第8話(4)黒帆のギルドと女神の杖「聖遺物の力」
高いなんてもんじゃない。そもそも、そんな大金は持ち合わせていない。
足元を見られたような交渉に、杉本は歯噛みしながらギルドの長を睨みつけた。
杉本の様子を横目で見ながら、やがて澄江はゆっくりと、申し訳なさそうな、か細い口調で言葉を紡ぎ出す。
恭しく、丁寧に。
「申し訳ありません。さすがに帝国金貨百枚は持ち合わせが……。それでも、その遺物はどうしても必要なものなのです。神の御名のもと、どうぞお譲りいただけないでしょうか。」
(ちっ……吹っ掛けすぎたか)
「ふむ。どうやら貴女は高貴な方とお見受けいたします。神の名を出されては、私どもが信仰に疎かろうと引き下がらざるを得ません。私も神に逆らってまで命を危険にさらしたくはない。わかりました、では金貨十枚でどうでしょう?」
ギルド長は周囲には聞こえないようにボソッと呟くと、衣を正して改めて交渉を続けた。
「申し訳ありませんが……。私も十二使途の御名、アクエリスの名を受けたとはいえ、まだ日も浅く蓄えもありません。どうか、もう少しお心遣いを……」
そう澄江が言いかけた瞬間、今度はギルド長の方が驚愕の表情を見せた。
動揺は表情から言葉遣いにまで浸食を始める。
(なんだって? 十二使途? よく見りゃ胸元にエンブレムが……なんてこった、ありゃ十二使途の公章じゃねぇか?)
「じゅ、じゅ、じゅ、十二使途様であらせられまするか。し、し、し、失礼い、い、いたしました。まさかこんな辺鄙な港町に、お、お、お訪れなさるとはわわわ……」
「どうぞ落ち着いてください。私も名を受けてまだ日が浅い若輩者です。今の私に何ができるともなく、神の御威光を求めて旅を続けるだけの身。どうかご緩やかに……」
「そ、そ、そんな、ご謙遜なさらず……そ、そ、そうだ。この港町にも十二使途様の御噂が流れてまいります。何やら神々のご計画を、十二使途の長たるパイシス様が推進しておられるとか。対価は結構です、どうぞパイシス様のお言葉をご教授いただければ!」
ギルド長は、ところどころ派手にどもりながら、脂汗を吹き出す勢いで平身低頭、澄江に言葉を発した。
その様子を見て、澄江は大森とひそひそと何かのやり取りをする。
大森は懐の皮袋から三枚の金貨を取り出し、すっとギルド長の前へ差し出した。
「パイシス様のお言葉……ですか。わかりました。本来、民に聞かせる話ではありませんので、貴方の心の中に秘めていただくことになりますが……。そしてこれは、僅かではありますが、対価としてお納めください。私どもは力を誇示して神の残滓を奪い取るような浅ましい真似はできません。どうかお受け取りください。」
そう言いながら、澄江は現状わかっている神々の計画を、パイシスの言葉として和らげながら語った。
- 他の世界から高度な知識を借り、その知をこの世界に広げようとしていること
- 愛おしい子らの発展を神々が望んでいること
- 世界に平和と安寧をもたらし、桃源郷のような理想郷を築こうとしていること
間違ってはいない。
ただ……手段を問わず行っていること、知識を“借りる”のではなく“拉致してきた”ことを除けば。
その神々の計画をパイシスからの言葉として賜り、ギルド長は涙を流しながら天に感謝を捧げ、受け取った金貨を大切な赤子を守るように胸に抱きながら、澄江に跪いた。
交渉は成功し、『女神の杖の欠片』は杉本の手に渡った。
宿に戻った頃には、まだ若干の明るさが残る夕暮れ時だったが、杉本たちは交渉で気疲れした心身を癒すべく、夕食も軽めに済ませ、早々に眠りについた。
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ギルドが取引を履行し、杉本に断片を手渡した当日の夜。
数えきれないほどの星々に見守られながら、杉本は夢枕で長瀬の姿を見ていた。
「本来の指令は“新世界を創造せよ”だった。進化計画は、ただの前振りだ。」
長瀬は、ぽつんと漆黒の中に浮かび上がる。
同様に、『女神の杖の欠片』も漆黒の中に浮かび上がり、その聖遺物に触れるよう、長瀬が杉本に促した。
青白い光が二人を包むと、長瀬の記憶が一気に蘇る――
