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執事が案内する離れは、屋敷を出てうっそうとした林を抜けた先にあった。
古めかしいが豪壮な造りで、ここに招かれた者はマドラス伯から歓待されていると思えただろう。
ただし、今回は、この離れに逗留している4名の人物は、事実上の軟禁状態にあるはずだった。
「こちらへ」
執事は大きな扉を開けると、離れの奥を片手で指し示した。
離れに入ると、すぐ右手に大きな扉があり、どうもそこが迎賓用の応接間らしかった。ふたりはその部屋へと案内された。
メルルが想像したとおり、この部屋もまた豪華な家具に彩られていた。さすが貴族の部屋だと思う。執事にソファまで案内してもらったが、ソファの端で居心地悪そうにそっと腰かけるだけだ。どうも、こういう場所は落ち着かない。自分の『場違い感』を思い知らされるようで、緊張感だけでなく、どことなく惨めな気持ちにもなる。
「関係者の方がたをひとりずつご案内いたします」
執事はそう言い残すと応接間から去っていった。
レトはソファのまんなかで、あごに手をかけた姿勢で座っている。やはり、肝が据わっているというか、このような場で物怖じしたりしない。
あごに手をかけている姿勢は、レトが思考するときに見せる、一種の癖だ。
「何を考えているんです?」
こんな部屋でずっと無言のままでいるほうがしんどい。メルルはこの空気を変えたい気持ちでレトに尋ねた。
「ダンジョンという場所は、犯罪を隠すにはうってつけの場所だな、と。でも、実際に行なうのは難しいな、とも」
レトは姿勢を変えずに答えた。
「常に命の危険があり、そこで命を落とせば基本的に冒険中の事故だと思われるだろう。ダンジョンの危険性にかこつけて殺人を企むのは、妙案に思えるかもしれない。
でも、そのときはパーティーのメンバーがひとり欠けた状態になるわけだ。ダンジョン攻略は連携が重要。連携の乱れが即、パーティーの危険につながるからね。
そんな危険をわざわざ冒してまで、ダンジョンで殺人を企てるだろうか?」
「計画的なものではなく、突発的なものであれば?」
「もし、この件が殺人であるなら、その可能性が考えられる。
そうであれば、加害者は相当な殺意を抱いていたことになるのかな。なにせ、さっき言ったとおり、自らの命をも危険にさらす行為だからね」
「自分の安全を省みる気にならないほどの殺意、ということですか?」
「そういうこと」
扉を叩く音が聞こえ、執事がうやうやしく扉を開いた。執事は、不機嫌顔の男を招き入れると頭を下げ、静かに扉を閉めた。
「初めまして。僕はレト・カーペンターと申します。
メリヴェール王立探偵事務所で探偵をしています。こちらは……」
レトはソファから立ち上がるとあいさつを始めた。メルルも慌てて立ち上がる。
「探偵助手見習いのメルルです」
メルルは自己紹介しながらおじぎした。
「アンリ・ワッケナル。マドラス団の一員だ。副団長を務めている。ルーベンが団長だったので、今は俺が実質的にリーダーだ」
アンリは不機嫌な表情のまま返した。
アンリはレトの真向かいに腰を下ろし、ふたりもソファに座った。
「マドラス伯があんたたちを呼んだのか?」
アンリの声は表情と同様、不機嫌そのものだった。さっきから感情を隠そうともしない。
「ええ。マドラス伯はご子息の死に納得がいかないようです。
マドラス団の皆さんがおっしゃるとおり、ルーベン氏が事故死であることが確認できれば、僕たちはその旨を報告して王都へ戻ります」
レトはそう説明したが、アンリの表情に不機嫌の仮面がはがれることはなかった。
「まぁ、あんたたちにしても無意味な仕事になるかもな。
俺の話で『確認』とやらができるかわからんが、まぁ何でも訊いてくれ。答えられることなら何でも答えてやるさ」
「ありがとうございます」
レトは頭を下げると、「さっそくですが、ルーベン氏が命を落とされた経緯をお聞かせください」
「マドラス伯から聞いていないのか?」
「聞いています。ですが、僕はあなたの口から直接、お聞きしたいのです」
「ふん」
アンリはつまらなそうに鼻から息を吐いた。
「俺たちは、ここから10里先にある『ツヴァイ迷宮』と呼ばれるダンジョンに挑んでいた。それは、10年ほど前にここの領民が狩りの途中で偶然見つけたものだ。
入り口は崖に面したところにあって、内部は地下へ何層も続くダンジョンだ。最初は最低限の安全が確認できるまで誰も立ち入ることができなかった」
「最低限の安全、ですか?」
ダンジョンに挑んだことのないメルルは首をかしげた。ダンジョンに最低限の安全って……。
「これまで誰も立ち入らなかったダンジョンだからな。
まともに呼吸ができるほどの空気があるか、その空気に有害なものが含まれていないか、その確認が必要だったんだよ」
なるほど、そうか。もし、ダンジョン内が有害なガスなどに満ちた場所だったら、足を踏み入れたとたん昇天するはめになる。メルルは納得した。
「俺たちが入る前には第1層の安全は確認されていたが、あの討伐戦争が始まったせいで、さらに下の階層の探索はこの2年あまり、しばらく中断して誰も立ち入ることができなかったんだ。
今年に入ってようやく、ダンジョン探索ができるようになったわけさ。
ダンジョン探索のメンバーにはルーベンが代表のマドラス団が決まった。ま、ルーベンの親父さんがダンジョンの所有者だから当然だわな。そういうわけで俺たちが第一回の探索再開を始めたのさ。
