫌をいつまでも引きずるのは大人げない。翌朝いつも通りを意識して冬木先輩にお弁当を渡したのに、朝からなんともおかしそうな顔で笑われた。澄まし顔がわざとらしい、って正直に言うことかな?!

おかげで今日も一日微妙な気持ちで過ごす羽目になってしまった。なのにさっき帰ってきた冬木先輩はまったく気にした様子もなく朗らかにただいまと言ってきたので、反射的にお帰りなさいと迎えてしまった。先輩は満足げだったけどなんとなく嵌められたみたいな気分の私は釈然としない。


「どしたの果歩っち。眉間に皺寄ってるけど」

「―――のああっっ!」


油断してたところに声をかけられ私はびくっと飛びあがった。心臓の鼓動が速すぎて涙目になりながら声の方向に目を向ける。


「や、やめてよ夏目君っ!私本気でびびりなんだよっ!」

「うん知ってるー。いいね果歩っち、良い反応」


私の切実な訴えをあっさりのけて、夏目君はやってやったぜと言わんばかり、ふははと笑いながら手持ちの缶を傾ける。夏目君の満足げな様子に恨みがましい目を向けるけど、彼は気にした様子もなく私が座る縁側にコンビニ袋を置いて腰かけた。ちょっとした仕返しに、私は扇風機の出力を最大にして夏目君の方へと向けた。


「うおっ風強!……あー、でもこれ涼しーね。ありがと果歩っち」

「……ちっがーう!!」


お洒落に整えた無造作ヘアが強風で本気のボサボサヘアに様変わりしてるというのに、いっかなダメージを受けた様子もなく夏目君は笑う。がなる私の声も一向に気にせず、ワレワレハー、ってネタは古すぎるでしょ!


「菠薐の庭は風情があるよねー。上は洗練されたお洒落感なのに下はレトロお洒落とか面白すぎ。俺凄い久々に見たんだけど、この昔懐かしい蚊取り線香ってわざわざ取り寄せたの?……エアコンとめて扇風機使って、今日そこまで暑くないからこういうのもいいね」


声が強風に邪魔されて聞き取り辛いくらいだというのに、変わらず平常運転の夏目君に私は肩を落とした。だめだ、私じゃ何を言っても効く気がしないや。やんちゃな雰囲気の夏目君が機嫌の良い猫みたいに目を細めるのを見ながら私は嘆息した。


少し長めの茶髪もアクセサリーをつけた手も、渋谷にでもいそうな現代っ子なのに地味な我が家の庭先でも絵になるとか凄い。夏目君は顔立ちも表情も行動も悪戯小僧みたいなのに、外側は女の子みたいに可愛くてお洒落で細マッチョで健康的、と不思議なバランスを持つ人だ。明るく親しみやすい性格で、男女共に友達が多く誰に対しても気安く接することを許される羨ましいコミュ力を持ってる人でもある。かくいう私も三個も上の相手に対して君づけだ。ただし、そのせいかたまに意地悪されたりすることがないではない。


「一緒に飲もうと思って酒買ってきたんだけど、おじさんは帰ってきた?」

「……まだ。会社で何かトラブルがあったみたいで、今日は日付越えるって」

「マジで?うーん今日春さんも遅いんだよな、残念」


がーんと呟いた夏目君がちえっと口を尖らせる。夏目君が妙にうちのお父さんに懐いてるのは知ってるので、なんとなく寂しそうに見えてくる。仕方ない、私は手を伸ばして扇風機の威力を弱めた。ついでに首振り機能もオンにする。ちらっとこちらを見た夏目君が警官の敬礼みたいに伸ばした指をピッと額につける。どういたしましての意を込めて同じ動作を返したところで、自分の頑張りどころを思い出した。



「夏目君あのさ、この間は、みーちゃんが夏目君からのお誘い断っちゃったみたいけど、また遊びに誘ってくれる?」

「うん?」

「もう一回、夏目君にみーちゃんを誘ってもらえたらなー、と思って」

「……あれ、意外にもやめろって話じゃないんだ。うーん、でも、嫌がってる子にしつこくするのは主義に反するからどうかなぁ」

「でも、そういう相手をその気にさせるのも、夏目君は得意でしょ?」


まずはここから、と思って重ねると、夏目君が不思議そうに私の顔を見つめてきた。


「……果歩っちは、俺と美空ちゃんがくっつく方が都合がいいの?」

「都合? えっと、単に夏目君なら一緒に出かけても緊張せずに楽しめるだろうと思ったんだけど……」


まだ警戒しているらしいみーちゃんが初めて一緒に出掛ける相手は、誰に対しても気安くてフットワークが軽い彼が一番ハードルが低いと思ったんだけどおかしかったかな。

一度実績を作れれば次もそれほど気負わなくていいとわかるだろう。そうなれば他の住人とだって出掛けやすくなるし、距離を縮めることができる、と思ったのは間違いだろうか。


