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短編でアップ済みの「菠薐荘へようこそ!」の連載版です。 諸事情により主人公の苗字を変えました。
菠薐荘。それはとある物語に登場する、世の乙女が夢見るイケメン揃いのシェアハウスのことをいう。
物語は、主人公が高校生になったのを機に菠薐荘の一員となることから始まる。個性豊かな四人の住人と出会い、日々巻き起こる様々な出来事や騒動を乗り越えて、主人公は徐々に彼らと距離を縮めていく。やがて彼らの間に恋が生まれて、幸せな未来を迎えるストーリー。菠薐荘はその舞台の名前だ。
さて、何故唐突にそんな話を始めたか。
理由は私の家が当該シェアハウスを経営していることにある。
ご先祖様から受け継がれた広い敷地に建つ古き良き日本家屋。昔は何世代もの家族が同居してたけど、家族が少なくなるにつれて勿体ないからと下宿を始めた。私が小学生の頃にはより現代需要に合わせようと、建物の中心部分を共同スペースとして、左右に部屋を配置する形に整えた。向かって右棟の部屋を男性に、左棟の部屋を女性に貸し出すことを想定して行った大々的なリフォームは、室内の新しさと外側の懐かしさが絶妙だと評判は上々だ。貸し出し用の二階とは別に、一階部分の半分は私達の家族用のスペースを確保している。
私が高校一年三月末の時点でここに住んでいたのは七人プラス一匹。一階に私の両親と私と犬のチロ、そして二階に件の四人。
そして春うららかな四月の朝、この家に、新たに一人の女の子がやってきた。
色素の薄い癖のあるセミロングの髪を持つ、小柄で女の子らしい体つきの女の子。少し垂れ目なところが小動物みたいで愛くるしい、彼女の名は相原美空。私の従妹でもある彼女が高校生となり菠薐荘に越してきたことで―――物語は始まりを告げた。
「みーちゃん待って!」
少し先を歩いていた人の背中を追いかけて、私は従妹の名を呼んだ。
振り返り立ち止まった二人に追いついたところで歩調を合わせて歩き出す。
追いついたのが私一人だと確認し、説明の前に事情を察してくれたみーちゃんが苦笑した。
「秋山君、今日もだめだったんだ」
「うーん、扉叩いてもなかなか起きてこないし、どうしてもギリギリまで寝てたいみたいで時間がね……急かしてはみたけど彼のマイペースは筋金入りだ」
「そっかあ。秋山君、教室にくるのもいつも遅刻寸前なんだよね。休み時間も良く寝てるみたいだし、寝るのが趣味なんじゃないかって言われてるよ」
「徹底してていいんじゃね?あれであいつ目覚めてからの行動は速いし、それに果歩がつきあった方が遅刻だろ」
「うるさいよ祐成。……それにしても、これじゃ四人一緒に学校行ける日は夢のまた夢だなあ」
残念、と呟いて私は小さく息を吐いた。
