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『ツヴァイ迷宮』第7層――。
「いきなりこれか……」
デレクはため息交じりにつぶやいた。
階下に降りたとたん、踊り場には大黒蜘蛛の群れが待ち受けていたのだ。周囲は白い糸が張り巡らされて、大黒蜘蛛をやり過ごして先へ進むことなどできない。
「皆さん下がってください!」
メルルが前に出ると、杖の先端を大黒蜘蛛の群れに向けた。
「『火炎剛球』!」
杖の先から炎が噴き出し、大黒蜘蛛の群れを覆っていく。恐れ知らずの蜘蛛の群れも、炎に抗う術がなく、通路の奥へと逃げていく。しかし、メルルの放った炎は巣にも燃え移っていたため、何匹かの蜘蛛は、その炎にまかれて動かなくなった。
「バカ野郎! 地下のダンジョンで炎を使う奴があるか!」
デレクは色をなして怒鳴った。メルルは澄ました様子で杖の先端をデレクに向ける。
「この地下迷宮は空気が循環しているんです。私の炎ぐらいで空気がなくなるなんて起こりませんよ!」
メルルは続けて口のなかで呪文を唱える。デレクの顔が蒼ざめた。「まさか!」
「『火炎剛球』!」
「やっぱり!」
デレクが頭を押さえてしゃがみこむと、その頭上を炎が通り過ぎた。デレクの背後で何匹かの大黒蜘蛛が炎をあげてくずおれていく。
「ここは蜘蛛の巣ごと炎で一掃するのが一番です!」
メルルは大きな声で言った。
「このお嬢ちゃん、メチャクチャだ!」
かたわらのリュートは額から汗を流して叫ぶ。
「でも、今回は賛成だね。お嬢ちゃん、やるじゃないか」
矢を放ちながらクラリスが声をかけた。
「こういうときに結託するから女は厄介なんだ!」
デレクがヤケを起こしたように叫ぶ。
踊り場の戦いは、メルルの炎系魔法のおかげで圧勝に終わった。男たちは焼け焦げの蜘蛛の死骸を前に汗をぬぐい、大きく息を吐いた。
「この階層は大黒蜘蛛の支配地域になっていますね。巣を焼き払いながら進みますか?」
メルルが杖をぽんぽんと叩きながら言うと、デレクは思いきりしかめ面をしてみせた。
「ここからは少し控えてくれ。いくら空気が循環していても、外とはわけが違うんだ。下手すりゃ酸欠になっちまう」
「団長の言うとおりです」グリュックもしかめ面で言った。
「ここの空気交換率は決して高いものではありません。後先考えずに空気を使うと、空気の交換が間に合わなくなります」
「すみません」さすがに反省してメルルはうなだれた。それを見て、デレクはますます不機嫌な顔になる。「グリュックの言うことは素直に聞くのかよ!」
「しかし、どうやって進む? お嬢ちゃんの言うとおり、ここは巣を焼き払いながらでないと進むのは骨だぞ」
オリヴァーが通路の奥を指さしながら尋ねる。オリヴァーの指摘したとおり、通路の奥は蜘蛛の巣で完全に覆われており、焼き払う以外の方法で進むのは難しそうだ。
「焼いては休み、焼いては休みを繰り返すしかないだろ」
デレクは不機嫌な顔のまま答えた。「こっちだって、一気に焼き尽くしたほうが気分がいいのに我慢してんだ」
欠点ばかりが目につく男だが、デレクの優れているところは決して感情だけで行動していないところだろう。感情任せではなく、ときには理性的な判断を下すことができるのだ。その意味では、彼はパーティーを率いるリーダーらしいと言える。
「ひとつ確認したいんだけど」
クラリスが腕を組んだ姿勢で声をあげた。
「なんとなく次の階層へ進む流れになっているけど、このまま下へ進むことが地上に帰る手立てになるの?」
それはぼんやりとメルルも考えていたことだ。メルルはデレクが何と答えるのか耳をすませた。
「たしかに帰る手立てにつながるかわからねぇ」
デレクは正直に答えた。
「だが、ダンジョンってのは全体を管理するための中枢ってのがあったりするんだ。そういうのは簡単に踏み込まれないようダンジョンの奥深くに隠してある。なんといっても司令塔だからな、そこは。逆にそこを押さえてしまえば、あの5層へ通じる階段の操作も可能になるってわけだ。ま、現状じゃ、可能性のひとつにすぎないんだがな」
「デレクはそれに賭けてるってこと?」
「ま、そういうこった」
考えなしに攻略を進めているわけでなかったのだ。メルルは少しほっとした。
「このダンジョンの司令塔はどこにあるんだ?」
ドットが疑問を口にする。「つまり、ここの最下層はどこかってことになるが……」
「さぁな。ここが最下層かもしれねぇし、10層かもしれねぇ。まぁ、百層まではねぇと思うがな」
デレクの返しにドットは顔をしかめた。「よせよ、悪い冗談だ。百層まであってたまるかよ」
そうだ。メルルもここで気づいた。さきほどの戦闘のせいだけでなく、かなり疲労がたまっているのだ。今、ここは何層? 第7層だ。たったこれだけ進むのに、どれだけ体力を使ったのだろう?