強い光の中で、長瀬の45年分のアバターとしての記憶が、フラッシュバックのように現れては消えていく。
……これは過去、長瀬がこの聖遺物と共に過ごしていた頃の『記憶の欠片』なのかもしれない。
杉本は、誰に説明されるでもなく、そう悟った。
『混沌と再生の繰り返し』
言葉で説明するには難しいが、一言で言い表すなら、そんな記憶だった。
天界の高層都市から静かに下界を見下ろす光景もあった。
神々の策略と、アバターたちの葛藤が歪み、掻き消えてはまた浮かび上がる。
次々と脳裏に流れ込んでくる幻想的なイメージ。
最初の二年は飢餓と獣との争い。少年は幼い身のまま失われた。
戦う術がなければ、獣にさえ奪われ、餌食となることを知った。
次の十八年は人々の抗争。数の暴力に押されて散った。
力の差を認識せず、無謀に力押ししてくる人間こそが、何よりの脅威となることを知った。
力の差を理解して近づいてこない魔物の方が、ずっと賢かったと知った。
そして現在の二十五年では、この世界でどう名を残そうか考えていた。
鳥は一羽、牛や馬は一頭、魚は一尾、そして人間は……1名。
数え方は、死んだ後に何が残るかに由来している。
それがたとえアバターであろうと、何かを成し遂げた者は『歴史に名が残る』。
最初の二年は何事もなく消えた。
次の十八年は「権力に屈さない強い意志と力を持った者」として、「恐怖の対象として名が残った」。
歴史に刻まれた分だけ、世界は進化することを知った。
静かにモノローグが流れ、閉じるように闇が消える間際、小さな少年が楽しそうに話していた。
これが異世界の神・シイゴだろうか。
(なんだと?……これが……この少年がシイゴだって?……だが、この子供から感じる圧は確かに……)
杉本は、「幼い少年のような姿をした子供」が、異世界神シイゴだと直感的に理解した。
長瀬とシイゴは、閉じかけた夢の中で語り合う。
意見を交わすように会話する。
幻想の夢は、ゆっくりと闇に溶け、静かに閉じていった。
「君の世界は素晴らしいね。
困っている人がいたら、無償で手を差し伸べてくれる人がたくさんいる。
何のスキルも持たずに、働き、穏やかに暮らしている人が大勢いる。
他人のために行動することに、何の疑問も持たず。
他者を慈しむ精神が、普通だと迷わない慈愛の世界。
身分に大した差もなく、清潔さと安全性を誇る世界。
ボクはね、そんな君の国のような世界を創りたいんだ。
だから……だから……ヘラから、こっそり借りて複製してしまおう。」
夢枕の長瀬が消える寸前、声だけが杉本の頭の中に響いた気がする。
「この断片は、女神テラと異世界神シイゴ、双方のマナを宿している。世界を司る鍵だ。」
………………。
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夢枕で見た長瀬の幻視。
あとから聞いた話では、杉本が夢の中で見た光景と同様の回想を、澄江も見ていたらしい。
大森は見ていなかった。
この差は、おそらく精神的な資質の違いによるものだろう。
大森は地球で過ごした時の記憶も覚醒していない。
アバターとしての人生経験も、おそらく若い。
資格が満たされなかったのだろう。
カルタリスの港では、夜にひっそりと青白い灯りが揺れている夢を見たという人が続出した。
町全体で見られた不思議な光景は、特に問題が発生したわけでもなく、その噂も数日後には自然と消えていった。
この青白い灯りが、聖遺物がもたらした幻視の光だということは、杉本と澄江くらいしか知り得ないだろう。
「この断片は、帝都にいるという聖遺物研究者に調べてもらおう。」
杉本は、女神の聖遺物を杖に嵌めて掲げ、虹色に輝く結晶を眺めた。
澄江は小さく頷き、遠い空を見上げる。
「天界と異世界。私たちの物語は、まだ始まったばかりですね。」
波打ち際で響く船底の木音が、彼らを次なる冒険の旅へと誘った。
カルタリスで行われた交渉という戦い。十二使途の名に沈む黒い帆の誇り。
女神の杖に刻まれた過去の幻影は、いったい何を意味しているのか──
**次回、第9話「帝都ルーメンへ続く道」**
聖なる島へと至る道、大海原に巨大な影が忍び寄る。
招かれざる英雄たちの賛歌、酒宴に踊る彼らの見る夢。




