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「話が違うんじゃない……?」
レティーシャの声は震えていた。
「そうかな?」
応じるルーベンの声は冷たく、突き放した感じがあった。
マドラス伯の屋敷にある談話室。
ふたりはソファに向かい合って座り、話していた。いや、レティーシャはある宣告を一方的に突きつけられていた。
――ラウル伯、ベネディアン卿との結婚は認めない……。
「この間、このことを話したとき、あなたは快くおめでとうって言ってくれたじゃない。どうして、急にそんなことを!」
「事情が変わった」ルーベンの答えは短かった。もちろん、それで納得できるわけがない。レティーシャはソファから立ち上がって、向かいに座るルーベンを怒りに満ちた目で見下ろした。
「私と、あのひととの結婚は、これまでぎくしゃくしていたラウル家と和解するきっかけになる――。あなたはそう言ってたじゃない。境界線の問題なんて、現状を維持できればそれでいいって、あなたが……」
「それは僕がマドラス伯を継げば、という話だった。僕はあの土地に執着していないからね。だけど、父は今の僕にマドラス伯を継がせられないと言い出したんだ。後継者としての資質に問題があるってね。どんな問題だと思う?」
「わからないわ」レティーシャは首を振った。
「まさに今、話したことさ。チャド平原の領有について、僕は領地について執着心を持っていない。ラウル家と争う気持ちがない。それが問題なのさ。マドラス家は代々、ラウル家と争ってきた。ただ、このことを王国側から問題視され、両家は私兵を持つことを禁じられている。この屋敷や周辺に兵がいないのはそんな理由だ。臨時に雇うことのできる冒険者だって人数や規模に制限がある。こんなのじゃラウル家と戦争もできやしない。それだったら、さっさと和解してしまえばいい。僕はそう思ったんだ。
だが、父は僕のそんな考えが気に入らなかった。マドラス家はいずれ、ラウル家を圧倒しなければならない。それが、マドラス家代々の領主の悲願であり、義務なのだと。その義務を軽視するお前に家を継ぐ資格はないってね」
「でも、あなたが継がなかったらこの家はどうなるの? あなたに兄弟はいないんでしょ?」
「祖父の兄弟の末裔がいる。いわゆる分家。そこからめぼしいのを養子に迎えて跡を継がせると宣ったんだ。現当主の父上は」
「そこまでして……、ラウル家を敵視するの? ベネディアンはいいひとよ。あなたと同じように争いごとなんて望まない。平和につき合えるはずよ」
「そうだね。そう思うよ。でも、それは僕がマドラス家の当主になれたらの話だ。そうならないかぎり、彼と仲良くするのは不可能だ」
「家の問題はそうだとしても、それがどうして、私とベネディアンの結婚に反対する話になるわけ?」
「父上はラウル家に甘い顔を見せるなと言ってきている。それなのに、僕のパーティーからラウル家に嫁ぐ者が現れたら、父上はどう考える? 僕が父上からの命令を守ることのできない、後継者にふさわしくない者だと考えるだろう」
レティーシャの身体がふらついた。「そんな、そんな理由で……」
「僕にとっても、マドラス団にとっても重大な問題だ」
「だったら!」レティーシャは大声をあげた。
「私が団から抜ければいいだけじゃない? 私がマドラス団と無関係になれば、誰と結婚したって関係ないでしょ?」
「ダメだ」ルーベンは首を振った。「君が抜けることは認められない」
「どうして?」レティーシャの声は半分泣いていた。
「君が抜けると、団を維持できなくなる。『マドラス団』は遺跡調査専門の冒険者パーティーだ。専門的な知識を持った、希少なパーティーだ。君の代わりなんて簡単に見つかりはしない。君と同じ専門知識を持つ者はいる。しかし、冒険者も務まるだけの者となると、いったい、この王国内にどれだけいる?」
ルーベンの問いに、レティーシャは答えられなかった。「だからって、そんな……」と、弱々しい声で抗議したぐらいだ。
「僕はこのパーティーを終わらせたくないんだ!」
ルーベンはテーブルを叩いた。彼の目には涙があふれている。
「マドラス団は……、僕が本気で取り組んだものだ。苦労は多かったが、ようやく、ほかの冒険者たちからも存在を認めてもらえるようになった。世間じゃ、『討伐戦争にも参加できない弱小パーティー』なんて揶揄されたりもしたが、今じゃ、そんなことを耳にすることもなくなった。僕たちの活動は、少しずつでも確実に、世間に認知されつつあるんだ。これからなんだ、僕たちは!」
ルーベンは、あふれる涙をぬぐおうともせずに顔をあげた。レティーシャの顔をまっすぐに見つめた。その顔に、レティーシャはたじろいだ。
