嫉妬で死んできますね
朝倉まひるは、寂しくなると死ぬ。
もちろん、本当に死ぬわけではない。
死にそうな顔をして、死にそうな声を出して、私が心配するまで静かに死に続ける。
「今度の日曜日、千夏と買い物に行ってくるね」
通話の向こうで、まひるが黙った。
考えているときの沈黙ではない。
私が次の言葉を待っていると知ったうえで、通話口に流し込まれた、妙に粘度の高い沈黙だった。黙っているだけなのに、耳の奥へじっとりとまとわりついてくる。
「……そっか」
「うん。駅前に新しいお店ができたらしくて」
「楽しそうだね」
「まひるも来る?」
「いや、いいよ。女子二人で行きたいでしょ」
「別に、三人でもいいけど」
「気を遣わなくていいって」
声は優しかった。
怒ってはいない。
責めてもいない。
ただ、聞き逃せるくらい小さく息を吐いてから、独り言のように言った。
「寂しくて死にそうだな。俺」
まただ。
「大げさ」
「そうかな」
「先週も会ったじゃん」
「先週会ったら、今週は寂しくならないんだ」
「そういう意味じゃないけど」
「うん。分かってる」
分かっている人の返事ではなかった。
まひるは、行くなとは言わない。
やめてほしいとも言わない。
私が行くことを選んだあとで、そのせいで自分はどれほど傷つき、ひとり寂しく夜を過ごすことになるのかを、私が予定を取り消したくなるまで丁寧に聞かせてくる。
「日曜日、まひるは何してるの?」
「何も」
「じゃあ、誰か誘えば?」
「誰を?」
「友達とか」
「俺、そんなに友達いないの知ってるでしょ」
「……ごめん」
「なんで謝るの」
謝らせたのは、まひるだった。
けれど、まひるは毎回、本当に不思議そうにそう言う。
「別に責めてないよ」
「でも、嫌なんでしょ」
「嫌なんて言ってないじゃん。楽しんできてほしいと思ってるよ」
「じゃあ、普通に送り出してよ」
「普通って何?」
そこでまた、まひるは黙った。
今度の沈黙は少し長かった。
スマートフォンを耳から離して画面を見る。通話は切れていない。まひるの名前の下で、接続時間の秒数だけが増えていく。
「まひる?」
「いるよ」
「怒った?」
「怒ってない」
「じゃあ、なんで黙るの」
「何を言っても、めんどくさいって思われそうだから」
もう思っている。
でも、それを口にすれば、今夜の通話はあと一時間延びる。
私が否定するまで、まひるは「やっぱり俺ってめんどくさいよね」と繰り返す。
否定すれば、今度は「無理して優しくしなくていいよ」と言う。
正解はない。
私が疲れて折れるまで、まひるだけが傷ついたことになっている。
「そんなこと思ってないよ」
結局、いつもの答えを口にした。
「ほんとに?」
「うん」
「ならよかった」
声が少し明るくなった。
それだけで、胸の奥にぬるいものが溜まる。
「日曜日、楽しんできてね」
「うん」
「俺のことは気にしなくていいから」
「うん」
「たぶん、ずっと寝てると思う」
「……うん」
「起きてたら、余計なこと考えそうだし」
「まひる」
「大丈夫」
まひるは、少し笑った。
「嫉妬で死んできますね」
冗談みたいに言って、通話を切った。
暗くなった画面を見つめたまま、私は千夏とのトークを開いた。
『ごめん。日曜日なんだけど』
そこまで打って、消した。
もう一度打って、また消した。
まひるは、やめろとは言っていない。
私が勝手にやめるだけだ。
だから、まひるは悪くない。
たぶん、そういうことになる。
メッセージの通知が鳴った。
『ごめん』
続けて、もう一件。
『困らせたよね』
さらに一件。
『俺のこと嫌いになった?』
通話を切ってから、まだ三分も経っていなかった。
『なってないよ』
送信すると、すぐに既読がついた。
『ほんと?』
『ほんと』
『よかった』
それで終わるかと思った。
けれど、少ししてから、また通知が鳴った。
『でも千夏ちゃんといるほうが楽しいよね』
私はしばらく画面を見つめた。
『そんなことないよ』
『無理しなくていいよ』
『無理してない』
『俺だったら嫌だな』
『何が?』
『恋人が、自分以外の人といるほうが楽しそうなの』
いつから恋人になったんだろう。
まひるから告白されたことはない。
私も、好きだと言ったことはない。
何度か二人で出かけて、毎晩のように通話をして、私がほかの人と会うたびに、まひるが死ぬようになっただけだ。
『私たち、付き合ってないよね』
送った直後、既読がついた。
返事は来なかった。
一分。
三分。
五分。
画面の向こうで、まひるが死んでいる。
私が追いかけてくるのを待ちながら。
『怒った?』
送ってしまってから、唇を噛んだ。
今度はすぐに返事が来た。
『怒ってないよ』
『ただ、俺だけが勘違いしてたんだなって』
『そういう言い方しないで』
『ごめん』
『謝ってほしいわけじゃない』
『じゃあ、どうすればいい?』
送信してから、変な笑いが漏れた。
私の台詞だった。
いつも、まひるに言わされてきた言葉だった。
少しして、返事が届く。
『それを俺から言ったら意味ないじゃん』
その一文を見た瞬間、胸の奥に溜まっていたものが、急に冷たくなった。
まひるは、自分が何をしてほしいのか言わない。
私が自分で気づき、自分で選び、自分で諦めるのを待っている。
そうすれば、まひるは何も奪っていないことになる。
私は千夏とのトークを開いた。
『日曜日、予定どおりで大丈夫』
送信する。
今度は消さなかった。
その直後、まひるから着信が入った。
一度目は切れるまで待った。
二度目も取らなかった。
三度目の着信のあと、メッセージが届いた。
『ごめん』
『もう電話しない』
『迷惑だよね』
『俺、消えたほうがいい?』
私は画面を伏せた。
それでも、通知音は続いた。
『返事だけほしい』
『生きてていい?』
『ねえ』
『お願い』
朝倉まひるは、寂しくなると死ぬ。
ただし、自分では死なない。
私の予定を殺して、私の時間を殺して、私が誰かを好きになる気持ちを少しずつ殺す。
そうして最後に、死にそうな顔で聞くのだ。
自分は生きていてもいいか、と。
翌朝、私はまひるをブロックした。
千夏との待ち合わせには、少し早く着いた。
駅前のベンチに座っていると、知らない番号からメッセージが届いた。
『昨日はごめん』
『もう困らせないから』
『最後に一つだけ聞かせて』
その下に、数秒遅れて、もう一件。
『俺が死んでも、何とも思わない?』
私は画面を閉じた。
朝倉まひるは、今日もどこかで死んでいる。
たぶん、私が振り向くまで。
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません




