第3話 廃坑の迷子
祝勝会は夜が明けるまで続いた。
翌朝には、村のあちこちで酔い潰れた村人が転がっており、その中には杉本の姿もあった。
寝ぼけた顔を村の井戸で洗い、風呂代わりに濡らした布で身体を拭いている頃には、すでに日も高く昇り始めていた。
早朝、念のため澄江の祈祷によって結界が張り直されていたが、皆が集まっていた大広間では、村長の老婆が不安げな表情を浮かべていた。
彼女は杉本を見つけると、手招きして呼び寄せ、言い難そうな顔で話し始める。
「冒険者殿、実は……昨夜、子供が一人、森の廃坑へ迷い込んだらしい。探してはくれぬだろうか?」
偶然立ち寄った村で、唐突に始まる捜索クエスト。
老婆の声に、集まった村人たちの顔が一斉に強張る。
大森剛志は眉間に皺を寄せ、杖を構えた杉本真也を見つめる。
「廃坑は、古くから鉱石を掘っていたが、今は寂れて放棄された場所だ。落盤や瘴気の穴も多く、危険な場所なのじゃが……」
村長は杉本の顔色を伺うように、恐る恐る話を続ける。
危険が伴う探索クエスト。しかも、子供の命がかかっている。
通常の旅人であれば、まず依頼されることはないだろう。
本来なら、地理に慣れた村人が救出に向かうはずだ。
だが、今の村の状況を考えると、襲撃からの復興や祭儀の準備で人手が足りない。
祭儀に割り当てられた仕事を持つ村人ではなく、腕が立ち、魔法も使いこなす。
さらに、闇の襲撃で共に戦ったという信頼もある。
杉本の存在は、この探索クエストに向かうには好都合だった。
しかし――
「申し訳ないが、私は炭鉱夫でもないし、地理にも疎い。廃坑というなら、元々そこに詳しい人もいるだろう。子供の行動も予測がつかないし、もっと適任者がいるのでは?」
杉本は丁寧に断ろうとするが、老婆はか細い声で、是が非でもお願いしたいと懇願する。
「けれど……子供の安全を考えると、やはり私では……」
村の都合もあるだろうが、この探索クエストには子供の命がかかっている。
もちろん、できることなら協力したい気持ちはある。
だが、おいそれと軽く引き受けるわけにはいかない。
杉本も、村長の老婆も困った表情で顔を見合わせていると、澄江がそっと杉本の袖をつまむ。
彼女の瞳には、昨日の戦いで村人を守った時と同じ、強い思いが込められていた。
「私も行きます。子供は、私の教え子のような者ですから」
澄江はこの村で生まれ、光の巫女として洗礼を受けた。
帝都へ修行に出る直前までは、幼馴染の大森と共にこの村で暮らしていたという。
行方不明となっている子供も、おそらく澄江や大森の知り合いなのだろう。
杉本よりも遥かに、この探索クエストに適していると言っても過言ではない。
「澄江様が向かうのであれば、私もお供させてください」
澄江の探索行きの宣言に、大森も素早く反応して声を上げる。
彼はこの村の出身でありながら、巫女である藤沢澄江の護衛が本来の役目。
村の子供が行方不明と聞いて、心の内では真っ先に救出に向かいたかったのだろう。
だが、護衛として澄江から離れるわけにはいかない。
だからこそ、助けに行きたいけれど行けないジレンマに苛まれ、視線で杉本に助けを求めていたのだ。
私一人では、この探索クエストは受けられない。
けれど、この二人と共に行けるのなら――
「わかりました。子供の安否が心配です。安心して任せろとまでは言えませんが、極力努力することを誓いましょう」
杉本は、戦力的にも十分と判断し、快く探索クエストを受けることにした。
戦勝の宴の余韻が残る中、杉本信也・藤沢澄江・大森剛志の三人はパーティを組み、廃坑跡地へと子供の捜索に赴くこととなった。
不安な表情を浮かべる村長の老婆にそう告げると、杉本は優しい微笑みを浮かべ、彼女の手を取り、力強く励ました。
探索クエストの話が決まると、三人は早々に炭鉱跡地へと行動を開始した。
行方不明となって、すでに半日――いや、丸一日が経過しようとしている。
それだけ前のことなのだから、子供が無事であったとしても、さぞかし空腹に違いない。
急ぐ必要がある。
澄江は魔除けの結界を纏い、杉本は総合強化魔法〈フィジカルブースト〉で鋭気を漲らせていた。
大森はハルバードと大型盾を構え、さらに村人二人が竹槍と斧を携えて後に続く。
祭事で忙しいとはいえ、やはり皆、子供のことが心配なのだろう。
捜索隊は総勢五名に膨れ上がり、足早に廃坑へと向かった。
日の光が森の切れ間を縫うように差し込み、探索者の杖が静かに道を照らす。
なるほど、便利なものだな。この“探索者”というスキルは。
杉本は着の身着のまま行動しているように見えて、実は効率的に捜索を始めていた。
村から森へと続く廃坑への道は、すっかり廃れて獣道のようになっている。
炭鉱跡に向かったと聞かされてはいるが、子供がどこに潜んでいるかは分からない。
感覚を鋭敏にしながら、森に向かう途中でも異変がないか注意深く進んだ。
寂れた獣道には、直近に子供が通ったような小さな足跡が残されており、その足跡は真っ直ぐに廃坑へと続いていた。
地表の苔や根のマナ濃度を可視化しながら進むと、やがて朽ちた木枠の廃坑が姿を現す。
入り口は崩れかけ、暗い闇が深く口を開けていた。
