貧乏令嬢は婚談を諦めて高級料理を楽しんでいたら、性格が悪いと噂の侯爵様に求婚されました
レナ・フォーゲル伯爵令嬢は、金に困っていた。
正確に言えば、フォーゲル伯爵家そのものが困っていた。
屋敷の屋根は雨漏りし、馬車は坂道でよく止まり、庭園では花よりも食べられる野草のほうが大切にされている。父は善良だが商才がなく、母は節約上手だが、節約するものがそろそろ尽きていた。
だから、エーデル侯爵家から見合いの話が来たとき、レナは迷わず言った。
「お母様。行きます」
「レナ、本当にいいの? お相手は、あのコンラート・エーデル侯爵よ」
「ええ。お金持ちですもの」
「言い方」
母にたしなめられたが、事実なので仕方がない。
コンラート・エーデル侯爵。
若くして侯爵位を継いだ大貴族で、広大な領地と莫大な資産を持つ男。漆黒の髪に、冷たい青の瞳。彫刻のように整った顔立ちで、社交界の令嬢たちが一度は憧れる美貌の持ち主だという。
ただし、性格が悪い。
――と、社交界では言われている。
見合いの席では令嬢を値踏みするような目で見て、ろくに会話もせず、失礼なことを平然と言うらしい。
あまりにも婚談がまとまらないため、社交界では陰でこう笑われていた。
――あの方、国内すべての年頃の令嬢とお見合いしたんじゃないかしら。
もちろん、本当にそういうわけではない。
ただ、それくらい婚談が決まらない男として有名だった。
もっとも、コンラート本人も結婚にはあまり乗り気ではないらしい。
宝石、ドレス、流行の菓子店、夜会で誰が誰に微笑んだかという噂話。そうした話題を楽しそうに語る令嬢たちにも、彼はほとんど興味を示さないのだという。
代わりに口にするのは、領地の話ばかり。
魔の森の管理。害獣被害。狩猟場の整備。冬前の備蓄。村に下りてくる魔物の対処。
見合い相手の令嬢たちは、エーデル侯爵領の広さや屋敷の豪華さには興味を示しても、魔の森の話になると、たいてい困ったように微笑むらしい。
その結果、コンラート侯爵は退屈そうに黙り込み、態度が悪くなる。
そして、相手を怒らせる。
そんな男との見合い話が、なぜ貧乏伯爵家に舞い込んだのか。
理由は単純だった。
他に受ける令嬢が、少なくなってきたのである。
とはいえ、フォーゲル伯爵家にとっては願ってもない話だった。
何しろ相手には金がある。
それも、雨漏りする屋根を直し、冬支度に困る領民へ穀物を配り、弟妹にまともな肉料理を食べさせられるくらいには、十分すぎるほどに。
だからレナは、借り物の淡い若草色のドレスに袖を通し、できる限り淑女らしく背筋を伸ばして、王都でも名高い高級レストランの個室に座っていた。
目の前には、噂の侯爵がいる。
コンラート・エーデルは、悔しいほど美しい男だった。
さらりと流れる黒髪。冷たい湖のような青い瞳。高い鼻梁に、薄く整った唇。
これで性格さえまともなら、社交界の令嬢たちが放っておかなかっただろう。
だからレナは、にこやかな微笑みを浮かべ、淑女らしく背筋を伸ばしていた。
要するに、全力で猫を被っていた。
だが、侯爵はため息をつき、あきらかに退屈そうに言った。
「……君も、これまでの令嬢と変わらないようだな。どうせ俺の財産目当てだろう」
レナは心の中で、静かにうなずいた。
(まあ、そうですね)
そこは否定できない。
けれど、口に出すほど愚かではないので、レナはにこりと微笑んだ。
「本日はこんなに素敵なお店にお招きいただき、ありがとうございます」
「否定はしないのか」
「侯爵様ほどのお立場でしたら、そうお考えになるのも無理はありませんわ」
コンラートの眉が、わずかに動いた。
レナは心の中で、早々に結論を出した。
(ああ、やっぱり噂通りの方なのね)
美形で金持ちでも、毎日この調子では胃が痛くなる。
これは婚談成立など無理だ。
けれど、レナは悲観しなかった。
なぜなら、ここは王都でも名高い高級レストラン。
そして、目の前には磨き抜かれた銀の食器と、ふっくらした白いパンが置かれている。
(どうせ侯爵様と本当に婚談を成立できるとは思ってなかったわ。今日は、こんなに高そうな食事にありつけただけで感謝しないと)
ちょうどその時、前菜が運ばれてきた。
白い皿の上には、薄く切られた果実と葉野菜、香ばしく炒った木の実が美しく盛られている。淡い黄金色のドレッシングがかかり、爽やかな香りがふわりと広がった。
レナの目が、きらりと輝く。
「まあ……」
思わず声が漏れた。
レナは美しく盛りつけられた前菜を、そっとひと口味わった。
(なんて美味しいの……!)
