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彼らが5層へ降り立つために使っていた階段は巨大な壁と化していた。まるで、初めから階段などなかったように。
壁を前にして、デレクは「まじかよ」とだけ、つぶやいた。
「念のため壁を叩いてみたが、空洞がある感触はなかった。まるで、ずっと岩壁だったみたいだ」
説明したのはドットだ。彼は、クラリスがみんなを連れてくるまで、ここで壁を調べていたのだった。
「道を間違えたわけでないのはたしかだ。なにせ、この付近に階段なんてないのだからな」
ドットは両手をひらひら振りながら説明を続ける。隠していることはないことを示しているつもりなのだろう。
「たしかにそうだ。ここは4層へ戻る階段のあった場所だ」
アンリは広げた地図を手にしていた。地図の形と、通路の位置を交互に見比べ、確信をもったようだ。
「じゃあ、どうして階段が消えてしまったの? 前にここへ来たとき、こんなこと起こらなかったじゃない!」
レティーシャの声は金切声に近いものだった。声だけでなく、ブルブル震える身体が彼女の動揺を表していた。
「前は前、今回は今回だよ」
リュートはどこか悟ったような表情で言った。「それに、ここで騒いでも仕方がないだろ?」
冷たい言い方だが、メルルは正論だと思った。まずは、この状況を冷静に受け止めなければならない。血が上った頭では、問題を解決する知恵など決して浮かぶはずもないのだ。
「何が起こったのか正しく把握しよう」
デレクが落ち着いた声で言った。このような事態に慣れているのか、最初に見せた動揺は見られない。このわずかな時間で自分を取り戻したようだ。
「再度確認だ。4層への階段は、たしかにここだったんだな?」
「間違いない。周囲の通路に形状の変化はなかった。変わったのは、ここだけだ」
ドットの声に揺らぎは感じられない。自分の判断に自信を持った者の声だ。
「つまり、この岩壁は、魔法か、迷宮の仕掛けのいずれかで出現したということだ」
「魔法だとしても、この岩壁自身は現実のものよね。何もないところから現れたってわけでなさそう」
クラリスの声も落ち着いたものだ。メルルは、これが『銀狼団』なのだと思った。荒ごとで鍛えられた彼らにとって、この非常事態は『大したこと』ではないのだ。
「おい」
デレクがこちらに顔を向けた。静かだが、凶暴さを秘めた顔つきだ。メルルは背筋がこわばるのを感じた。
「何か、仕掛けらしいものに触った者はいるか?」
メルルはもちろん、アンリたちも一斉に首を振る。
「私たちは、仕掛けらしいものは何も見つけられていないわ。それに、何か見つけたとしても気安く触れたりしない。迷宮攻略の鉄則はわかっているわ」
レティーシャの声は早口だ。自分たちに落ち度はないと必死の表情で訴えている。
「最初に5層を探索したときも、俺たちは何かの発見につながる有力な手がかりを得られていない」
続くアンリの声には力がなかった。
「何かの罠に触れたなら、あのとき探索していた時点で俺たちはここに閉じ込められていたはずだ。俺たちは今回の探索でも変則的なことはしていない」
「しかし、こうして、俺たちは閉じ込められた」
デレクはコンコンと岩壁をこづいた。
「何かの仕掛けが作動したことに疑いはない。そうだよな?」
アンリはゆっくりとうなずいた。眼前にある事実を否定できるものはない。アンリにうなずく以外にできることはなかった。
「水道は使いましたか?」
とつぜん、奥から質問の声が響いた。一同が視線を向けると、そこにはレトが立っていた。
「ルーベン氏が亡くなられた部屋に近い、あの小さい広場にある水道です。あそこは前回の探索時に使用しましたか?」
「……あ、ああ、あそこか……。ああ、たしか使った。ええっと、あれは、リューゼだったかな」
予想外からの質問に当惑の表情を浮かべたまま、アンリはリューゼに話を振った。
「前回は、君が大トカゲをさばいてくれたよな? あの水道で肉を洗いながら」
全員の注目を浴びる形になったリューゼは、デレクの視線に気づくと激しくうなずいた。
「え、ええ。私が『あの部屋』で仕留めた大トカゲを調理したわ。そ、そちらのグリュックさんと同じようにさばきながら……。そのときだって、普通に栓を動かして水を出しただけだし……。それに、あのときは階段が消えることにはならなかったわ」
「じゃあ、誰も変なことはしなかったって言うんだな」