小さな足跡は、その闇の奥へと続いている。
「ここか……」
大森が唸る。
廃坑の入口には、不規則に割れた石壁から瘴気が漏れ、ひんやりとした空気が漂っていた。
どうしてこんな場所に子供が……
疑問が頭をよぎるが、とりあえず杉本は杖を掲げ、探索者スキルで周囲をスキャンし、炭鉱の状態を慎重に見極める。
入口周辺のマナ濃度は薄く、静かな空洞の気配のみが周囲の静けさに共鳴している。
マナ濃度とは、簡単に言えば“万能な力の源”。
濃度が高い場所には魔物が多く出没し、低い場所には危険が少ない。もちろん、絶対に安全とは言えないが。
兎にも角にも、探索隊一行は崩落の危険にも配慮しながら、慎重に廃坑の奥へと進んだ。
廃坑内部に侵入してから、30分ほどが経っただろうか。
耳を澄ますと、底部から反響する微弱な足音――いや、何かの音が聞こえる。
探索者スキルで再度スキャンすると、わずかに子供の反応らしき低周波を検出した。
坑内の側壁には、不自然な空洞がいくつか並び、落盤の危険性を示すような不安定なマナの乱れも感じられる。
「子供の気配はもっと奥か……慎重に進もう」
杉本の言葉に、澄江は無言で頷き、杖先で祈りの光を灯して坑道内部を少し強く照らした。
朽ちた木材が崩れ、床板は抜けかけている。
大森が足元を確認しながら先導し、村人二人が柱を軽く補強しながら進んでくれている。
急ぎながらも、安全に気を配りつつ、子供の捜索は続く。
坑道を数十メートル進んだ先、杉本の視界が突然歪んだ。
側壁に開いた小さな通気口から、闇の気配を漂わせた不穏な空気がじわりと染み出している。
「これは……罠?……大森!」
探索者スキルの表示が、危険を示す赤い点滅に変わり、通気口には隠された仕掛けがあると告げた。
ささくれ立った木材が、通気口から崩れるように押し流れてくる。
先頭を歩いていた大森が慌てて防ごうとするが、すべてを抑えきれず、腕に傷を負ってしまった。
杉本は〈ライトヒーリング〉で大森の軽い切り傷を癒しながら、澄江に囁く。
「澄江さん、瘴気が強い場所は結界を強化してくれ」
彼女は頷き、闇の気配が滲む壁面に向けて淡い光の結界を張った。
大森が壁の支柱を叩いて強度を確認していると、床板がミシリと音を立てて細い穴が開く。
「落とし穴……だ!」
後方にいた澄江が、その声に素早く反応し〈ライトニングファースト〉を唱えて大森の手を掴む。
彼女の動きが十倍に速まり、床板ギリギリまで後退して罠を回避した。
回避したのも束の間、今度は壁面の支柱が崩れかけ、大森が大盾と斧槍で支えながら補強し、坑道の崩落を防いだ。
――おかしい。
なんとか危機は回避しているものの、罠は仕掛けられているし、壁も崩れかけている。
誰かが大怪我をしても不思議ではない。
ここは本当に、ただの廃坑なのか?
そもそも、子供がなぜこんな危険な場所に?
疑問が次々と杉本の脳内に浮かび上がる。
通気口の罠、落とし穴の罠――寂れて打ち捨てられた廃坑とはいえ、どこか人為的な悪意が感じられる。
けれど、大森や澄江、そして同行している村人たちの様子を見る限り、危険は“当然の出来事”とでも言わんばかりに、粛々と事後処理をしているように見える。
うーん……この世界では、これが“普通”なのかもしれないな。
唐突に杉本は、自分の今置かれている状況に合点がいった。
日本に生まれ、日本で生活してきた杉本には、不可思議な現象が続いているように見える。
だが、ここは――言葉は通じるが、少なくとも日本ではない。いや、地球ですらない。
何より、普通に魔法を使っている人が存在する世界が、地球であるはずがない。
現実化された危険が当たり前の世界。
村への襲撃、廃坑のダンジョン化。
そうだ……ダンジョンだ。
人為的な悪意で作られた罠にしては、手間がかかりすぎている。
自然発生した罠と考える方が、しっくりくる。
村への襲撃も、捜索も――
それぞれが“クエスト”と考えれば、筋は通る。
行方不明の子供の捜索も……捜索クエスト、か。
はは……まるで作られたゲーム世界だな。
杉本は、心の中に込み上げる乾いた笑いを抑えた。
だが――たとえゲームのような世界だったとしても、子供を見捨てることはできない。
大森も、澄江も、村人たちも……誰一人として見捨てることはできない。
命の危険が当たり前に押し寄せてくる異世界。
そうだな、便宜上“異世界”と呼ぶことにするが、ここは現実の日本で過ごす感覚のままではいられない世界なのだろう。
気を引き締めて臨まなければならない。
杉本は、心に湧いた“乾いた笑い”を掻き消すように、真剣な表情で廃坑ダンジョンに挑む覚悟を決めた。
これが何度目の罠だろうか――
「危なかった……」
杉本は落とし穴の罠を回避し、息を整えると、探索者の視界で子供の状況を再確認する。
子供は生きているようだが、濃い闇の気配がその反応と重なるように、坑道の底へと近づいていた。
探索隊一行は慎重に坑道の最深部まで進む。
そこには、古びた祭壇のような石台があり、白い布に包まれた小さな姿が映っていた。
動くたびに、呆然とした声で何かを呟いている。
「──ママ……ママ……」
はっ! 子供だ!
