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嫉妬で死んできますね

作者: 雨灯ひひ
掲載日:2026/07/21

 朝倉まひるは、寂しくなると死ぬ。


 もちろん、本当に死ぬわけではない。


 死にそうな顔をして、死にそうな声を出して、私が心配するまで静かに死に続ける。


「今度の日曜日、千夏(ちか)と買い物に行ってくるね」


 通話の向こうで、まひるが黙った。


 考えているときの沈黙ではない。


 私が次の言葉を待っていると知ったうえで、通話口に流し込まれた、妙に粘度の高い沈黙だった。黙っているだけなのに、耳の奥へじっとりとまとわりついてくる。


「……そっか」


「うん。駅前に新しいお店ができたらしくて」


「楽しそうだね」


「まひるも来る?」


「いや、いいよ。女子二人で行きたいでしょ」


「別に、三人でもいいけど」


「気を遣わなくていいって」


 声は優しかった。


 怒ってはいない。


 責めてもいない。


 ただ、聞き逃せるくらい小さく息を吐いてから、独り言のように言った。


「寂しくて死にそうだな。俺」


 まただ。


「大げさ」


「そうかな」


「先週も会ったじゃん」


「先週会ったら、今週は寂しくならないんだ」


「そういう意味じゃないけど」


「うん。分かってる」


 分かっている人の返事ではなかった。


 まひるは、行くなとは言わない。


 やめてほしいとも言わない。


 私が行くことを選んだあとで、そのせいで自分はどれほど傷つき、ひとり寂しく夜を過ごすことになるのかを、私が予定を取り消したくなるまで丁寧に聞かせてくる。


「日曜日、まひるは何してるの?」


「何も」


「じゃあ、誰か誘えば?」


「誰を?」


「友達とか」


「俺、そんなに友達いないの知ってるでしょ」


「……ごめん」


「なんで謝るの」


 謝らせたのは、まひるだった。


 けれど、まひるは毎回、本当に不思議そうにそう言う。


「別に責めてないよ」


「でも、嫌なんでしょ」


「嫌なんて言ってないじゃん。楽しんできてほしいと思ってるよ」


「じゃあ、普通に送り出してよ」


「普通って何?」


 そこでまた、まひるは黙った。


 今度の沈黙は少し長かった。


 スマートフォンを耳から離して画面を見る。通話は切れていない。まひるの名前の下で、接続時間の秒数(カウント)だけが増えていく。


「まひる?」


「いるよ」


「怒った?」


「怒ってない」


「じゃあ、なんで黙るの」


「何を言っても、めんどくさいって思われそうだから」


 もう思っている。


 でも、それを口にすれば、今夜の通話はあと一時間延びる。


 私が否定するまで、まひるは「やっぱり俺ってめんどくさいよね」と繰り返す。


 否定すれば、今度は「無理して優しくしなくていいよ」と言う。


 正解はない。


 私が疲れて折れるまで、まひるだけが傷ついたことになっている。


「そんなこと思ってないよ」


 結局、いつもの答えを口にした。


「ほんとに?」


「うん」


「ならよかった」


 声が少し明るくなった。


 それだけで、胸の奥にぬるいものが溜まる。


「日曜日、楽しんできてね」


「うん」


「俺のことは気にしなくていいから」


「うん」


「たぶん、ずっと寝てると思う」


「……うん」


「起きてたら、余計なこと考えそうだし」


「まひる」


「大丈夫」


 まひるは、少し笑った。


「嫉妬で死んできますね」


 冗談みたいに言って、通話を切った。


 暗くなった画面を見つめたまま、私は千夏とのトークを開いた。


『ごめん。日曜日なんだけど』


 そこまで打って、消した。


 もう一度打って、また消した。


 まひるは、やめろとは言っていない。


 私が勝手にやめるだけだ。


 だから、まひるは悪くない。


 たぶん、そういうことになる。


 メッセージの通知が鳴った。


『ごめん』


 続けて、もう一件。


『困らせたよね』


 さらに一件。


『俺のこと嫌いになった?』


 通話を切ってから、まだ三分も経っていなかった。


『なってないよ』


 送信すると、すぐに既読がついた。


『ほんと?』


『ほんと』


『よかった』


 それで終わるかと思った。


 けれど、少ししてから、また通知が鳴った。


『でも千夏ちゃんといるほうが楽しいよね』


 私はしばらく画面を見つめた。


『そんなことないよ』


『無理しなくていいよ』


『無理してない』


『俺だったら嫌だな』


『何が?』


『恋人が、自分以外の人といるほうが楽しそうなの』


 いつから恋人になったんだろう。


 まひるから告白されたことはない。


 私も、好きだと言ったことはない。


 何度か二人で出かけて、毎晩のように通話をして、私がほかの人と会うたびに、まひるが死ぬようになっただけだ。


『私たち、付き合ってないよね』


 送った直後、既読がついた。


 返事は来なかった。


 一分。


 三分。


 五分。


 画面の向こうで、まひるが死んでいる。


 私が追いかけてくるのを待ちながら。


『怒った?』


 送ってしまってから、唇を噛んだ。


 今度はすぐに返事が来た。


『怒ってないよ』


『ただ、俺だけが勘違いしてたんだなって』


『そういう言い方しないで』


『ごめん』


『謝ってほしいわけじゃない』


『じゃあ、どうすればいい?』


 送信してから、変な笑いが漏れた。


 私の台詞だった。


 いつも、まひるに言わされてきた言葉だった。


 少しして、返事が届く。


『それを俺から言ったら意味ないじゃん』


 その一文を見た瞬間、胸の奥に溜まっていたものが、急に冷たくなった。


 まひるは、自分が何をしてほしいのか言わない。


 私が自分で気づき、自分で選び、自分で諦めるのを待っている。


 そうすれば、まひるは何も奪っていないことになる。


 私は千夏とのトークを開いた。


『日曜日、予定どおりで大丈夫』


 送信する。


 今度は消さなかった。


 その直後、まひるから着信が入った。


 一度目は切れるまで待った。


 二度目も取らなかった。


 三度目の着信のあと、メッセージが届いた。


『ごめん』


『もう電話しない』


『迷惑だよね』


『俺、消えたほうがいい?』


 私は画面を伏せた。


 それでも、通知音は続いた。


『返事だけほしい』


『生きてていい?』


『ねえ』


『お願い』


 朝倉まひるは、寂しくなると死ぬ。


 ただし、自分では死なない。


 私の予定を殺して、私の時間を殺して、私が誰かを好きになる気持ちを少しずつ殺す。


 そうして最後に、死にそうな顔で聞くのだ。


 自分は生きていてもいいか、と。


 翌朝、私はまひるをブロックした。


 千夏との待ち合わせには、少し早く着いた。


 駅前のベンチに座っていると、知らない番号からメッセージが届いた。


『昨日はごめん』


『もう困らせないから』


『最後に一つだけ聞かせて』


 その下に、数秒遅れて、もう一件。


『俺が死んでも、何とも思わない?』


 私は画面を閉じた。


 朝倉まひるは、今日もどこかで死んでいる。


 たぶん、私が振り向くまで。

※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません

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