菠薐荘住人のみーちゃんと秋山君、両親が早朝仕事のため朝ご飯だけを家に食べにくる隣家の祐成は、全員私と同じ高校に通っている。せっかく同じ家から通うのだから私としては是非四人で登校したいとこなのだけど、今のところ願いが叶ったことは一度もない。出来れば私を除いた三人で登校するのを眺めたい、という密やかな野望を見透かされてるわけじゃないと思うけど、秋山君はいつも朝が遅いのだ。低血圧なのか起きるのも遅くて、とにかく眠れるだけ寝ていたいという気持ちがよく表れたタイムスケジュールで動いている。遅刻こそしないけれど、遅刻しないギリギリの時間を計算して動こうとするので、誘う私はずっとふられ通しだった。これで何戦目かはわからないけど、私一人全敗中なのは間違いない。
試しに、さすがにこれ以上は私が遅刻しそうで怖いという時間まで待ってみたりもしたけれど、なかなか思い通りには運ばなかった。うまくいかないなあ、と思ったところで、出掛けに顔を合わせたもう一人の住人のことを思い出した。
「そうだみーちゃん、夏目君からのお誘いを断っちゃったって本当?海にいこうってお誘いだったんだよね?夏目君、一足先に夏を見にってキメ顔してたんじゃない?二人で海いくのきっと楽しいよっ一緒にいっておいでよ!」
美男美女の海デート!想像したらドキドキしてきた。
言い募る内にどんどん興奮が高まって、きゃー!と叫んだ私の声が高く空へと響く。
「果歩ちゃんうるさい」
「果歩うるさい」
さっくり一刀両断する声にもめげず、私は少し先を行く大小二つの背中に縋りつく。
ジリジリと日差しが肌をやく季節、夏はもう始まっている。イケメンが誘う海デートプランは決して悪くないはずなのに、誘われた当人は何故かさっぱりその気がないらしい。内容は全然異なるけれど、同じくお誘いを断られたばかりの私としては、夏目君の気持ちに共感して切なくなる。
「待ってみーちゃん、夏目君とのバカンスがなぜいけないの?」
「果歩ちゃんこそ食いつきすぎ。あんなのただの冗談だよ、揶揄して反応見たかったっていうだけなのに」
「冗談だったら断られた時点で諦めるから。夏休みになってからでもいいからなんて持ちかけないから。本心隠してるだけで夏目君は本気なんだよ!」
「果歩ちゃんは勘違いしています。それに私と夏目さんが二人きりで海に行ったらデートみたいになっちゃうよ」
「友達だってデートくらいするでしょう?!心配なら私と祐成もついていくから!」
「果歩ちゃんと祐ちゃんが一緒でもダブルデートになるだけじゃん。それなら果歩ちゃんと二人でデートか祐ちゃん足して三人で遊びます!」
しつこく食い下がる私に不機嫌声のみーちゃんがそっぽを向いた。
ちょっとだけぷっくり膨れる桃色の頬が愛らしく、私の心臓がきゅんと締まった。
「はわっ!そ、それも魅力的だけれども……!」
むくれ顔のみーちゃん可愛い…っ!
可愛い女の子が可愛いことをすると萌えが膨れ上がって息が苦しい。
咄嗟に口元を押さえてなんとか衝動をやり過ごす。むしろ押さえるべきは鼻だったか。
ちょい待て俺の意思はどこだと呟く傍らの声はオール無視してやった。今はとりあえず黙ってろい。
「……そもそも夏目さんは軽そうだから近づきすぎるのはちょっと」
拗ねた口調の後に突き出されたさくらんぼ色の唇がありえないほど魅惑的で、思わず身悶えしそうになる。
可愛い可愛い物凄く可愛い…っ!!