レナは我慢できず、給仕に尋ねた。
「失礼ですが、この果実はサラダに入れても合うのですね。甘みが強いものだと思っていましたが、酸味のあるドレッシングと合わせると、こんなにさっぱりするなんて」
給仕の青年は少し驚いた顔をしたが、すぐに丁寧な笑みを浮かべた。
「はい。こちらは白蜜果でございます。熟しきる前のものを使いますと、甘みよりも香りと歯ざわりが立ちます」
「なるほど。熟す前の白蜜果……。うちの庭にも一本あります。いつも甘くなるまで待っていましたけれど、今度早めに摘んで試してみます」
向かいに座るコンラートが、無言でこちらを見ている。
だがレナの意識は、すでに皿の上に釘づけだった。
次に運ばれてきたのは、根菜のポタージュだった。
ひと口飲んだ瞬間、レナはまた顔を上げる。
「こちらの根菜は、この地域特有のものなのですか?」
「はい。王都近郊ではあまり出回らない、北西部産の月灯根でございます」
「月灯根! 聞いたことはあります。火を通すと甘みが増す根菜ですよね。こんなに滑らかになるのですね。帰りに市場で探してみます。種芋もあるかしら……」
「この時期でしたら、中央市場の西通りに並ぶことがございます」
「ありがとうございます。行ってみます」
レナは真剣にうなずいた。
そして次の肉料理が運ばれてきた瞬間、完全にスイッチが入った。
皿の上には、香草をまとった肉が美しく盛りつけられている。表面は香ばしく焼かれ、中は柔らかそうに肉汁を含んでいた。
レナは思わず身を乗り出す。
「この肉は一角ウサギですか?」
「はい。香草焼きでございます」
「やっぱり。臭みを消すのに何のハーブを使われています? ローズマリー……だけではないですよね。白霧草ですか?」
給仕は、今度こそ目を丸くした。
「お客様、よくお分かりで。白霧草と、少量の岩塩花を使っております」
「岩塩花! なるほど、だから後味が重くないのですね。今度うちでも栽培してみたいわ。白霧草は湿り気のある木陰、岩塩花は日当たりのいい痩せた土のほうが向いているから、場所を分ければいけるかしら」
そこまで言って、レナはようやく気づいた。
ここは見合いの席だった。
そして目の前には、金持ちで美形で性格が悪いと評判の侯爵がいる。
レナはそっと背筋を伸ばし、淑女らしい微笑みを取り戻そうとした。
「……失礼いたしました」
◇
コンラートは、目の前の令嬢をじっと見ていた。
最初は、また同じだと思っていた。
淡い若草色のドレスを着た伯爵令嬢は、礼儀正しく微笑み、淑女らしく背筋を伸ばして座っていた。
だが、その微笑みはどこか作り物めいていた。
どうせ、エーデル侯爵家の財産に興味があるのだろう。
そう思ったから、わざと失礼なことを言った。
コンラート自身、自分の態度が褒められたものではないことは分かっている。
友人たちからも、顔を合わせるたびに言われていた。
「いい加減、結婚しろ。侯爵家の当主がいつまでも独り身でどうする」
そのたびにコンラートは渋々見合いに出席し、またひとつ婚談を壊してきた。
宝石、ドレス、流行の菓子店、夜会で誰が誰に微笑んだかという噂話。
そうした話題を楽しそうに語る令嬢たちを、コンラートは否定するつもりはなかった。
ただ、自分がその話を笑顔で聞ける男ではなかっただけだ。
コンラートの関心は、いつも領地にあった。
魔の森の管理。害獣被害。狩猟場の整備。冬前の備蓄。村に下りてくる魔物の対処。
だが、そうした話を見合いの席で口にすると、たいていの令嬢は困ったように微笑む。