杉本は急いで駆け寄り、布を静かに剥ぐ。
そこには、小柄な男の子が虚ろな視線でこちらを見ていた。
体は震え、片足が細い鎖で縛られている。
「なんてことだ……おい、大丈夫か?」
杉本は優しく声をかけ、〈ライトヒーリング〉で男の子の疲労を軽減する。
心拍は不安定に高鳴っているが、命に別状はないようだ。
澄江も駆け寄り、男の子の頬に温かな手を当てると、彼は微かに安心したようで、涙を流しながら周囲に尋ねた。
「お母さん……お母さんはどこ?」
「もうすぐ。もうすぐ会える。大丈夫だ!」
大森が子供の問いに応えながら抱きしめると、何かに気づいたように祭壇傍の石壁を調べ始めた。
壁の薄い隙間から、うっすらと陽光が差し込む出口らしき隠し通路が見える。
不穏な空気の流れを避けるように、通路は緩やかに蛇行し、地表の光を遠くに漏らしていた。
杉本は杖を掲げ、探索者スキルで坑道全体のマナ流路を可視化する。
入り口とは違うようだが、どうやら外へ続く通路に遭遇したらしい。
……ん?
ふと、杉本は得体の知れない奇妙さを感じた。
入り口から入り、罠を抜け、子供を救出し、出口の扉が開く――
これは……これが“クエスト”なのか?
奇妙ではあるが、この世界ではそれが日常なのかもしれない。
それでも、探索の冒険に終わりが見えたのは僥倖だ。
杉本は安堵の息をつきながら、子供に柔らかな笑みで声をかける。
「怖かったな。でももう安心だ。ここを抜ければ、村の裏手に出るはずだ」
隠し通路を抜けると、陽光に照らされた林縁が視界に飛び込んできた。
胸に抱かれた男の子は安堵したように体を緩め、澄江の腕に寄りかかる。
「ありがとう……ありがとう……」
涙交じりの声を聞きながら、杉本は杖をそっと下ろした。
探索者の力がもたらした救いは、異世界で確かな効果を発揮した。
後日談ではあるが、子供が迷子になるきっかけとなった母親――
彼女は、村の自宅の納屋で意識を失っていたらしい。
それが、子供の発見と同時期に回復して目覚め、子供同様に“迷子になった我が子”を探し歩いていたという。
なんだこれ……皆、無事だったから良かったものの、一歩間違えば大惨事じゃねぇか。
理不尽にも感じられる収束する力――それが“クエスト”というものなのだろうか。
この現実が、この異世界では日常なのかもしれない。
だが、何となくスッキリしない。
杉本は、この世界を構築する現象を理解しつつも、心に靄がかかったような違和感を感じずにはいられなかった。
村の入口へ戻る道すがら、クエストが明けてもなお、ぼんやりと漂う瘴気を感じる。
その瘴気で思い出したのは、祝勝会の時に村長が言った言葉――
「祝福の夜はまだ終わっていない」
なぜか急に、その言葉が気になり始めた。
それが何なのかは分からない。
ただ、漠然と頭の隅に引っかかっていた。
……村長の老婆は、まだ真実を隠している気がする。
そんな気がしてならないのだ。
ともあれ、先の不安はひとまず脇に置いて、探索クエストは無事に終わった。
大森が男の子を抱えて駆け、杉本と澄江が後に続く。
ほどなく、無事に再会した母子は涙ながらにお互いの安否を確かめ、喜びの表情で抱きしめ合うのだった。
「村長の元に戻ろう。まずは、解決の報告を済ませないとな」
杉本は、この異世界の違和感――
現実の世界との違いを感じつつも、無事クエストをクリアした達成感に、笑顔を浮かべるのだった。
──廃坑から子供は無事に救出された。
だが、度々顔を覗かせる“違和感”の正体は、まだ誰にも分からない。
次回、第4話(前編)「囁かれる実験」
村に伝わる古い言い伝えを語る老婆。楽しげに催される不思議な逸話の裏で、真実を見た子供たちのひそひそ話が木霊する。




