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「ありがたいねぇ。ご子息様さまさまよ」
デレクは上機嫌な声をあげた。目の前には大きな岩扉が開かれている。何者かがこの扉を開いていたのだ。
これまで、各階層の扉は簡単に開かなかった。しかし、目前にあるそれは大きく開いて、侵入者が通れる状態だ。
もっとも、それは無償というものでなかったらしい。扉の前には無数の虫の屍が転がっていた。どういう仕掛けだったのかわからないが、無理に扉を開こうとする者には、死の制裁を加えていたようなのだ。虫たちはその犠牲ということだろう。
「探偵が死骸者は虫を使役できるって言ってたが本当だったんだな」
オリヴァーが床に転がっている虫をつま先で転がしながらつぶやいた。
「どうも鍵穴に虫たちを侵入させて、無理やり錠を外したらしい」
扉を調べていたクラリスが言った。彼女は錠破りのスキルを持っていたのだ。
「おい、虫けらでもこんなに役に立つんだぜ。お前もしっかり働けよ」
デレクはグリュックの頭をぐいと押さえながら笑う。グリュックは無理やりうなずかされた格好だ。
「じゃ、ありがたく先へ進ませてもらうとするか」
デレクは上機嫌顔のまま階段を降りていく。
周りの者たちは少しあきれ顔になりながらも、黙って後に続いた。
「おい、ここの階段は狭いし、天井もやたら低いぞ。頭ぶつけないように気をつけろよ」
デレクは首をすくめるように歩きながら周りに注意した。
「そう言われても……」
このパーティー内で大柄にあたるアンリは身を縮めて歩きながらぼやいた。
「そうだぜ。なぜ、ここだけこんなに狭いんだ」
すぐ後ろを歩くドットも苦しそうな表情だ。アンリよりも大柄なドットには、少々身を屈めたぐらいではここを進むのは困難なのだ。
「ぼやくなよ。そんなに長い階段じゃねぇからよ。ほらもうすぐ第8層だ」
デレクの言葉に、ドットは少し顔をあげた。同時にゴンと音を立てて頭が天井にぶつかった。
「痛ってぇ! ぶつけちまった!」
ドットが忌々しそうに文句を言った瞬間だ。
カチンという金属的な音が階段に響き渡ると、同時に空気を斬る『ヒュン』という音とともに風がパーティーの間を吹き抜けた。
「な、何?」レティーシャが思わず声を漏らす。
ぼとりという、何かが落ちる音が聞こえたのは間もなくのことだ。そして、ゆっくりと誰かの身体がくずおれていく。
「ドット?」
オリヴァーが仲間に声をかけた。しかし、ドットはそれに応えず階段の上に倒れた。
「おい、ドット?」
デレクも仲間の異変に気づき、立ち止まって振り返っていた。ランタンを掲げてドットの身体を照らす。
「ひっ!」ドットのすぐそばにいたリューゼが息を飲んだ。ドットの身体には首がなかった。すっぱりと切り取られた断面から大量の血が流れ出している。ドットの首はその数段下に転がっていた。
「ドット!」デレクが叫んだ。「罠だ!」
その場の全員が立ち止まり、身をすくめたまま辺りをうかがった。
「罠? 何の? 誰か教えて!」
レティーシャが叫び声をあげる。
「落ち着けレティーシャ! じっとしてれば大丈夫だ!」
アンリが安心させるように言っているが、それは怒鳴り声だ。
「い、今よ……、俺の、俺の頭の上を何か飛んでいった」
リュートが声を震わせている。
「お、俺の髪を何本か斬り飛ばして行ったんだ。ほ、ほら……」
リュートは自分の手に舞い降りた髪を見せようとするが、見ようとする者は誰もいなかった。
「私、さっきの瞬間、頭上を銀色の何かが飛んでいくのが見えました」
メルルが声をあげた。ドットの死体を前にして顔は蒼ざめているが、落ち着いた表情だ。
「あれって、何か刃物状のものが頭の上を通り過ぎたんだと思います」
