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第7層は目的地に誰も近づけさせまいという意志を感じさせる構造だった。通路は入り組み、どんどん枝分かれしていた。
ただ、レトは迷う様子を見せずに歩いていた。どの通路も大黒蜘蛛の巣が張り巡らされているが、その一部を何者かが突き破っていたのだ。レトはそれがルーベンのしわざだろうと当たりをつけて、それをたぐって進んでいたのだ。死骸者を恐れたのか、大黒蜘蛛の姿もない。この区域から逃げ出したようだ。
レトはそれでも足に絡みつきそうな蜘蛛の巣を炎で焼き払いながら、どんどん奥へと進んだ。
なぜ、自分はこんな危険を冒して単独行動をしているのだろう?
ドットに馬鹿にされたが、当然だと思う。自分でも馬鹿なことをしていると思うのだ。
しかし、レトは思ったのだ。
これは事件解決の一手になりうると。
もし、ルーベンに知性が残っていて、生前の、つまり彼が殺されるまでの経緯を覚えていれば、この事件の真相はルーベン自身の口から語らせれば明らかになるのだ。死骸者がどこまで生者に友好的な態度を見せるか不明だが、賭けるだけの価値はある。レトはそう思った。しかし、レトがそう考えた背景に、レト自身の好奇心の強さがあることを本人は自覚していなかった。レトの、客観的に見ればうかつともとれる行動には、そんなレトの一面も隠れていたのだ。
ただ、レトは『うかつ』と言い切るまでには無警戒でなかった。辺りに注意を向け、背後からの襲撃にも備え、一歩踏み出す先に罠がないか確かめた。
こうした慎重な行動が奏功したか、レトは罠らしい罠にかかることなく進むことができた。気づけば、出発した部屋からかなりの距離を歩いている。
……このまま順調であればいいんだけど……。
レトは心のなかでつぶやいた。ただ、これまでの人生で『順調』と呼べるものなど何ひとつなかった。今回に限って、そんな都合のいいことがあるはずはない。
そう。あるはずがなかった。
レトは、ある曲がり角で足を止めた。
――罠だ。
このダンジョンには死に至る罠の存在は確認できなかったが、やはり存在した。侵入者を阻む、いや排除する死の番人……。
レトは床面と接する壁にこすれた跡があったのを見逃さなかった。この床はこれまでに何度か壁をこすりながら下方向に傾いたことがあったようだ。つまり、この床は獲物を奈落の底へ落とす仕掛けがあるのだ。
この通路には罠がある。しかし、この床をルーベンは無事に通ったようだ。どうやって?
レトは床に炎を近づけて調べてみた。
……大黒蜘蛛か……。
床面は四角いタイルで覆われていたが、そこにも大黒蜘蛛が巣を張っていた。しかし、何枚か巣が張られていないタイルがあったのだ。
……大黒蜘蛛は罠が作動するタイルを避けて巣を張っていたんだ……。
ルーベンは巣の張ってあるタイルだけを踏んで進んでいた。それがレトの考えを裏付けている。
『思った以上に死骸者の知性は高い』
レトは顔をあげながら思った。もし、罠に気づかずに後を追っていたら、自分は罠にかかって墜落していたのだ。
……それに……。
レトは曲がり角の先にある壁にも注目していた。その壁にはいくつもの小さい穴が空いている。
『これもタイルのどこかに作動するスイッチの類が仕込まれていて、それを踏んでしまうと槍か矢が飛び出す仕組みか……』
罠としては原始的だが、2千年以上は前のものだから当時としては珍しくないのだろう。しかも、ダンジョンのように薄暗いところでは意外と気づきにくいだけに効果的だ。
レトはそっと通路の陰から様子をうかがってから角を曲がった。安全なタイルを探りつつ歩きはじめる。しかし、その歩みはすぐ止まった。
レトの少し前方に蜘蛛の巣で見えにくくなっているものの、誰かが立っているのに気づいたからである。
