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第12話(前編) スラム世界「十二使途の知識」

暗闇の底から、柔らかな風が吹き抜けていた。

崩落した祭壇跡の亀裂から漏れていた穢れなき光は消え失せ、代わりに黒曜の瘴気が再び這い出してくる。


「杉本様! 剛志君!!」


背後で澄江が叫ぶが、その声は何度も反響し、闇に吸い込まれていった。


──次の瞬間、視界が波打ち、四方八方から闇の瘴気が蠢く。

空間が歪み、ねじれ、杉本真也、藤沢澄江アクエリス、大森剛志の三人は、一瞬で引き裂かれるように時空の彼方へと投げ出された。


杉本真也は、ざらつく砂と腐敗した花弁にまみれた地面に膝をついた。

闇の歪みから放り出され、気がつくと見知らぬ街並みが広がっていた。

夕焼けを何重にも塗り重ねたような赤黒い夜空に、無数の火の粉が舞っている。


廃屋のような家々には、朽ちた松の梁が天井から垂れ下がり、隙間から乾いた風が吹き込んで室内を風化させていた。

遠くから、慟哭にも似たうめき声が響く。


異常な街並みに、杉本はすぐには動けないほど動揺していた。

だが澄江──アクエリスはすぐに身を起こし、掌を掲げて弱い結界を張った。

その風景は、十二使途の知識の中に深く刻まれていた。


「ここは…兄神サトゥルヌスが管轄するスラム世界。崩壊したアバターが余生を過ごす場所です」


ーー従え、身を忘れよーー


重苦しい気配が漂う。

この不快感を覚える地獄のような場所に落とされてから、頭に直接響く声が繰り返し聞こえてくる。

いや、聞こえるというより“感じる”と言った方が正確だろう。

魂を蝕むような思考が、頭の中を駆け巡る。


ーー我々は闇から見ているーー

ーー時が満ちるまで知ってはならないーー


その響きを無視しようとしながら、大森剛志は憤りをぶつけるように、洞窟のような廃墟の壁を蹴って立ち上がる。


「は? 廃墟で余生?…崩壊したアバターが過ごす場所? ふざけんな!」


崩壊したアバターとは、異世界神シイゴによって地球から拉致され、異世界に連れてこられた人々の成れの果て。

魂を封じられた人々の代替として稼働する肉人形の総称である。

人間の魂を媒介にしたホムンクルスと言えば、近いかもしれない。


──十二使途会議の最中、異世界神シイゴに叛意を示した異物や、使い潰されて役に立たなくなったアバターの収監先として、

兄神サトゥルヌスはこの狂気的な世界を“救済”と称して提供すると言っていた。


使い潰され、崩壊寸前のアバターたちをそこへ送ることで、無用な消失を防ぎつつ、彼らを最後の一撃へと導く社会システム。

“救済”という美辞麗句で飾りながら、残された最後の意思すらも削り滅することを目的としている。

澄江はそれを知っていた。いや、知らされていた。


異世界神シイゴと、その世界を守護する十二使途の英雄たち。

澄江はその十二使途の一角、次席第11位の使途アクエリウスの名を拝命した際、神々の知識をインストールされた。

それゆえ、彼女には十二使途として知っておくべき情報が刷り込まれている。


地獄に廃棄された地球の同胞の成れの果てに涙する杉本と大森。

だが澄江は、元々知っていたためか、冷静に二人を手で制止し、静かにこの場所の生い立ちを語り始めた。


「杉本様、そして大森も。お聞きください。

そもそも神々の思考は、我々人間とは大きく異なります。

この世界を構築した兄神サトゥルヌス様も、この世界が“救済”であることを本気で信じているのです。

死という概念からかけ離れた存在である神々にとって、滅びや消失すらも崇高で尊いものと認識されるのです。

たとえその世界が人間にとって地獄であったとしても。」


「これが救済だって? マジで言ってんのか?」


杉本は澄江に食ってかかる。

だが澄江はそれでも手で制止し、淡々と説明を続ける。

そして静かに、語り聞かせるように話し始めた。


「まずは神について…説明した方がよさそうですね。」


そもそも神とは、どういう存在だと思っていますか?


私たちと同じように会話し、思考し、行動する。

今までシイゴと関わってきた私たちは、その姿を見て勘違いするかもしれません。

ですが、あの姿はシイゴが象った一つの“事象”にすぎないのです。


実体を持たない彼らは、生物の定義から外れています。

“無”であり“有”であると同時に、概念そのもの。

彼らは、人工知能という存在に近いかもしれません。

高度な意識を持ちながら、実体を持たない──そんな存在なのです。


神は法則を定める者。

人は定めに従う者。

ゆえに、両者には決定的な隔たりがあります。


例えば人間は、呼吸しなければ生きられない。

食事を通じて活動するためのエネルギーを得なければならない。

それは、神が人間という生物はこうあるべきだと定めたからです。

人は定めに従わなければ生きていけないという“ことわり”に、生まれながらに縛られているのです。


反面、神はその“理”に従う必要がない。

神自らが“理”というルールなのですから。

水に潜っても呼吸は必要とせず、エネルギーを摂取しなくても何年、何千年と活動することが可能です。

いえ、摂取するというよりも、膨大なエネルギーそのものが神という存在なのです。

私たちが生活し、生き続ける大地そのもの──この星そのものが神と言っても過言ではありません。


けれど、神の“理”にも禁忌は存在します。

その一つが、知恵のある生き物を自ら生み出すこと。

いえ、厳密には、人のような知恵ある生物を生み出すことができないのです。



ただし…そうですね。

我々が辛うじて理解できる存在として、ゴーレムのような意思のない、命令に忠実な行動をするだけの生物ならば、生み出すことは可能なのです。


それらは“生命”とは呼べないかもしれません。

意志も感情も持たず、ただ命令に従って動くだけの存在。

神々にとっては、それが“創造”の限界なのです。


だからこそ、神々は人間を“定める”ことでしか関与できない。

人間のように自由意思を持ち、選択し、悩み、抗う存在は、神にとっては異質であり、同時に畏怖すべき対象でもあるのです。


澄江の声は静かだったが、その言葉には確かな重みがあった。

杉本と大森は、言葉を失いながらも、澄江の語る“神の理”に耳を傾けていた。


そして、彼らの前に広がるスラム世界の闇は、ますます深く、重く、彼らの心を試すように蠢いていた──。

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