55
このときは夕暮れと呼ぶには早い時間だった。
しかし、周囲は高い崖に囲まれているので薄暗い。陰はリューゼの顔もかかって、彼女の表情をわかりにくくしていた。
「私がルーベンを殺した」
リューゼは淡々とした口調でつぶやいた。
「どうやって、私がルーベンを殺せたのですか? いえ、そもそもどうして私を疑うのですか?」
「あなたがいくつも嘘を重ねているからです」
レトもまた淡々とした口調だ。
「あなたはルーベン氏が罠にかかった瞬間、カーライフさんと話していません。あれはあなたの嘘です。あのとき、カーライフ氏はすでに別の通路の探索をしていました。ルーベン氏の悲鳴があがったとき、あなたとカーライフ氏は別々にワッケナル氏と合流していましたから。つまり、ルーベン氏はあなたとカーライフ氏の会話に聞き耳を立てていたわけではないのです」
「でも、ルーベンは通気口に近寄っていた。私の声が聞こえたからでしょ?」
「ええ。あなたが呼んだからです。通気口の反対側から」
「私が、ルーベンを通気口まで呼んだ? どうして?」
「指輪のためです」
レトがリューゼの腰のあたりに目をやり、リューゼは慌てたようにポケットを押さえた。そこにメルルが返した指輪があるのだ。
「あなたはこう言ったのでしょう。『婚約指輪がなくなっている。ひょっとしたらさっき調べた通気口に落としたかもしれない。悪いが通気口を調べてくれないか』と」
********************
「通気口に?」
ルーベンはあからさまに不快な声をあげた。「この部屋で探索したときか?」
「ごめんなさい。でも、思い当たるのはそこだけなの」
リューゼはささやくように言った。とある通路の奥、壁に空けられた通気口のそばで。向こう側から聞こえるルーベンの声はさらに苛立ったものになった。
「ああ、くそっ。たしかに光るものが見える。たぶん、あれだ」
「そうね。お願い。それ、取ってもらえる?」
「簡単には届かない。いったい、どこまで手を伸ばして指輪を落としたんだか」
「本当にごめんなさい。でも、あなたから貰った大切なものだし。だから、お願い。ね?」
「わかったよ。ああ、もう、ランタン片手じゃやりにくいな……」
ルーベンは手にしていたランタンを目についた燭台置きの上に置いた。そのまま腕を通気口の奥にある指輪へと伸ばす……。
ガチン。
「何の音だ?」
ルーベンは胸元に目をやり、壁に黒い隙間が生じていることに気づいた。ルーベンの顔つきが変わる。
「罠だ!」
大声で叫びながら、ルーベンは壁から思いきり飛びずさった。同時に壁から白い刃が現れ、ルーベンの胴を切り裂く。
ルーベンは床に落ちるように倒れた。衝撃で息が詰まる。いや、あまりの深手で呼吸ができなくなっているのだ。ルーベンは瞬時にこれが致命傷だと悟った。
「ルーベン、どうしたの?」
薄れゆく意識のなかでレティーシャの声が聞こえた。息を飲む気配があったが、すぐに「何してるのルーベン」と冷たい声が響いてきた。
「ひょっとしてふざけてる? このダンジョンで? やめてくれる、そういうの」
レティーシャが歩きながら声をかけている。
「この間みたいに、私の同情を引くようなことしないで。あのとき、たしかにパーティーから離れないって言ったけど、あなたがこういう悪ふざけするんだったら私はもう我慢できない。私、もう、ここで頑張れない。パーティーから抜けるわ、ルーベン……」
そうか。やっぱり、君は僕を裏切ってラウル家に行くんだな。
リュートもそうか。あいつはもともとラウル家。
アンリは勝手に独立して別のパーティーで活動。あいつ、副団長って立場が不満だったからな。ずっと僕より下ってのが気に入らなかったんだ。家格が下なんだ。当然だろうに。
――そして――
リューゼ。まさか、僕を罠にはめるなんてな。何が不満だったんだ。
みんな、みんな僕から離れる。僕は孤独だ。父上さえも僕を捨てるつもりだ。何だ。何がいけなかった? けっこううまくやっていたじゃないか。それなのにどうして? そうだ。僕は悪くない。何も悪くない。悪いのは僕を裏切るみんなだ。みんな、僕を裏切るのが悪いんだ……。