もし、このダンジョンがさらに何層もあるものだったら、メルルたちはダンジョンを脱出する手立てを得る前に力尽きてしまうだろう。
自分はかなり疲れている。しかし、調子は変だ。自分の魔力は減っているはずなのに、むしろ魔力はみなぎっている感覚があるのだ。
「ここは魔素がかなり濃い。魔力の回復は通常よりも早いから、つい魔法を使いがちになる。でも、体力までは回復してくれないから、魔法を使ううちに体力切れで倒れる場合がある」
メルルの様子に気づいたのか、レトが話しかけてきた。
「今の私の状態ということですか?」
レトはうなずいた。「休憩をとることも大事なことだ」
「まぁそうだ」珍しくデレクはレトに同意した。「みんな、ここで休むぞ」
太陽が見えないせいで、時間の感覚がおかしくなっている。時刻としては、すでに日暮れに近づいてるはずだった。しかし、非常事態の対応やらでろくに休憩をとらずに進んでいたので、彼らは満足に食事も摂っていなかった。そこで遅めの昼食を摂ることになった。
昼食のメニューはドットが仕留めた大トカゲ肉のコースだ。
血液に毒があると聞いていたので、メルルはおっかなびっくりで肉の塊を手にしていた。メルルはためらいがちにリューゼに話しかけた。たまたま隣に座っていたのだ。
「リューゼさん、大トカゲの毒ってどんなものですか?」
リューゼはメルルに話しかけられて驚いたようだが、笑顔をみせた。
「大トカゲの毒って、いわゆる食中毒を起こすものね。でも、血抜きした肉を火に通したら、毒は壊れて無毒化されるの。だから、この肉は食べても安心よ」
知識は最大の助言者だ。メルルは安心して肉に噛みつく。口のなかに肉汁の旨味が広がってくる。
「美味しい!」
メルルは目を輝かせた。肉の味を感じると、急に食欲がわいてきた。これまで空腹は感じても、食欲まで感じられなかったのだ。夢中になって肉にかぶりつく。
「美味しそうで何よりです」
調理したグリュックが嬉しそうに言った。
「ほんとに美味しい。臭みがまるでないし、何かいい香りもする」
リュートも肉の味に感動しているようだ。
「新鮮なうちに血抜きしましたからね。それに、香草をまぶして焼いているんですよ」
グリュックは丁寧に説明すると、リュートは感心したような表情を浮かべた。
「同じ大トカゲでも調理次第でこんなに味が変わるものなのか。俺たちのパーティーには、料理が得意なのがいないからなぁ」
「それは残念でした!」
レティーシャが顔を突き出して言う。少し機嫌を損ねたらしい。
「そう言えば、前回の探索でも大トカゲを食べたんですよね?」
メルルはリューゼに訊いた。
「ええ。偶然、仕留められたんだけど」リューゼはうなずいた。
「ひと通り、『あの部屋』を調べ終わってから、リューゼが着替えをすることになったんだ。それで男衆は5層の探索範囲を広げて調べることにしたんだ」
リュートが説明に加わる。
「レティーシャさんは?」メルルはレティーシャに目を向ける。
「私は少し離れた水場で洗い物」レティーシャはそう答えると肉にかぶりついた。
「そうしたら、部屋からリューゼが悲鳴をあげるもんだから、私も驚いて駆けつけたわけ。部屋に入ったら、リューゼが剣を手に棒立ちしていたわ。床には胴体が真っ二つになった大トカゲが転がっていた」
「着替えを終えて、ふと後ろを振り返ったら大トカゲがいたの」
リューゼは当時を思い出したのか、少し暗い表情になった。
「びっくりした私は反射的に剣を振ったの。大トカゲを仕留められたのは、ほんと偶然」
「探索したとき、その部屋には何もいなかったんですよね?」
「たぶん、空気穴から入り込んだのだと思う。あなたも覚えてるでしょ? 探偵さんがのぞいていた穴」
「ええ。あそこから出たんですか?」メルルはうなずきながら尋ねた。
「出たところを見てないけど、間違いないでしょうね」
「大トカゲが出たのが、リューゼが着替え終わったときでよかった」
リュートは首を振りながら言った。「着替え途中で俺たちが飛び込んだら、真っ二つにされたのは俺たちだった」
「私、そんなひどいことしないよ」リューゼはリュートに抗議した。
「冗談だよ、冗談」リュートは片手で制する格好をした。
「で、大トカゲを調理して食事休憩を取ってから探索の続きを始めたんだけど……」
今度はレティーシャが暗い表情になった。
そのときに事件が起きたのだ。メルルはすぐわかった。
「おい、あと10分で探索を再開する」
とつぜん、デレクが話に割り込んできた。
「それと、今後の方針だが、探索するのはあと2時間とする。それまでに5層にあった部屋と同じような避難所を見つける。もし見つけられたらそこを新たな避難所にする。もし、時間内に見つけられなかったら、5層まで引き返し、ご子息様が亡くなった避難所で睡眠をとる。ここで露営なんて危険なことはできないからな。あの部屋で休むのはイヤなんてぜいたく言うなよ。わかったな?」
このダンジョンは大部分が通路だ。もし、このまま夜の時間になれば、通路で睡眠をとることになる。こんなところで眠ると、大トカゲや大黒蜘蛛に襲われる危険もあるし、それに死骸者と化したルーベンの襲撃もありうる。デレクの考えは理にかなったものだ。
しかし、メルルはやはり『言い方!』と思った。