そしてコンラートは退屈し、黙り込み、態度が悪くなる。
その結果、婚談は壊れる。
今日も、きっと同じだろう。
そう思っていた。
けれど、レナ・フォーゲルは違った。
彼女は前菜を見た瞬間、目の色を変えた。
白蜜果の熟し具合。月灯根の産地。白霧草と岩塩花の使い分け。
ただ美味しいと喜ぶだけではない。食材を見て、土地を見て、育て方まで考えている。
借り物らしいドレスを着て、淑女らしく取り繕おうとしているくせに、興味の向く先がまるで違う。
コンラートは、久しぶりに退屈していなかった。
「お前は、思ったことがすべて口に出るんだな」
口にした声は、いつものように冷たく聞こえただろう。
だがコンラート自身は、ただ確認しただけだった。
◇
冷たい指摘だった。
レナは、へらりと笑った。
「ええ、そうなんですの。家族にはいつも注意されるのですが、つい癖で。煩わしくて恐れ入ります」
「……煩わしいと言われ慣れている返しだな」
「はい。わりと」
コンラートは、初めて少しだけ表情を変えた。
呆れているような、面白がっているような顔だった。
「料理に詳しいのか?」
「料理に詳しいといいますか、野菜を作ったり、肉を狩ったりしていますので、興味があるんですよね」
「肉を狩る?」
「あ、びっくりしますよね。うち、すごく貧乏なんですよ」
レナは明るく笑った。
「食費を浮かせるには、自分で採るのが一番ですから」
コンラートは黙り込んだ。
その青い瞳が、先ほどまでよりもわずかに鋭くなったように見えた。
「……一角ウサギを、お前が狩るのか?」
侯爵は鼻で笑った。
レナは、まあそうなるよね、と思った。
今の自分は、借り物とはいえ淡い色のドレスを着た貴族令嬢だ。森で泥にまみれ、ナイフを握って走り回る姿など、想像できるはずがない。
「わたしの加護は《狩猟の加護》なんです。一角ウサギ程度なら、投げナイフで捕まえられますよ。ヒュンって」
「……ヒュン」
「はい。ヒュンです」
「狩猟の加護なのか」
「ええ。一応これでも貴族令嬢なのに、面白いですよね」
レナは軽く笑った。
自分ではもう慣れているが、初対面の相手にはたいてい驚かれる。
しかしコンラートは、馬鹿にしたように笑うでもなく、じっとレナを見つめていた。
「ああ、面白いな」
その声は、先ほどまでの冷たく退屈そうなものとは違って聞こえた。
「今までで一番大きい獲物はなんだ?」
「これまでで一番大きかったのは、大牙猪ですね」
「大牙猪だと!?」
コンラートが目を見開いた。
大牙猪。
馬車ほどの巨体と、太い牙を持つ魔猪である。畑を荒らすだけでなく、興奮すれば柵も納屋も突き破るため、村ではもっとも恐れられる害獣のひとつだった。
レナは、少し恥ずかしそうに笑う。
「畑を荒らしていたので、罠にかけて動きを鈍らせてから、斧で喉を狙いました」
「……斧で」
「はい。父の古い伐採斧です。あの時は刃こぼれしてしまって、鍛冶屋さんにものすごく怒られました」
コンラートは、しばらく言葉を失ったようにレナを見つめていた。
淡い若草色のドレスを着て、できる限り淑女らしく座っているつもりなのに、話している内容は完全に猟師のそれである。
さすがにこれは、侯爵様も引いたかもしれない。
レナは慌てて口元を押さえた。
「あ、すみません。食事中にする話ではありませんでしたね」
◇
コンラートは、目の前の令嬢から目を離せなかった。
淡い若草色のドレスを着た、細い伯爵令嬢。