俺たちは先々週、ここを出発し、『ツヴァイ迷宮』に入った。
第1層はもともと攻略済みだから難なく先へ進み、第2層、第3層と進んだ。
第4層からダンジョンに巣くうモンスターを退治しながら先へ進み、ようやく第5層までたどり着いた。それが10日前のことだ」
アンリはそこで話すのをやめ、レトたちを順に眺めた。「ここまではいいか?」
レトは小さくうなずいた。「続けてください」
「第5層は細い通路が迷路状に広がる場所だった。
俺たちはそこでひとつの小部屋を見つけ、そこに罠がないか調べた。第5層探索の拠点にできないかと思ったからだ。
5人がかりで調べたが、そのとき罠は見つからなかった。そこで俺たちはそこを拠点と定め、ルーベンをのぞく4人でダンジョンの探索を始めたんだ」
「ルーベン氏はそのとき、部屋で何をしていたんですか?」
「拠点の設営さ。
ルーベンは魔法を使えないが、いろいろなアイテムを持参していた。
たとえば、聖域の魔法陣が描かれた布。これを広げられた場所には屍霊や悪霊などのアンデッド系が侵入できなくなる。ダンジョン攻略の拠点設営には必須のアイテムさ。
ほかには火の出さない簡易的な『かまど』。密閉された空間で火を使うと空気がなくなったり汚れたりする。とはいえ、食事どきに調理ができる環境は欲しいわな。そのときに役立つアイテムだ。ルーベンはそれらを設置するために部屋に残ったんだ」
「ルーベン氏が亡くなったのはそのときですか?」
アンリはうなずいた。そのときにはすでに、彼の顔から不機嫌の表情は消えていた。
「俺はどこかに隠し部屋など見つけられないか、あの部屋から離れた通路にいた。
壁を叩きながら調べているときに、あいつの……、ルーベンの悲鳴が聞こえた」
「悲鳴とは、どのようなものでしたか?」
「『うわぁー』とか、『わぁあ』とか、そんな感じだったかな。
恐怖の悲鳴と言うより、驚いたという……、そんな悲鳴だった」
「あなたはすぐにルーベン氏のもとへ駆けつけた」
レトは確かめるように言った。「あなたひとりで」
アンリは首を振った。
「いいや。俺はわけがわからず、ほんのしばらく突っ立ったままだった。
しばらく、と言っても、ほんの数秒だったと思う。そうしているうちに、奥からリュートとリューゼが合流した。俺たちは3人であの部屋に向かったんだ」
「あの部屋へ行くまでの道はいくつかあったのですか?」
「曲がりくねっちゃいるが一本道だ。俺たちが合流した場所からはな。それがどうした?」
「合流したおふたりは『奥から』とおっしゃいましたが、ルーベン氏が倒れていた部屋に近かったのはあなたで、残るふたりはその奥にいたという理解でよろしいのでしょうか?」
「あ、ああ……。そういうことか……。そうだな。そのとおりだ。あいつらは俺よりも奥の通路にいた」
アンリは認めた。
「部屋へ駆けつけたとき、室内の様子はどうでしたか?」
「部屋のまんなかでルーベンが倒れていた。
入り口から見て頭が左、足先が右を向いて……、まぁ、真横に倒れていたって感じか。
レティーシャが……、うちの団の中衛だが……、彼女がルーベンの横に座っていた。いや……、へたりこんでいたって言うのが正確かな……」
「レティーシャさんは正確にどの位置で座っていたんですか? あなた側? ルーベン氏の頭側?」
「向こう側だ。ルーベンの状態にひどくショックを受けていた。でも、当然だろ? そんなの」
「そうですね。で、あなたがたはすぐにルーベン氏の手当てを行なったんですね?」
「あ、ああ、もちろんだ。リュートやレティーシャは回復魔法が使えるからな。
しかし、傷があまりに深く、ふたりの手当てむなしくルーベンは死んだ」
「つまり、手当てを始めたときルーベン氏はまだ生きていたんですね?」
この質問に、これまで冷静に答えていたアンリの顔つきが変わった。明らかに動揺の表情が浮かんだのだ。
「あ、ああ、たしかに。だ、だが、意識はなかった。こっちがいくら声をかけてもまともに返せる状態じゃなかった」
「そうですか。このあと、皆さんはどうされたのです?」
レトは静かに質問を続けた。「ルーベン氏が亡くなったとわかった瞬間から」
「ど、どうされた、って……。そ、そりゃ、手を合わせ、黙とうしたさ。仲間が死んだときはそうするだろ?」
「そうですね」
「遺体の運び方を相談したが、置いていくしかなかった。
ルーベンは何かに斬られたような傷を負っていた。その傷は胴の半分に達するほど深かった。下手な運び方だと胴体がまっぷたつに千切れてしまう。いくら死んでしまっているとはいえ、遺体の扱いは丁寧であるべきだ。違うか?」
「そう思います」
「そ、それによ、ルーベンはけっこう体格がある。
あいつを背負って、危険なダンジョンを戻るのは難しかった。ど、どこでモンスターの襲撃に遭うかわかったもんじゃないからな。
ま、まぁ、置いていくことは決めたが、その場に放置したわけじゃない。
遺体の屍霊化を抑える聖布にくるんだし、『死肉齧り』みたいなダンジョン虫に喰われないよう部屋にあったテーブルの上に安置したんだ。床の上だと、いろんな虫が這いずり回っているだろうからな。
今後、誰かがルーベンを探しに行ったら、お、俺の言ったことが本当だったってわかるはずだぜ……」
最後には、アンリは額に大粒の汗を流していた。
「なるほど。お話しいただき、ありがとうございました」レトは礼を言いながら頭を下げた。
アンリが部屋を出ていくと、執事――セルロンゾが扉の陰から姿を現した。
「次の方をお呼びしますか?」