メルルは天井を指さした。
「この階段の壁に刃物が仕込まれているのか……」
アンリはこわごわと壁から離れようとする。
「おそらく天井がスイッチです。誰かの頭が天井に触れたら作動する仕掛けなんです」
メルルの説明を聞くと、デレクは表情を変えた。驚愕のものから怒りの表情に変わったのだ。
「クソッ! こっちをおちょくるような罠を仕掛けやがって! いいか、天井には絶対触れるな。ゆっくりと慎重に降りてこい」
やがて、一行は第8層に降り立った。ドットの遺体は、グリュックが引っ張って首とともに階下へ降ろされていた。
「……こんな仕掛けが施されていたなんて……」
アンリは階段を見上げながらつぶやいた。
ロズウェルはドットの遺体のそばでひざまずくと、目を閉じて祈りの言葉を唱えている。グリュックもその隣で手を合わせていた。
「この方をどうします? こちらが用意した聖布にくるんで差し上げてもよいのですが、通路に置いたままではけっきょくダンジョン虫に食べられてしまうんじゃないでしょうか?」
リューゼが、ちらちら遺体に目をやりながらデレクに話しかけた。デレクは怒りの表情のまま首を振る。
「放ってくれていいぜ」
「で、でもそれじゃ……」
「ドットはすでに首をはねられている。つまり、屍霊化することはないってことだ。それにこんな下の階層であの巨体を持ち帰るのは骨が折れる。あいつは遺品だけ回収して、あとはここに残しておく」
デレクはアンリに目を向けた。「あいつはご子息様のように持ち帰っても金にならねぇんだ」
デレクと視線が合ったアンリは顔をそむけた。ルーベンの遺体をダンジョンに残す決断をしたのはアンリだ。デレクはそのことを含んでアンリに目を向けたのかもしれない。
「聖布だけはかけてあげてください」
祈りを終えたロズウェルが立ち上がりながら言った。
「ロイスターさんも虫に食い散らかされた姿を皆さんにさらしたくはないでしょう」
デレクは何も言わなかったが、手を振って背を向けた。「勝手にしろ」ということなのだろう。
ドットは純白の聖布に覆われて姿が見えなくなった。
メルルもその作業に加わったあと、手を組み合わせて黙とうした。あまりいい感情を抱いた相手ではなかったが、こんな無残な死に方を目の当たりにすると心が苦しくなる。嫌悪することはあっても、『死んでいい』とは思わなかったのだ。こうして残酷な『死』というものを見せつけられると、今、自分がいるのが本当に恐ろしい場所なのだと思い知らされる。
さっきまでわずかに抱いていたレト生存の願いが、どんどんかすんでいく心持ちになり、メルルの身体は震えた。
「このダンジョンもいよいよ本気を見せ始めたってところか」
仲間の死にもっとも動じていないのはオリヴァーだったようだ。冷静な口調でつぶやいている。
「これ以上進んだら、全員命を落とすかもしれねぇな」
オリヴァーの言葉は暗に引き返そうと言っているようだった。
「今さら引き返しても仕方ねぇよ」
デレクの声はいくぶん力が弱かった。心にダメージを負っているように思えた。
「俺たちは何としてもご子息様の遺体を回収して、5層の階段を戻す手立てを見つけなきゃならねぇんだ」
そこだけはブレていなかった。
「だけど、本当に戻る手立ては見つかりそうなの?」
さすがにクラリスは不安を覚えたようだ。
「最初に訊かれたときも答えたがわからねぇよ」
デレクの返事はここでもブレていなかった。
「だがな。期待値は上がっているぜ。こうも抵抗を見せるってことは、俺たちを行かせたくない理由がこの奥にあるってことだからな……」
「財宝だけだったら意味ないわよ」
クラリスは投げやりな口調で言ったが、すぐに口を押さえた。「ごめん。言い過ぎたわ」
「気にするな」
デレクはそれだけ返した。