気がつけば自分の顔をのぞきこむように仲間たちの顔が見える。表情は陰になって見えない。いや見えたところで同じだ。こいつらはみんな……。
――この……、う、裏切り……者……。
********************
「ルーベン氏の遺体をくるんでいた聖布から指輪がこぼれ落ちたのは、ルーベン氏が罠にかかる寸前、指輪を手にしていたからです。指輪は床ではなく、ルーベン氏の鎧かどこかに入り込んでしまった。その後、死骸者となって動き出したルーベン氏からこぼれ落ち、聖布のなかに残っていたのです」
レトは説明を続けた。
「それは単なる推測ね」
リューゼは冷たく言い放った。
「証拠にはならない。それに、決定的におかしい部分があるわ」
「おかしい、とは?」
「その推理だと、私が壁の仕掛けに気づいていたことになる。そうでなければルーベンを罠にかけることは不可能よ。私がどうやって仕掛けの存在を知っていたって言うの? ちなみに、あの部屋にはあのとき初めて入ったのよ。初見で罠の存在に気づけたかしら?」
「ほかの者には難しかったでしょう。ですが、あなただけは別だった」
「どうして?」
「大トカゲです」
これまで挑発的だったリューゼの表情が変わった。
「あなたが仕留めたという大トカゲ。あれはあなたが仕留めたのではありません。あの大トカゲはあの部屋の罠にかかって死んだのです。おそらく通気口に潜んでいたのが、体半分出たところ、前肢か後肢を燭台置きに乗せてしまって胴体を真っ二つにされたのです。あなたはその場面を目撃し、仕掛けの存在と仕組みを知った」
「根拠があるの? あの大トカゲが罠で死んだって」
「あのことで『マドラス団』の方がたはこう表現していました。『大トカゲは胴体を真っ二つにされていた』」
「それが?」
「逆に聞きますが、どうやって胴体を真っ二つにできたんですか? 迫ってくる大トカゲと戦えば、胴体ではなく頭を切り裂く、頭に剣を突き刺す。こういう形で仕留めることになるはずです。遠くの胴体を剣で斬るより、近くの頭を狙うほうがやりやすいです。それに頭部への攻撃のほうが確実に仕留められます。
覚えていますか? 階段の上から襲ってきた大トカゲのことを。あの大トカゲは『銀狼団』のドット・ロイスター氏が仕留めましたが、頭をまっすぐ割る形でした。襲ってくるものを迎え撃つと、そういう形になるものです」
「こっちは無我夢中で剣を振っていた。あのときも言ったけど大トカゲを仕留められたのはまぐれ当たりの偶然。偶然当たった攻撃が胴体を斬る攻撃だった。それだけの話。あれが罠にかかるところを見て仕掛けの存在に気づいたなんてひどい言いがかりよ」
「いいえ。あなたは大トカゲを倒していない。罠にかかって死んだのです」
「証拠は? 証拠はあるっていうの?」
「証拠は残っていました。あなたの剣に」
レトはリューゼの腰に差している剣を指さした。
「僕はこのダンジョンへ向かう前、マドラス伯の執事に頼んで皆さんの武具を調べてもらいました。武具の手入れを専門に行なう砥ぎ師の方に見てもらったのです。武具を調べてもらうにはこれ以上にない専門家です。結果、あなたが使った剣には何も斬った痕跡はなかった、とのことでした」
リューゼは衝撃を受けたように少し身体がぐらついた。
「そう。あなたはあのとき、何も斬っていなかったんです。人間はもちろん、モンスターさえも。僕はあなたが何も斬っていないことを知っていた。だから、大トカゲを仕留めた話も嘘だとわかっていたんです」
「……あなたはずっと私を疑っていたのね?」
レトはうなずいた。「かなり前から」
「どうして今まで黙っていたの? あの見習いのお嬢ちゃんにも黙っていたんでしょ?」
「彼女にもきちんと話しておきたかったんですが、ふたりきりで事件について説明する機会がつかめませんでした。繊細な内容なので他人に聞こえる場所で話すわけにいきませんからね。彼女にはあとできちんと話そうと思っています」
「繊細な内容ね……。で、どうしてそれを今、ここで話すの?」
「あなたを拘束するのは簡単です。それより、あのダンジョンを無事脱出することが最優先でした。死骸者となったルーベン氏をそのままにすることもできません。それに、暴力でものを言わせる盗掘冒険者の対処。やることが多かったんです。そして今、ようやく機会を捕まえたというわけです」