「ふーん……じゃあ今度皆でいこうってまた誘ってみるよ」


夏目君は、私の言葉に思案顔で頷いた。


「海でも山でも、まあ最悪近場でも、皆で遊べる計画を立てたらいいんじゃない?要はうちに馴染んで欲しいんでしょ?皆で仲良くなれたらいいと思ってるってことだよね?」

「う、うん……まあそんな感じ」


最終的には誰かと恋仲になってほしいと思ってるのだけど。

言葉を濁すと、夏目君は当たり前のことを確認するみたいな調子で言葉を継いだ。


「何かのついでの散歩とかおつかいならまだしも、美空ちゃんは男と二人でどこか出掛けることを簡単に承知するタイプじゃないみたいだし。たぶんこの間ので俺も警戒対象になっただろうしね。無理矢理押しつけても良い方には転ばないもんね?」

「うぐ……そ、そうだね」


痛いところを突かれた気分で私はちょっと言葉に詰まった。やっぱりみーちゃんは警戒心が強い子だと思われてるんだ。うちの住人にはぐいぐい引っ張る俺様気質の人もいないし、みーちゃんを上手にその気にさせるのが急務なんだと改めて感じてしまう。


「うーん、果歩っちが美空ちゃんを好きなのは知ってたけど、こんなに世話焼きだとは思わなかったなー」

「そう……? でも、夏目君はみーちゃんが越してくる前にも会ったことあるよね?」

「美空ちゃんが菠薐に遊びに来た時何回か見かけてるねー。けど俺も出掛けること多かったしそこまで接点は……ってああ、だから余計俺なら馴染みやすいと思ったの?」

「うん。昔夏目君がみーちゃんを可愛い子だねって褒めてくれたの覚えてるし」

「そりゃまあ美少女だしね」

「だよねー」


今の私はみーちゃんを褒められると無条件に嬉しくなる。

にへ、と間の抜けた顔で頬を緩めた私は、妙に生温い眼差しになった夏目君に頷いた後はっとした。


「あ、みーちゃんは性格も良いからね。一生懸命で健気だし、人の心に寄り添おうとしてくれる。凄く優しいの」


何故だかまずいものを食べたみたいに呻いた夏目君がいい加減な調子で肯首する。「砂が…今にも喉から砂が…っ!」とかなんとか聞こえたけどどういう意味かね。


「……ま、それなら構いすぎは逆効果だよね」

「え?」

「人様の恋愛事情は放っておくのが一番ってこと。他人が思い通りに誘導するなんてできないし、本人ですら努力したってどうにかなることばかりじゃないのが恋愛でしょ?―――ほら、この間果歩っちと見たテレビでもおっちゃんが珈琲まみれになってたし」


夏目君に促がされて記憶を辿る。それってもしかしてこの間リビングでゲームしていた夏目君の横で私が見ていたドラマの話かな。確か、興奮して口論するカップルを宥めようともう一人の人物が割って入ったシーンにそんな場面があった。二人を止めようとしていた第三者が態勢を崩したタイミングで、彼女が勢いよく机に叩き置いたコップが傾き頭から豪快に盛大に濡れていた一場面。あれは他人を思い通りにコントロールしていたつもりで実はそうではなかったと思い知らされたおじさんのターニングポイントだった。

てっきりゲームに集中してると思っていたのに、夏目君は覚えていたらしい。なんだか呆れてしまいつつ、夏目君に口を開いた。


「そりゃそうだよ。私だってそこまでのお節介は焼かないよ」

「そうかなぁー」


眉根を寄せて顎に手をあてる夏目君は悩んでますというポーズ。

手持無沙汰に振っていた飲み終わった缶を夏目君が置いた音が小さく響く。つまりね、と続けた声は、日頃の彼からは想像つかない落ち着いた物言いだった。


「菠薐は男女共同のシェアハウスだよね。勿論エリアは別れているし基本女性エリアには男は進入禁止。だけど男女の関係ってのは厄介なことに言い聞かせただけでどうにかなるものじゃない。勿論成人した大人同士の同意の上での話なら本人の責任で構わない。でも今女子エリアには高校生の美空ちゃんだけだ。だからおばさん達はいつも以上に注意してる。俺達も何度も釘をさされてるし、たぶん美空ちゃん自身も、誤解を受けるような言動をしないよう言われてると思う」


平淡な話ぶりの夏目君の言葉に私は密かに息をのんだ。

みーちゃんが未だに皆と距離をおいているのは知っている。私は、それを単にまだよく知らない相手に対して警戒しているだけだと思っていたけど本当は違ったんだろうか?実は私がわかっていない理由があった?


