第9話(4) 帝都ルーメンへ続く道「暗闇の饗宴」
控室の先で、杉本は革製のマントを羽織り、澄江は幻影結界で肌の輝きを抑える。
三人は装飾を外した簡素な服に身を包み、澄江が小声で呪文を唱えると、隠れ身の結界が三人を覆った。
周囲の視線を掻い潜り、大広間を越えて別の部屋へと侵入する。
身を潜めるために入ったその部屋は、人けもなく静まり返っていた。
酒宴の様子を伺うには都合の良い場所だった。
三人はそこから大広間を覗き見る。
大広間では、酒が虹色に揺れ、祝賀の調べが静かに流れていた。
深海と嫉妬を象徴するレビヤタン座の“ラビハブラ”が、第一使途アリエルの名を抱く“ハシェーラ”像の前で賛美歌を響かせている。
1、2、3、4……探索者の目で見るマナの残滓から、強大な力を持つ人物を選定する。
少なくとも4人の十二使途がいる。
もちろん、マナの気配を抑えている者が紛れていれば、さらに多くの使途が潜んでいる可能性もある。
状況を把握しようと集中していたその時、突如として闇を纏う不穏な影が、大理石の中央に立ち現れた。
シイゴの化身――幼い少年のような姿をした闇の神が、空間の歪みを割って現れ、銀色の髪を翻しながら一歩一歩進む。
「よくぞ此処まで来た、最愛なる者たちよ…」
その声は太古の石壁を揺るがすように深く響き、使途たちの祝宴は一瞬にして凍りついた。
まさか――異世界神シイゴと遭遇するとは。
ただ帝都ルーメンへ渡るために訪れただけのはずだった。
十二使途は酒宴に興じ、異世界神は現れ、すべてが予想外に転がっていく。
いや、そもそも杉本たちの行動は、最初から把握されていたのかもしれない。
「まずい!バレてる!仕方ない、行くぞ!!」
南無三!
杉本が大広間に飛び出すと、澄江と大森もすぐに後に続く。
澄江は揺らめく光を両手で遮り、意を決して声を張った。
「お聞きください、シイゴ様。我らは真実を見届けに訪れました。世界進化計画、その裏の意図――新世界創造を退けるために」
「退ける?……十二使途になりたてで、力の行使すらままならぬアクエリス如きが、神の業を覆せると?
この世界はただの実験場ではない――箱庭から解放された後に約束された、新たな神話を刻むステージだ!」
シイゴは無表情のまま、かすかに笑みを浮かべる。
空間が歪み、闇の奔流が大広間を漆黒に染めようと覆い始める。
シイゴの掌から溢れる黒曜の霧が祝宴の灯を飲み込むが、杉本たちは毅然と踏みとどまり、抵抗の意思を示す。
杉本は、断片化した『女神の杖』の欠片を嵌めた杖を頭上高く掲げた。
青白い結晶の光が爆ぜ、闇の奔流を真っ二つに切り裂く。
シイゴの足元に逆風が吹き荒れ、少年神は驚きの表情を浮かべる。
「女神テラの加護か…!」
複数の聖印が暗闇に浮かび、一斉に輝くと、闇の余波を防ぐ結界が形成される。
澄江は息を整え、〈ライトニングファースト〉で瞬間的に跳躍し、シイゴとの間合いを詰めた。
「ふむ、未熟だが体術に関しては完成しつつあるようだな。だが、まだ早い。
真実を知り、衝突を望むなら、まだその時ではないことを知れ」
腕を振るだけの軽い衝撃で、澄江はその場に崩れ落ちる。
次の瞬間、駆け寄ろうとした大森に闇の衝撃が襲い、
同時に、杖をかざしてマナの収束を図っていた杉本も、影のように伸びるシイゴの腕がマナごと弾き飛ばす。
吹き飛ぶ杉本――
つ……強い……。
だが、杉本の身体を守るように、一つの影がその身を支えた。
「驚いた、君たち。なぜここに?」
探索者の目で探知していた強大なマナの気配――
何人かの十二使途がこの場にいることは分かっていた。
だが、杉本たちの目的である長瀬がこの場にいるとは、思いもよらなかった。
「な、長瀬……か」
マナの収束を強制的に中断され、反発を受けて吹き飛ばされた杉本のダメージは大きい。
壁への衝突は避けられたが、片膝をつき、苦しげに長瀬を仰ぎ見る。
「ちょっと拙いか。その力量じゃまだ届かないね。しかたない、少し助力しよう」
強大なシイゴの力場に翻弄され、壊滅の危機に陥った杉本を守るように、長瀬が身構える。
叛意を見せた長瀬に、シイゴも身構えるが、ふと何かを思い出したように拳を下ろす。
「パイシス……そうか、君たちは友人の間柄だったね。まだ感情に流されるか……」
敵味方に分かれようとも協力する二人の絆に、シイゴは羨ましげで、どこか寂しげな表情を見せる。
そして、静かに数歩後ろへ下がった。
「今は引こうか……アクエリス、我が愛娘。自分の意見を通したいなら、もっと力を身につけなさい」
少年の姿からは想像できないほど重く響くその声は、子を嗜める親のように優しく、そして厳しかった。
シイゴは静かに身を引き、絹のように滑る黒衣の裾をたなびかせる。
闇の奔流は風のように散り、残影だけが一瞬漂い、そして消えた。
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大広間の祝宴は豹変し、使途たちは動揺を隠せずざわめき始める。
だが、誇らしげに立つアクエリス――澄江と、パイシス――長瀬、そして杉本・大森に、次々と賛否の声が起こる。
偉大なる神へ力を向けた冒涜。
叶わぬまでも、強大な力に抗う姿勢を見せた者。
友の窮地を見過ごせなかった者への賛辞。
混乱の中で芽生えた仲間意識が、第二幕への扉を開く。
十二使途の宴――闇の神との接触は、決して全面衝突ではなく、次なる対峙への序章であった。
神々の思惑が交錯する中、澄江の覚悟、長瀬の友情、そして杉本たちの勇気が、確かに場の空気を変えた。
それは、力なき者が、強大な力に立ち向かう物語の始まり。
そして、神話の再構築を目指す者たちの、静かなる宣戦布告でもあった。
次回、第10話「地下聖堂の囚われ人──次元倉庫の秘密」。
予期せぬ真実が、深き闇の奥底で、静かにほほ笑む。