けれど、その口から出てくるのは、熟練の猟師のような話ばかりだった。
一角ウサギを投げナイフで仕留める。
大牙猪を罠にかけ、斧で喉を狙う。
食材をただ食べるだけでなく、育て方を考え、香草の使い分けに気づき、土地に合うかどうかまで思案する。
これほど面白い令嬢が、これまでの見合い相手の中にいただろうか。
いや、いなかった。
魔の森を抱えるエーデル侯爵領では、優雅に微笑むだけの夫人など必要としていない。
もちろん社交も大切だ。
だが、それ以上に必要なのは、領地を知ろうとする目と、現実から逃げない胆力だった。
レナ・フォーゲルには、それがある。
コンラートは、ようやく見つけたのだと思った。
「いや、素晴らしい」
◇
「え?」
「君は素晴らしい」
レナは瞬きをした。
先ほどまで氷のようだった青い瞳が、今は獲物を見つけた猛禽のように輝いている。
「ぜひ我が領に来てほしい」
「え?」
「我がエーデル侯爵領には、魔の森がある。魔物の管理に長年苦労していた。普通の令嬢なら話を聞いただけで青ざめるが、君なら違う」
「あの、侯爵様?」
「共に狩猟をしよう」
「え? なにをおっしゃっておられるんですか?」
「結婚してほしい」
「話が急すぎませんか!?」
レナは思わず椅子から腰を浮かせた。
つい先ほどまで、侯爵は明らかに見合いに興味がなかったはずだ。
それがなぜ、一角ウサギと大牙猪の話をしただけで求婚になるのか。
少なくとも、コンラートは冗談を言っている顔ではなかった。
「俺は、見合いというものが嫌いだった」
(でしょうね)
レナは心の中で相槌を打つ。
「宝石やドレス、流行の店、誰が誰と踊ったかという噂話。そういう話題が悪いとは言わない。だが、俺にはどうしても興味が持てなかった」
コンラートは、少しだけ苦々しげに息を吐いた。
「俺の領地には魔の森がある。魔物被害もある。冬の備蓄を誤れば、村が苦しむ。だが、その話をすると、たいていの令嬢は困ったように笑うだけだった」
「それで、あの態度に?」
「否定はしない。俺は、興味のない人間から、さらに興味のない話を聞くのが苦手だ」
「なるほど。露骨に態度に出てましたもんね」
「そうだな。どうもこればかりは我慢ができないんだ」
そこは認めるのか。
レナは、少しだけ困った顔をした。
けれどコンラートは、まったく怯まない。
「だが君には興味がある。食材を見る目も、領地の作物を考える頭も、獲物を狩る腕もある。魔の森を抱える我が領に、これほどふさわしい令嬢はいない」
「そんな偏った一面だけで決めてよろしいのでしょうか?」
「もちろんだ。それ以外が多少破綻していても、面白ければ俺は我慢できる」
コンラートは真顔で言った。
それから、わずかに身を乗り出す。
「我が領なら、毎日最高のジビエが食べられる。牧場では肉質のよい家畜も育てている」
レナの肩が、ぴくりと動いた。
「珍しい野菜も果実も育て放題だ。森の周辺には肥沃な土地がある」
レナの瞳が揺れた。
「さらに、フォーゲル伯爵家の借金は一括で返済しよう。屋敷の修繕費も出す。他に欲しいものがあれば、できる限り用意する。金はあるからな」
レナは静かに椅子へ座り直した。
そして、にこりと微笑む。
「侯爵様」
「ああ」
「このお見合い、成立でお願いいたします」
コンラートは満足げにうなずいた。
「いい判断だ」
「はい。人生で一番よい判断をした気がします」
「結局、俺自身が君を金で釣ってしまったようで、少々気が咎めるがな」
