終焉の時
―――八年前、ユハラ村のある一軒家で、事件は起こった。
その一軒家には、父・母・双子の兄弟が住んでおり、極普通の温かな家庭であった。
十二月十四日の夜。この家では、ホームパーティーが行われていた。
「――誕生日おめでとう。スヴェン、シャロン」
今日は双子の誕生日。十二月のこの寒く、静寂に満ちた冬に彼らは生まれた。父に祝福の言葉をもらい、照れ臭そうに双子ははにかんむ。そんな二人を見て、母は懐かしむように目を細める。
「ふふ、二人とももう七歳になったのね・・・時が経つのは早いわ――」
母がしみじみと呟くと、双子の兄、スヴェンが言った。
「まだまだだよ。俺は早くもっと大人になりたい」
「うん。僕も」
弟のシャロンも兄の後に続く。そんな双子に、父は穏やかな表情で尋ねた。
「おや?どうしてだい?」
「「だって、早く父さんみたいに立派な男になりたいんだッ」」
息ぴったりに声高く宣言した双子に、母はくすくすと笑いながら、彼らを窘める。
「あら、それは当分先ね。後どれくらいお誕生日を迎えてからかしら?」
「そんなにかからないよッ、母さんッ!!俺たち、直ぐに大人になるんだからッ」
机に身を乗り出し、息巻くスヴェン。隣ではシャロンもしっかり頷いていた。
愛する息子たちの成長してゆく様を、優しく、穏やかに見守る夫婦。元気に仲良く、そして親を何よりも尊敬する双子。
この時、彼らは知る由も無かった。日付の変わる頃、全てが終わる、その時まで。
◇◇◇ ◇◇◇
その日の深夜零時。二階の部屋で眠りについていた双子は、慌てた様子の母親に起こされた。
「どうしたの、母さん…?」
スヴェンはムクリと起き上がり、母に訊ねる。隣で眠っていたシャロンも、目を擦ってベッドから身を起こした。
母は、チラチラと何度も扉を気にしながら、精一杯声を抑えて二人に言った。
「今すぐ家を出るわよッ」
「どうして?今夜中だよ?」
シャロンは首を傾げる。
「いいから急いでッ!!」
今にも倒れそうなほど、青ざめた顔をする母。初めて見る母親の表情に、双子は相当良くない事が起こっているらしい。と、子供ながらに何かを感じた。
二人は言われるがままに、急いでベッドから降り、部屋の扉へ向かおうとした、その時。父が血相を掻いて、飛び込んできた。
「逃げろッ!!早くッ――――ぐふッ……」
扉を蹴破って、いきなり部屋に飛び込んできた父が、大声で叫んだと思った時には、彼は口から大量の血を吐き、膝からガクンと床に崩れ落ちた。
「―――ッ父さん!!」
父に駆け寄ろうとするスヴェンとシャロンを、母が必死に抱きかかえて押さえつける。母の肩口から見えた父は、ピクリとも動かない。
「何で…ねえッ、母さんッ!!放して、父さんが…父さんがッ――」
腕の中で暴れる双子を、母はさらに力を込めて抱きしめる。母の体は、ひどく震えていた。
「ダメよッ!!貴方たちは絶対に行かせない…貴方たちを、渡すわけにはいかないの……あいつだけには―――」
訳の分からないことを呟く母の顔を、双子は見ることができない。
「母さん、何を言って―――」
シャロンが母に何の話をしているのか訪ねようとした時。
―――ブシャアアアアーッッッ・・・・。
耳元で、何か液体が飛び散る音がした。肌には生温かく、ねっとりとしたものがこびり付く。
二人は思った。
見てはいけない、鉄の錆びた香りのする方を、決して見てはいけない。
――――見たくない。
しかし、体は意志とは逆の行動を、とってしまう。
彼らはゆっくりと、お互いを見た。ギラリと鋭く光る剣が、二人の視界を遮る。
剣先からは、ボタ…ボタ…と、赤いものが滴り落ちる。あまりの衝撃に、何も言えないでいる二人の意識を引き戻すかのように、剣は母の喉元から嫌な音を鳴らして引き抜かれた。
二人は、剣先を目で追う。首は、凍ってしまったのではと思うほど、動きがぎこちなかった。やっとの思いで二人が向けた視線の先には、白い長髪の男がいた。その男は、鳥肌が立つほど冷たく恐ろしい薄ら笑いを顔に貼り付けていた。
怖くて怖くて、たまらなかった。しかし、二人にはそれ以上に湧き上がる感情があった。
それは、憎悪。
彼らにとって、この感情は初めてのものだった。そして、抑えきれなかった感情は、行動となって表される。
スヴェンは、怒りのままに男のもとへと駆けた。