――ルーベン・マドラス……。
レトは瞬時に察した。炎を少し強めて通路を明るくすると、浮かび上がったのはやはりルーベンだった。
「ルーベン卿。お話しさせていただいてもよろしいでしょうか」
相手が動く気配を見せないので、レトも立ち止まったまま話しかけた。
「僕はレト・カーペンターと申します。メリヴェール王立探偵事務所の探偵です。今回は、あなたが命を落とした事件を調査するために参りました」
レトは丁寧な口調で自己紹介し、ここへ来た事情を説明した。反応を見たが何も返ってこない。じっと立ったままだ。虚ろな目からは感情がうかがえず、その思考さえも読み取れない。
「もし、お話しいただけるのであれば、あなたが命を落としたときのことをうかがいたいと思うのですが」
こちらの言葉が聞こえているのか。それに言葉の意味が伝わっているのか。レトには確信を持てるものは何も感じられなかったが話し続けた。少なくとも、ルーベンはいきなり襲ってこようとはしない。話を聞いている可能性は残されている。
「どうでしょうか。当時のことで覚えていることはございますか?」
もし、ルーベンの口から真相が語られれば画期的なことだ。これが可能だと証明できれば、死者から真相を聞き出すことで事件を解決する時代が来るかもしれない。
「おぼ……えて……いる……?」
ルーベンは首をかしげながら、たどたどしくつぶやいた。
反応した! 言葉が通じている!
レトはうなずいた。
「ええ。覚えている範囲のことでけっこうです。あのとき、あなたに何が起こったのか教えてもらえませんか。この『ツヴァイ迷宮』第5層、避難所としていたあの部屋で、あなたの身に降りかかったことです」
「おぼ……えて……いる……。おぼ……えて……いる……。おぼ……おぼ、おぼ、おぼおぼおぼ、おぼぼぼぼぼ……」
ルーベンは首をかしげたまましゃべっている。しかし、口から出るのは、まともな言葉ではない。どこか狂気を帯びた、いや、どこか壊れたと思わせる言葉の羅列だ。
ルーベンの傾いた頭がまっすぐになった。両手をあげ、天を仰いでいる。
「ぼぼぼ、僕が覚えて、いる……。何を、何を覚えて、いる? 覚えて、ない。ない、ない、ないないないないないないない!」
屍霊に対して恐怖を感じたことのないレトだったが、このルーベンの姿には肌が泡立つのを覚えた。思わず一歩あとずさる。
「ないないないないないないなー!」
ルーベンは大声をあげると急にレトめがけて駆け出した。
「え?」
レトの目は左右に揺れた。正面のルーベン。そして、両側の壁に広がる無数の穴……。
レトは思いきり後ろへ飛んだ。いや、飛ぶしかなかった。レトが飛ぶと同時に壁から無数の槍が飛び出して反対側の壁に突き刺さった。その場に留まっていればレトは串刺しになっていた。
壁から飛び出した槍はルーベンを左右から突き刺した。頭も胸も腹も脚も。全身を刺し貫かれて、ルーベンは空中で静止した。
レトはルーベンと『魔』の領域では互角だとメルルに言ったことを後悔した。とんでもない勘違いだ。ルーベンはそもそも『魔』の領域に立っていなかったのだ。
ばかんと床が開く感触がして、レトは暗がりのなかへ、奈落の底へと落ちていった。槍で貫かれたルーベンは奈落に落ちることなく空中に留まったままだ。
……ルーベンは徹底して『死者』の領域にいたんだ。槍に自らが刺し貫かれようとかまわず、僕ごとダンジョンの罠で仕留めようとした。取り逃がしても落とし床の罠に追い立てる二段構えの策略。僕は死骸者の知恵を見誤っていた……。
漆黒の闇に飲み込まれるレトの目に、ルーベンの顔がわずかに見えた。ルーベンは口を大きく開き、そして……。
嗤っていた。
「は、は、は、は、は、は、は、は……」
レトを落とした床はすぐに元の位置に戻る。レトは完全に闇へと閉ざされた世界で、そのまま静かに、深く、落ちていった……。