「お金だけでもないです」
「それは食材か?」
コンラートは笑って聞いた。
レナは少し考えた。それから、少しだけ目を伏せて答える。
「わたしの加護や、これまでの暮らしを面白いと肯定してくださった方は、侯爵様が初めてです」
コンラートは一瞬だけ目を見開き、それからわずかに口元を緩めた。
その表情は、噂に聞く性格の悪い侯爵とは少し違って見えた。
◇
後日。
王都の夜会では、貴族たちがひそひそと噂していた。
「聞いたか? あのエーデル侯爵に、フォーゲル伯爵家の令嬢が嫁ぐらしい」
「まあ……お気の毒に」
「あの性格の悪い侯爵に見初められるなんて、可哀想だわ」
そんな同情の視線の先で、レナとコンラートは並んで立っていた。
レナは楽しそうに目を輝かせる。
「今度の休みは、東の森に行きませんか? あちらに香りのいい野草があると聞きました」
「いいな。ついでに黒角鹿を狩ろう。肉質がいい」
「黒角鹿! 煮込みにしたら絶対おいしいやつですね」
「ああ。君なら一撃で仕留められるだろう」
「任せてください。ヒュンっていきます」
レナが小さく手首を振ってみせると、コンラートは目元をやわらげた。
「……本当に、君は狩猟の話をしている時が一番生き生きしているな」
「そうでしょうか?」
「ああ。この広間にいる誰よりも輝いている」
あまりにも真顔で言われて、レナは思わず瞬きをした。
「こ、コンラート様。そういうことは、もう少し小さな声で……」
「なぜだ。事実だろう」
レナが頬を赤らめて視線をそらすと、コンラートは愉快そうに低く笑った。
夜会の場では、令嬢に対して歯の浮くような賛辞を贈る男性など珍しくない。
けれどコンラートの場合、その声音があまりにも真剣だった。
まるで本気で、この華やかな広間にいる誰よりも、レナだけが美しいと思っているように。
そしてたぶん、本当にそう思っているのだ。
それが分かるようになってしまったから、レナは困っていた。
最初は、屋根を直せるお金と、弟妹が不自由なく暮らせる未来に惹かれた。
けれど今は、それだけではない。
「それにしても、そのドレスはよく似合っている」
「ありがとうございます。コンラート様が贈ってくださったものですから」
「当然だ。君には、若草色も似合うが、深い緑もよく映えると思った。森の中に立っていたら、きっともっと美しい」
「夜会用のドレスで森には入りませんよ?」
「分かっている」
コンラートはそこで、ふとレナのドレスへ視線を落とした。
深い緑の布地には、光の角度によって細かな模様が浮かび上がる。派手すぎるわけではない。けれど上質な生地と丁寧な仕立ては、見る者が見ればすぐに分かるものだった。
「……昔の俺は、令嬢たちがドレスの話をするたびに、ただ流行や趣味の話をしているのだと思っていた」
「違うのですか?」
「違ったらしい」
コンラートは、少しだけ苦笑した。
「君のドレスを用意するようになって、ようやく分かった。どの仕立屋を使うか。どんな生地を選ぶか。誰に紹介された店か。流行をどこまで取り入れ、家の格や本人の雰囲気にどう合わせるか。あれはただの装いではなく、家の財力や人脈、センスを示すものだったんだな」
レナは目を瞬かせた。
「つまり、令嬢の皆様は……」
「ああ。俺に向かって、自分や家の価値をきちんと示してくれていたのだろう。俺が、それを理解していなかっただけだ」
コンラートは淡々と言ったが、その声にはわずかな反省が滲んでいた。