「もし美空ちゃんの行動が元で何か問題が起こったら、迷惑がかかるのはおばさん達だ。漸く受かった学校が諦め難くてこっちに残ったはずの美空ちゃんだって、親父さんの赴任先に戻されるかもしれない。だから美空ちゃんは、ある意味ではクラスメイトよりも俺達に気を使ってると思う。気軽に出かけようって言った俺の言葉を、二人だけでは無理だって断るくらいには」


高校一年だとは思えない慎重さだよね、と感心する声に私は手に汗をかいてきた。


「世の中には、どれだけ弁えて暮らしてたって、ひとつ屋根の下で一緒に住んでるってだけで色眼鏡で見る奴はいる。だからこそ、本人が気を付けるにこしたことはない。果歩っちも、思い当たることあるんじゃない?」


夏目君の苦笑を間近に受けて私は黙り込むことしかできなかった。

幼い頃の私は、同じ屋根の下に優しい兄姉がたくさんいるということが自慢だった。だけど年頃になってくると、事実とかけ離れた嫌らしい想像で揶揄ってくる人も出てきた。

散々傷ついて、怒って、やがて私は、世の中にはそういう人もいるんだと諦めという境地を覚えた。やっとのこと自分の守り方みたいなものを覚えた今の私は、親しくない相手にまで積極的に家のことを話すことはない。

だけど、始めたばかりのみーちゃんはそうもいかないだろう。友人にどこまで打ち明けて良いのか迷ったり、人との距離感を掴みあぐねたり、恋愛云々の前にそういった根本的な悩みがもっとあるはずなんだ。

私にも夏目君が何を懸念しているか漸くわかった。私の過去にあった色々な場面が次々思い浮かんでうまく言葉が出てこない。


「住人との距離の取り方も同じなんじゃないかな。果歩っちは生まれた時からここに住んでて、どんな住人相手でも、変な誤解を生まない距離の取り方を心得てる。今のところ美空ちゃんも、果歩っちがクッションになる時は気負わないでいられる。……徐々にでいいんじゃない?まだ三カ月しか経ってないよ、そんな顔しなさんな」


ぽん、と頭に夏目君の手の感触がした。

人に見せられないくらい情けない顔になってるだろう自分に嫌気がさした。


何しろ私は、そういうことを考えたこともなかったのだ。

みーちゃんが幸せになるための物語がスタートして、みーちゃんがドキドキするのを眺めることを楽しみにするばかりで、みーちゃんの頑張りが見えてなかった。みーちゃんが今何を気にしているのか、私はわかっていなかった。いつだって自分のことばかりで、まったく配慮が足りてなかった自分が恥ずかしくて顔があげられない。

言われてみればみーちゃんも、『そんなことになったらおばさんに怒られちゃう』と言っていたじゃないか。みーちゃん自身が、特に気にしていたことだから出た言葉なのだと今なら分かるのに。


―――もしかして私、色々なことを急ぎすぎてて、全然周りが見えていなかった?


「まあ大丈夫でしょ。果歩っちが美空ちゃんを好きなだけだってことは、伝わってるから」


夏目君の優しさが私の胸に痛かった。






「……夏目君だったら、みーちゃんのホントの気持ちにも気づいてあげられるんだろうなぁ」

「どしたの急に」


こみ上げる後悔を散々味わった後、縁側にひっくり返った私は夜空を見上げて呟いた。

年齢が達していたら私もお酒を飲みたい気分。新たな缶を開けた夏目君の視線を感じ、私は腕で顔を覆う。視界が遮られ蚊取り線香の匂いが鼻についた。


「明るいし、楽しいし、行動力抜群だし?その上細かいとこにも気付くとか、ちょっと良い男すぎでしょ。たまに意地悪なとこはあるけど、……でも、夏目君の横でならきっと」


みーちゃんはきっと余計なこと気にしないで、伸び伸びいられる気がする。

悔しさを滲ませ続けたら、夏目君がぷはっと噴き出した。


「それはどうかなー。でもたぶん、果歩っちにとっての俺の印象と、美空ちゃんにとっての俺の印象は違うと思うよ」

「それはまだ夏目君を知らないだけでしょ」

「知っても。……知ったとしても、違うと思う。人が人の何を好ましいと思うかは人それぞれだからね」


よくわからなかった夏目君の言葉に私は腕を解いて目を開ける。

月明かりを背に、夏目君は意地悪そうな顔で口端をあげた。


「とりあえず、褒めてもらったならお礼言っとこうかなー。ありがとう果歩っち」

「……えー、なんだろ、なんかその言い方微妙な気持ちになる気がする……それにお礼するのは私のような?」

「いやいや間違ってないよ。一人だとビールも美味しくないからねー」

「ああ、なるほどー……って、ええっそっちの話?!」


声をあげた私に夏目君が噴き出した。楽しげなその顔に、少しだけ私の気持ちも浮上した。色んな意味で、適わないなぁ、と思った。

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