第9話(3) 帝都ルーメンへ続く道「脱兎」
港町カルタリスから『聖なる島』へ向かう外洋船。
杉本たちと『大海の渦』の船員を乗せたその船は、海中に現れた巨大な魚影に邂逅し、動揺していた。
杉本が助けを求めるように視線を向けると、大森も同じく蒼白な表情で固まっていた。
だが、澄江だけは冷静さを崩さず、他の者たちとは違った様子で静かに佇んでいた。
彼女は温かみのある声で、船内の男たちに語りかける。
「大丈夫です。あの海竜は、私と同じ十二使途の一人、ラビハラブの眷属。私がここにいる限り、襲ってくることはありません」
澄江の言葉に、船員たちはなおも不安を拭えず、ギルド長の背に隠れて震えていた。
ギルド長は懇願するような表情で、澄江に問いかける。
「そ……それじゃあ、アクエリス様を下ろした後は、俺たち……食われちまうんで?」
「大丈夫ですよ。彼はああ見えて、私たちよりも賢い。私と共に行動していることも見えているはずです。無駄に長居をしない限りは、むしろ守ってくれる存在ですよ。」
守ってくれる――そう言われても、男たちの胸中は穏やかではない。
「無駄に長居をしない限りは」との言葉が、逆に不安を煽る。
速やかにこの海域を離れるのが賢明だろう。
「わ……わかりやした。アクエリス様の言葉を信じまさぁ。それで……これからどうします?」
ギルド長は身の危険を感じつつ、具体的な上陸方法について相談を始めた。
遠目に見える島の海岸は、神秘的で美しいビーチサイドのようだったが、大型船を停泊できる港は見当たらない。
浅瀬が広がるその海岸まで泳ぐには距離があり、濡れるのも避けたい。
澄江の話では、身を清める泉が島内にあるらしいが、そこまでは海辺からかなりの距離があるという。
どうしたものかと悩んでいると、『大海の渦』の船員たちが定番の上陸法を教えてくれた。
小舟を下ろし、別の小型船で島へ上陸する方法だ。
ただし、それには問題がある。
小舟は使い捨てではないし、澄江が外洋船を離れたら、船は速やかに撤退しなければならない。
事が済んだ後、杉本たちも本土へ戻る必要があるが、小舟では帰れない。
外洋船が離れてしまえば、帰路の確保が難しくなる。
そこで、杉本たちは議論を重ね、次のような作戦を立てた。
- 数人のギルド員と杉本たちは小舟で聖なる島へ上陸する
- 上陸後、小舟とギルド員は外洋船へ戻る
- 杉本たちは転移陣などの魔法を使って本土へ帰還する予定
- ギルドは小舟を回収後、速やかにカルタリスへ帰還する
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「おぉぉ……速えぇな、あいつら」
杉本たちは、聖なる島への上陸作戦を決行し、砂浜から『大海の渦』の様子を見守っていた。
自分たちの帰路については、十二使途が同行しているから何とかなる――そう言葉を濁して伝えていた。
上陸を終えた小舟は、ギルド員だけを乗せて外洋船へ引き返し、外洋船もまた小舟を回収すると、脱兎の如く海域を離れていった。
彼らにとって聖なる島での漁猟は、魅惑の体験だっただろう。
だが、命あっての物種。
『大海の渦』の外洋船は、一目散に聖なる島の海域から離れていった。
(サンキューな……お前らの雄姿、俺はしばらく忘れないぞ)
杉本は、夜空に煌めく星々に敬礼するように、彼らの勇気を讃え讃えてから、その場を後にした。
(って杉本様?彼ら、死んだように振舞ってますけど、亡くなってはいませんからね?って言うか、しばらくって。そこは永遠に、では?)
普段は清楚で真面目な澄江が、珍しく杉本にツッコミを入れた。勿論………心の中で。
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砂浜から少し離れた小高い丘。
その一角に立つ小さな祭壇の奥に、地下へと続く入り口がぽっかりと口を開け、杉本たちを招き入れようとしていた。
洞窟――と言っていいだろうか。
扉こそないが、明らかに人の手が加えられた跡が見受けられる。
限りなく自然に、それでも清廉に整えられた地下への道は、奥へと続く闇を潜ませていた。
「行きましょう。どうやらここには十二使途のラビハラブが来ているようです。私たちが来たことは、すでに察知されているでしょう。今は敵とも味方とも言えません。私も十二使途として力を得たとはいえ、彼らとは面識すらありません。警戒は怠らず、慎重に進みましょう」
澄江は表情を引き締め、注意を促した。
洞窟を奥へ進むにつれ、空間はより人工的な構造へと変化していく。
隠された階段を見つけて降りると、石畳の床、整った壁面、そして天井には、暗すぎず明るすぎない、柔らかな光源が辺りを照らしていた。
杉本は、杖の結晶の先端を押し当て、探索者(Explorer)の目で洞窟――いや、今は廊下と呼ぶべき空間を俯瞰する。
マナの流路、各使途のオーラ、隠し通路、そして――この施設の主であろう闇の神シイゴの気配を探る。
招かれざる客たちは、密やかに、そして大胆に酒宴へと侵入する。
「ついてないですね。けれど仕方がありません。上手く突破して転移門へ向かいましょう」
「まずは、拙いながら戦舞で撹乱を――」
澄江に応えるように、大森は呟き、大広間奥の控えの間へ続く扉をそっと引いた。
そこは侍女たちの脱衣場兼待機室だった。
悲鳴すら出せないほどの速さで、数人の侍女に当て身を加え気絶させると、大広間へと続く控室へ歩を進める――。