「以前の俺は、ドレスの話など退屈だと思っていた。だが今なら、少しは分かる。君に似合う一着を選ぶだけでも、これほど考えることが多いのだからな」
「コンラート様……」
「もっとも、俺の場合は、君が森の中でも動きやすいかどうかまで考えてしまうが」
「夜会用のドレスですよ?」
「分かっている。だから狩猟用の服も用意した」
「え? この間、狩猟用の服は送っていただいたばかりですが」
「あの時送ったものは青色で、今回は緑だ」
コンラートは整った顔で、レナに甘く微笑んだ。
「コンラート様は、少し……甘やかしすぎではありませんか?」
「そうか? ただ、君の喜ぶ顔が見たいだけなんだが」
レナは小さく息を呑んだ。
その一言に、胸の奥がふわりと温かくなる。
ああ、困った。
そういうところだ。
彼はたぶん、甘い言葉を言っているつもりはない。
ただ本当に、レナが喜ぶと思ったから用意したのだ。
それが分かるから、余計に胸が落ち着かなくなる。
コンラートは、レナの手を取る。
手袋越しに触れる指先は、夜会の礼儀としてはごく自然なものだった。
けれど、その親指がほんの少しだけ、レナの指を撫でる。
「俺は、君が楽しそうにしているのを見るのが好きだ」
「……っ」
「君が食材を見つけて目を輝かせるところも、獲物の足跡を見て急に真剣になるところも、狩りの話になると止まらなくなるところも、全部いい」
「こ、コンラート様」
「何だ」
「本当に、そういうのは屋敷に帰ってからにしてください……」
レナが耳まで赤くして小声で訴えると、コンラートは少し考えた。
「……では、少し早いが屋敷に帰るとするか」
「まだ来たばかりですよ」
「そうだな。なら、せっかくの君の美しい緑のドレス姿を、今のうちに目に焼き付けておくことにしよう」
コンラートの青い瞳は明らかに笑っている。
レナは小さくうつむいた。
恥ずかしい。
けれど、嫌ではなかった。
むしろ、そんなふうに真っ直ぐ見つめられるたびに、胸の奥がくすぐったくなる。
レナはこれまで、自分の加護も、狩猟好きな性分も、令嬢らしくないものだと思ってきた。
家族は笑って受け入れてくれたけれど、社交界では隠すべきものだった。
でもコンラートは違う。
彼は、レナが隠そうとしていたものを見つけて、面白いと言った。
素晴らしいと言った。
そのうえ、誰よりも美しいとまで言ってくる。
そんな人を好きにならずにいられるほど、レナは器用ではなかった。
「……コンラート様と出会えて、本当に良かったです」
コンラートの動きが、ほんの少し止まった。
レナは恥ずかしさをごまかすように、早口で続ける。
「こんなに大切にしていただけるとは思っていませんでした」
「俺は性格が悪いと有名だからな」
「ご存じだったのですね」
「当然だ。だが、俺も、こんなに大切にしたいと思う人ができるとは思っていなかった」
コンラートのまっすぐな言葉に、レナは一瞬、息をするのを忘れてしまった。
「……そのお顔でその言葉は、ずるいです」
レナはコンラートを直視できず、目を伏せて呟く。
その横顔を見て、コンラートは満足そうに目を細めた。
「コンラート様」
「何だ」
「やっぱり、少し早めに屋敷へ帰りましょうか」
レナの言葉に、コンラートが笑った。
周囲の貴族たちは、相変わらず同情の目を向けている。
けれど当の本人は、コンラートの隣でたいそう幸せそうに笑っていた。
貧乏伯爵令嬢レナ・フォーゲルには、これ以上の良縁などありえなかった。