「うあああああああッッ――――」
スヴェンが男の顔面目掛けて右ストレートを放つ。しかし、それはひらりとかわされ、男に拳を掴まれてしまった。
「――!?…くそッ」
「兄さんッ!!」
身動きの取れなくなったスヴェンを助けようと、シャロンは男に突進する。が、逆に蹴り飛ばされ、壁に叩きつけられてしまった。シャロンは呻き声を漏らし、壁伝いにズルズルと崩れ落ちていく。
「―――シャロンっ……!?」
拳を掴まれ動けないスヴェンは、首だけを弟の方へ向かせる。
「くッ…離せっ!!」
スヴェンはどうにか男の手から逃れようと暴れまわる。だが、子供の力でどうにかなるものではなかった。男は未だ顔に薄笑いを浮かべ、スヴェンと目を合わせようと、彼の腕を引っ張り上げ宙に浮かせた。
「私が憎いか…悪魔の子よ」
話しかける男を、スヴェンは憎悪に満ちた目で睨む。男はスヴェンの瞳を見て、くつくつと喉を鳴らして笑った。
「なかなかの目だ…だが、まだ足りない…もっとだ…もっと、憎悪だけではいけない。本物の悪魔のような…冷酷をも通り越した、一切の感情を感じさせない目になって見せろ。今のお前らはまだ未完成だ…」
訳の分らない言葉を口にした男は、スヴェンを未だうずくまるシャロンの方へ思い切り投げ飛ばす。
「――!?かはッ……」
あまりの衝撃に、息ができない。呻きながら必死に顔を上げると、男は背を向け、去って行くところだった。
「…ま…て…ッ―――」
苦しいのを我慢して、スヴェンは声を絞り出す。男は振り向き、口の端を持ち上げて笑った。
「本物の悪魔になって見せろ…そして、私の最高傑作となれ……」
それだけ言うと、男は去って行ってしまった。
「――――ふざけるなああああああっっ!!!」
スヴェンは、憎しみと悔しさと、色々な感情がせめぎ合い、喉が引き裂けるほど叫んだ。
◇◇◇ ◇◇◇
「――うッ……」
シャロンはやっと意識がはっきりし、ゆっくりと体を起こした。始めに目にしたのは、スヴェンだった。スヴェンは、虚ろな目で何かを見ている。
兄が見ているものは、自分も良く知るものだった。大好きで、大好きで…いつまでも一緒にいたかった人たち。
彼らの冷え切った姿は、溢れてくる涙で上手く見ることができない。
「父さん…母さん……」
泣きじゃくるシャロンに、スヴェンは強い意志を感じさせる口調で言った。
「シャロン……俺はここを出て行く…そして、復讐する。俺は、あいつを許さない……必ず殺す、この手で…」
スヴェンは自分の拳を見つめ、強く握りしめた。そんな兄を見て、シャロンは袖で涙を拭う。
「僕も――」
一緒に行く。と言い掛けたところで兄に止められてしまった。
「お前はここにいろ」
「どうしてッ!?僕だってあいつを許せない!憎いんだ、殺したいんだッ」
そう言ったシャロンを見て、スヴェンは悲しい顔をした。
「お前は、優しすぎる。人を殺すなんて、できるもんか」
「兄さんだって、人を殺したことなんかないくせに」
確かに、と苦笑したスヴェンは、だけどな…と続けた。
「お前よりは、できる自信がある」
強い決意を秘めた目でスヴェンが言うと、シャロンも負けじと見つめ返す。
「僕は、兄さんが何と言おうと、一緒に行く。兄さんにだけ、重荷を背負わせはしない…僕らはいつも一緒だ。今までも、これからもッ…死ぬまで一緒にいるからッ!!」
息巻く弟を見て、スヴェンは目を見開いた。
「……ほんと、お前は…」
何が起きても揺らぐことはないと思わせるその瞳に、スヴェンは降参した。
「分かった。お前は頑固だからな…こうなったら何を言っても聞かない」
そう言って、スヴェンはシャロンに手を差し伸べる。
「行こう、復讐しに…」
シャロンは兄の手を取って立ち上がり、共に家の外へ出た。二人は朝日の昇りかけた空を見上げる。
澄んだ青空を見る二人の瞳は、昨日の誕生日とは変わり果てたものだった。尊敬や純真に満ちていた瞳は、憎悪で濁っている。
一夜にして、二人の日常はあっさりと崩れ落ちてしまった。そして、これから始まるのは、地獄。
もう、あの頃には戻れない。
俺達は、汚れてしまった。体に染みついたこの赤い血、そして鉄錆の匂いは、一生消えることは無い。
―――俺達は……復讐者だ。
二人は、住み慣れた家を燃やして旅立っていった。