身内にしか披露されない甘えた仕草に私はすっかりメロメロだ。下宿人の彼らだって、これを見たらもっと積極的にみーちゃんと距離を縮めたいと思うだろう。今は私の特権だけど、と考えたら、ぐにっと頬が盛り上がった。いかん、優越感が半端ない。
そして物凄く残念なものをみる目になった祐成にスパンと後頭部をはたかれた。
痛い。けどニヤついた顔は戻らない。ついでに至宝を拝めた私に悔いはない。
いつも以上に小気味良く鳴った音に驚いて、みーちゃんが慌てたように私の頭を撫でてくる。現場を見ていなくとも部位をわかってるあたりが長い付き合いだ。優しい手つきに癒されて、暫し癒しの時間を味わった。
「……確かに夏目君は親しみやすいから軽薄そうに見えるけど、案外真面目なところもあるんだよ。お調子者みたいな振舞いは防御癖みたいなものだから」
「もーまだ言ってる。そんなの私知らないし……どっちにしても遊び慣れた大学生なんてハードル高いよ。勘違いした女の子との揉め事に巻き込まれるのも怖いもん」
「そんなことないってば。家への揉め事持ち込みは原則禁止だし、その辺はあれで案外徹底してるし」
「……そうかもしれないけど、シェアしてる立場でそういうは他の人も困るでしょ。おばさんに怒られちゃうよ」
「そこは私が説得するから!」
「だからそこ絶対果歩ちゃんが頑張るとこじゃないよね?!」
呆れたような声にもめげず私は一人真剣に拳を握った。
「そう言ってみーちゃん、春さんも冬木先輩も、秋山君にまで未だに他人行儀でしょ。高校生になってからもう三ヵ月にもなるのに、そろそろ動かないと本当に困ったことになっちゃうよ?!」
「いやいや、全然困ってないから!」
「今現在私自身が困ってる!」
「だからなんで?!もー果歩ちゃん最近意味わかんない!!」
思わず叫んだらみーちゃんに叫び返された。
はい終了ー、と訳知り顔で間に割って入ってくる祐成に、私は指を突きつける。
「祐成も余裕ぶってないで、ここはみーちゃんに甘く注意するとこ!」
「なに、甘くって」
「おでこを弾いて、ダメダゾ!って言うとか、頬をツンってつついて、拗ねるなよ、っていうとか、あるでしょ色々!」
言い放った途端、二人にうわあって表情でどん引かれた。心が痛い、だが譲らん。負けじと口を開くと、情け容赦なく全力で繰り出された鋭いデコピンが私の額にきっちり決まった。
「あだっ!」
最早デコピンとは思えない威力だ。額からしゅうしゅうと煙が上がりそうな勢いに暫く呻いた。
今度は止めてくれないみーちゃんが哀しい。
いっそ陥没してるんじゃないかと不安になっておそるおそる確認すると、うっすら腫れているだけっぽいことに一安心。…しちゃだめだと気付いたのは一拍後だった。
「……誰が私にしろっていったの!私のみーちゃんに、甘さ全開でやりなさいって言ったんだっ!」
「従妹への暴力推奨は感心しないぞ」
「暴力じゃなくてじゃれあいだから!絶望的に鈍い祐成に幼馴染特権というものを教えてあげただけだから!」
相手が何とも言えない顔で大袈裟に肩を落としても、これを言わずにはいられない。
二人揃って遠い目になり私の発言をなかったことにしようとしても、私の焦りは消えてかない。
「……美空、アホは置いて学校行くぞ」
「……そうだね」
祐ちゃんも大変だね、なんて他人事みたいに呟くみーちゃん。
私を置いて隣り合って歩きだした二人はまるで何かを判りあった同士みたいな空気で、嬉し恥ずかしな雰囲気なんてかけらもない。仲良し兄妹みたいな様子が何より不満で、私はくうっと涙を飲んだ。
一体全体何なんだ。
この世界のヒロインである相原美空が菠薐荘に越してきてから早三ヵ月。
ヒロインみーちゃんは、メインヒーローである四人を恋愛相手として意識する様子が全くない。
サブキャラである幼馴染みの祐成ですらみーちゃんを妹扱いで、ロマンスのロの字も見当たらない。
未だ警戒心が解けてないのか、みーちゃんは私達家族と祐成以外とは距離を保ったままだ。それなりに話しはするけど彼らとの距離は近くはない。
おかげでまったくイベントが発生せず、焦れた私が無理矢理誘導した色々も全然うまくいかなかった。
しかもそうこうしてる内、貴重な高校一年の三ヵ月があっという間に過ぎてしまった。
私がひたすら空回っているだけで、過ぎてしまった月日が辛い。
悪戯に過ぎゆく時間が歯がゆくて、私の焦りは日々募っていくばかり。たぶん爆発する日も遠くない。
「私はただ、みーちゃんがドキドキした時の可愛い顔を見たいだけなのに……!」
物語の理想にちっとも近づかない現実を前にして、私は今日も地団太を踏んだ。