「呆れた」リューゼは本当に呆れたようだった。「ようやく、私に手が回せるようになった、というわけ?」
「それに、こうしてじっくりと話を聞きたいと思っていました。どうして、ルーベン氏を殺そうと思ったのか。婚約していたのでしょう?」
レトの問いに、リューゼはふっと笑った。くるりと横を向く。
「結婚するといっても側室扱いになるの。正室はどこかのお貴族様を迎えるんですって。世間では不思議じゃないでしょうね。なにせ、私は平民の娘だから。
でもね、私はこれまで身分のことなど考えずにすむ生き方をしてきた。大学では貴族の人たちと同じように学び、冒険者になっても対等の立場で働いてきた。実際にそう。大学も仕事も、貴族だの平民だの区別して成立するものでないわ。完全な実力主義。私はそれに誇りをもって生きることができた。
それなのに、ルーベンは私に平民であることの現実を突きつけた。私の誇りを踏みにじった。それって許せることかな?」
「誇りのためにルーベン氏を殺したのですか?」
「そうね。正確には理由のひとつ。私は婚約を解消したいと言ったのに、ルーベンはそれを許さなかった。それどころか、両親を傷つけると脅してきた。両親はマドラス領民。父は身体が不自由で、もし逃げることとなってもままならない。私はマドラス家に人質を取られたも同然の身だった。そんな状態で、私にどうすればいいと? このままあいつの側室として籠のなかの鳥になれとでも?」
「ダンジョン内で殺人を犯すには、自分の身が危うくなるリスクを承知していなければならない……。メルルと話したことです。あなたは、ルーベン氏を殺したことで自分の身が危険になってもいいと考えたのですか?」
「そうなるのかな、やっぱり。あのとき、あの罠ならルーベンを殺せると思ったとき、私は後のことはあまり考えなかった。自分の安全だとか、そういったこと。それより、これで両親が無事で過ごせると思ったことのほうが大きかった」
「そうですか……」
レトはふたたび後ろを振り返った。崖の上からひと筋の煙が昇っている。誰かが狼煙をあげたのだ。
「探偵さん」リューゼはレトに話しかけた。
「で、どうするの? 私を拘束してマドラス家につきだすの?」
「いいえ」レトは首を振った。
「あなたは殺人の罪で、王国の法律で裁かれることになります。マドラス伯に、この件で介入などさせません」
「それは約束してくれるの?」
「もちろんです」
「もし、よかったら、あとひとつ約束してもらえる?」
「何です?」
「私の両親のこと。ふたりの安全を保障してくれたら、私は自分の罪をすべて認める。このことで事実を争ったりしないわ」
「取引という形ではできませんが、ご両親は僕が責任をもって守りましょう。決して、マドラス伯に手出しさせません」
「大丈夫? そんな約束して。私が言い出したことだけど、あなたはマドラス伯の依頼で来たんでしょ?」
「マドラス伯には真実を伝えます。ただ、いつ、どうやって伝えるか。そこまで向こうの言いなりになるつもりはありません。あなたを王都まで送り、ご両親もこちらで保護したあとで伝えるとしましょう」
「そっか。私、あなたがうらやましい」
リューゼは思いきり伸びをしながら言った。どこか肩の荷が下りたような清々しい表情で。
「僕が、ですか?」
「あなたは差別にも、暴力にも、そして、権力にも屈しない。そうできるだけの強さがある。あなたは自由だわ」
「そうでしょうか?」
レトは少し笑った。それは苦笑いに近いものだった。
極限状況下での殺人事件。アガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』、エラリー・クイーンの『シャム双生児の秘密』、などなど。いずれもサスペンス度の高い作品が浮かぶ。今作は、そんなものをやってみたいという理由で挑戦したものだ。冒険ファンタジーとしてだけでなく、本格ミステリとして成立するよう手がかりのちりばめ方には苦労した。それがうまくいったのかどうか。あいかわらず読者の反応を見るのは怖い……。