デレクの顔に怒りの表情が浮かんだ。
「お、思い当たることはない、ということだ」
アンリも必死の表情で抗弁した。話の流れでは、『マドラス団』が被告のようになっている。しかし、ここはきちんとした裁判所ではない。弁護士もいなければ裁判官もいない。この場にいるのは、自分の都合を一方的に押し付ける男だけである。高圧的な態度でこの場を支配する男だけが。
「ひとつだけ、前回と違う状況があります」
レトの声は大きくなかったが、全員に注目させる効果は大きかった。
「何だ、お前、さっきから。俺はお前の発言権を認めたわけじゃないぞ」
デレクが詰め寄ろうとレトに一歩進みかける。レトはそれを遮るように話を続けた。
「この異変が、死骸者による場合です」
デレクは立ち止まった。「何だと?」
「この迷宮は、もともと地下城としての役割を持ったものです。つまり、防衛機能が存在したはずです。もし、その機能がまだ生きているならば……。もちろん、今の状況を見ると、そうなのだと思いますが、4層へ戻る階段が消えたのは、その防衛機能が働いたと見ることはできませんか?」
「それが、死骸者とどうつながる?」
「僕たちは罠を警戒して、あまり迷宮内のものに触れたりしません。ですが、ひとりだけ、生命の危険を省みずに行動できる者がいるのです」
「死骸者が勝手に迷宮のあちこちを触って、防衛機能を刺激したって言うのか?」
「死骸者はすでに死んでいます。死の罠など怖くもなんともないでしょう」
デレクは立ち止まったまま、ううむと唸った。さすがに、その可能性を否定できる理屈をデレクは持ち合わせていないのだ。
「それに、今考えるべきは、誰がこの仕掛けを動かしたか、ではないでしょう。どうすれば、上の階層へ戻ることができるか、です。
ワッケナルさん。この階層は、ほかに上層へ戻る道はないのですか?」
アンリは首を横に振った。「4層と5層をつないでいるのはここだけだ」
「私たち、完全に閉じ込められたのね」
レティーシャが気落ちした声でつぶやいた。
「私たちが遭難したとマドラス伯が知れば、助けを寄越してくれるんじゃない?」
リューゼがレティーシャの肩に手を置いて言った。レティーシャは無言のまま首を横に振るだけだ。
「実際のところ、それはどうだろう」
リュートが不安そうな表情を隠そうとせずに言った。
「この迷宮は、一応、ゴズワルさんに管理を任せている。でも、あのひとが俺たちの遭難を悟るのはいつになる? 少なくとも数日はかかるはずだ。それから、マドラス伯へ通報して救助隊が組織されるのにどれぐらいの日数がかかる? 俺たちは少なくとも1か月はここで頑張らないといけないんじゃないか」
「用意した食糧は一週間分だ」
オリヴァーが口を挟んだ。「それを食いつくしたら、俺たちはここのモンスターを食う以外しかなくなるぞ」
「幸い、水はある」ドットの声は落ち着いたままだ。彼はこれまで、まったく表情が変わらなかった。
「生き延びるだけならどうにかなりそうだ」
ずいぶんとたくましい考えを口にしている。
「脱出の手もあるかもな」デレクは不敵な笑みを浮かべていた。
「手? どうやって?」アンリは驚いた声をあげた。
「考えてもみな。ここには水道があるじゃないか。こいつは迷宮全体を流れている。つまり、そこを通路代わりに進むことも可能じゃないのか?」
「そんなこと可能か?」アンリは疑わしげな表情になった。「水道に、呼吸ができるほどの空間があるかわからないんだぞ」
「たしかめない手はないさ」デレクは岩壁をぽんぽんと叩いた。「ここを掘って進むよりは現実的だろ?」
反論できず、アンリは黙った。その肩をリュートが叩いた。「おい、何か聞こえないか?」
全員が口を閉じ、耳をすませる。
聞こえる。
何か重い岩のようなものが床をこする『ゴリゴリ』という音が。
「何の音だ?」デレクが小声でささやいた。
レトは自分の背後を振り返っていた。その先にあるのは、さきほどグリュックと話していた水道の流れる広場のあった場所だ。
「何かがいる」レトのつぶやきはひとり言のように聞こえた。
「モンスターですか?」かたわらに立っていたロズウェルが不安そうな表情を見せた。レトは首を振る。
「わかりませんが、魔物の類が岩を押して動かすなんて考えにくいですね。迷宮の何かの仕掛けが動いているのか、そうでなければ……」
レトはそう言いながら歩きはじめた。
「この先で、誰かが岩か何かを動かしているんです」