「君は裏切らないでくれよ、僕たちを。結婚することも、団を抜けることも……。結婚については、僕が跡を継いだら認めてやるさ。だから、しばらく待っててくれればいいんだ」
「そんな……。あなたの都合で私の結婚を先延ばしにさせるの?」
「僕の都合じゃない。僕たち、マドラス団のためだ。君にとっても無関係の話じゃない」
「私が代わりのひとを見つけたらいいんでしょ! そうすれば私を解放してくれる?」
「解放だって?」ルーベンの表情が険しくなった。
「仲間との絆を君はそんなふうに考えているのか?」
……ああ、だめだ。ルーベンは……。
レティーシャは絶望感で全身の力が抜けそうになった。話が嚙み合わない。正確には、こちらの主張をきちんと受け止めてもらえない。どう主張しても、ルーベンは自分の『ものさし』に当て込んで反論してくる。
もともと頑固な部分があると思っていたが、今回のそれは頑固を通り越して意固地になっているか、あるいは考えを変な方向にこじらせているとしか思えない。
何を話しても『話し合い』にならないのだ。
この場はルーベンに話を合わせておいて、隙をついて逃げる? 難しいだろう。マドラス家が本気になれば、他の冒険者を雇って自分を探し出させることは簡単だ。それに、逃げ込む先はベネディアンの元しか考えられないが、そうなればラウル家とマドラス家の抗争がふたたび激化してしまう。ベネディアンは本当に優しいひとだ。彼に暴力的なことで悩ませたくない。
では、このままルーベンに従って結婚を延期する? いつまで?
現当主のロータル・マドラスが、いつ隠居するか誰にもわからない。現在は60歳を超えたあたりだが、年齢を感じさせないぐらい壮健だ。ルーベンが跡を継げるのは何年先の話になるのか。それまで、ベネディアンが自分を待ってくれるかどうか。待ってくれるかもしれない。しかし、何年もあとに結婚できればいいって話でもない。ふたりの間に子供が生まれることも望んでいる。そのためにも結婚の時期を遅らせたくない。ベネディアンはもちろん、自分もそんなに若いわけでないのだから。
では、この問題を解決する方法は――?
レティーシャはそこで我に返った。今、自分のなかにわずかだが、それでもはっきりと誰かの『死』を望む感情が芽生えていたことに気づいたからだ。
ルーベンは無言でレティーシャの顔を見つめ続けている。
レティーシャは今芽生えた感情を押し殺し、表面的には平静な表情でうなずいた。
「ごめん。言い過ぎたわ、ルーベン。今は、あなたの言うとおりにする。私だって仲間との絆は大切だから」
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『あのとき』のルーベンは尋常とは言い難かった。
その理由が、団を解散させようとする父親からの圧力によるものだったのか。
レティーシャは確信を持つことはできなかった。
――何にせよ――、
あのときのルーベンとのやり取りを正確に話すわけにいかない。レティーシャは固く心に決めた。
「リュート。その話、どうして今まで俺たちに話してくれなかった? 俺たちにとっても大事な話だろ?」
アンリが少し怒った口調でリュートに言うと、リュートは自分の頭をぼりぼりとかいた。
「話そうと思ったさ、あのときは。ただ、翌朝、俺はルーベンに部屋まで呼び出されたんだよ。昨夜、あの会話を立ち聞きしていたろって」
「ルーベンが……?」
「あの薄気味悪い執事が書斎の前にいる俺を見ていたらしい。その執事の密告で俺はルーベンに詰められることになった」
「口止めを強要されたのか?」
リュートはこくんとうなずく。「ああ」
アンリは渋い表情で首を振り、リュートは「ほっ」と息を吐いた。その様子を、メルルは何か変だと感じながらも口にはしなかった。
「ところで……」
レティーシャは話題を変えるように言った。「扉は開けられそう?」
「だめだ」アンリは首を振った。
「まったく見当がつかない。暗号みたいな文章の意味もわからないままだ」
アンリは横目で扉の脇を見た。そこには岩を切り出して造られたような台がある。台は斜めに切られて、断面に文字らしいものが刻まれている。その台は物を載せるためでなく、何か案内するための掲示板であるらしい。
「暗号……ですか?」
珍しく、レトが関心を持ったような声を出した。
「ああ、ここはおそらく6層へ通じる扉だ。しかし、カギ穴もないのに固く閉まってやがるんだ。これもおそらくだが、ここに書いてある暗号を解かないと開かないんじゃないかな?」
アンリは背後にそびえる、大きな岩の扉を指さした。




