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「そ、それは……」
レティーシャは目を左右に揺らしながら口どもった。
「あの部屋には何もなかった。ルーベン氏の身体を迂回して何かしなければならないものも何も。それでも、あなたはルーベン氏が倒れているのを見つけて、わざわざ向こう側に回っている。あなたはルーベン氏を見つけてすぐ叫んだわけではない。ルーベン氏の身体を迂回して、『何かをして』から叫んだんです。それはいったい何なのですか?」
「と、特に何かしたわけじゃありません! わ、私、私は……」
レティーシャは身体を大きく震わせた。「ただ、ランタンを壁から取って来ただけなんです!」
「ランタン?」レトの表情が曇った。
「そう! ランタンです!」
レティーシャは両手を握りしめて、それらを上下に振った。
「壁には燭台置きがあって、そこにランタンが置いてあったんです。あ、あのとき、ルーベンが倒れているのを見つけたとき、私、意味がわからなかったんです。なぜ、ルーベンがそこに倒れているんだろうって。床が変な色になっていて、私、それが血の色だとすぐにわからなかったんです」
「血の色がわからなかったんですか?」
「血の色が赤いのは知っています、もちろん! でも、あのランタンの明かりは赤色混じりの黄色……橙色に近いものでした。おかげで血の色も橙のような色味だったんです!」
「それで、あなたはどうしたのですか?」
「私、壁の燭台に置かれているランタンを取り上げて、明かりの調節をしたんです。エネルギーを大きく消費しますが、白色系にすれば、光の色味に惑わされずにルーベンの様子が見られるだろうって……」
レティーシャはここで口をつぐんで周りに視線を走らせた。仲間たちの表情が気になっているようだ。アンリを始め、仲間たちは無言でレティーシャが語ることを聞いている。表情には疑念を抱いているようなものは感じられなかった。
「話を続けてください」レトは続きを促した。
「白色系の明かりでルーベンの身体を見たら、床に広がっていたのが大量の血だとわかりました。お腹からも血があふれていて……。それで、私、思わず叫んだんです」
「レティーシャの説明に嘘はない」アンリが言った。
「俺たちが使っている魔法灯は、魔法石から魔力を得て光るものだ。魔法石の魔力は無尽蔵じゃないから、魔力が尽きると明かりが点かなくなる。そこで、明かりの力を弱めて、魔力を節約するんだ。ルーベンは貴族であるが、パーティーのお金の管理には細かくてね。何ごとにも節約志向だった。だから、あのときのランタンの明かりが弱かったことにおかしな点はない。本当だ」
「その点は信じましょう」レトはうなずいた。
「でも、倒れているルーベン氏をそのままにして、ランタンに向かったのはおかしくないですか? まずは、ルーベン氏の様子を確かめるものでは?」
「それは……」レティーシャの視線はふたたびうろうろしだした。これまでレトとともに仕事をしてきて、さまざまな人物から事情を聞いている。レティーシャのように視線がうろつくのは、その多くが何か都合のいい説明はないかと思いを巡らせている場合だ。つまり、彼女は嘘をつこうとしている。そう思った。
「レティーシャ。君は、ルーベンが死んだことに何か関わっているのか?」
リュートが訊いた。「今ひとつ、考えが追いつかないんだ……」
リュートはレトに顔を向けた。
「探偵さんよ。あんたは、レティーシャがルーベンを殺したとか疑ってるのか? 考えてみてくれ。彼女にルーベンを殺すのは難しい。根拠は傷のことだ。ここに遺体がない状況で言っても仕方がないかもしれないが、あれは胴体をスパッと斬ったような傷だった。あれほど鮮やかな手並みは、よほどの剣士でないと無理だ。レティーシャは戦闘経験を積んだ冒険者ではあるが、ルーベンが簡単にやられるものじゃない。ルーベンの腕前はたしかだからな。不意をつくにしても難しい。それは、俺たちにも言えることだ」
リュートの言葉に、周りが一斉にうなずいた。メルルは『それをここで言っても……』と半ば呆れた気持ちで聞いていたが、心のどこかで『そうかもしれない』とも思っていた。
「ルーベン氏の死に際の言葉、『裏切り者』」
レトは切り出した。
それを聞いた一同の顔色がサッと変わる。レトはアンリに視線を向けることもなく話し続けた。
「皆さんがマドラス伯の離れで証言されたとき、このことを隠していましたね。ある程度、正直にお話しいただいたことは疑っていません。ですが、隠しごとをしている。僕は、あのとき、あの部屋で何が起きたのか、それを正確に知りたいだけです。もし、ほかの方がたに聞かれたくない話であれば、個別にお聞きします。ただ、正直に話していただきたいのです。レティーシャさん。あなたも、あの部屋で起きたことで僕たちに話していない、隠していることがある。それを教えてほしいのです。それを知らないかぎり、僕はあなたの不審な行動について、その意味をずっと考え続けることになります」
レティーシャは、なおも何か逡巡するような様子を見せていたが、どこかで思い直したらしい。顔をあげて、レトの顔をまっすぐに見つめた。
「わかりました。お話しいたします」
「ここで大丈夫ですか?」レトはアンリたちの顔を見ながら尋ねた。
「別に、みんなに聞かれてもかまいません。ある程度なら、みんなも知っている話ですから」
「そうですか。では、お聞かせください」
レティーシャはここで口をつぐんで周りに視線を向けたが、それはさきほどまでの落ち着きのないものとはまったく別のものだった。どこか決意を固めた、意思を感じさせる視線だった。
「私、近いうちに結婚するつもりなんです」
「おい、それは……」アンリが表情を曇らせた。「ベネディアン卿のことか?」
「そうよ」レティーシャはうなずいた。
「ベネディアン卿とは?」レトが尋ねた。
「ここから南にある、ラウル伯という伯爵号を持つ方です。私たちと同じように考古学の研究者で、スタンノード大学の教授でもあります。私はその方から求婚されていたんです」
メルルは首をかしげた。それが、今回の件とどうつながるのだろう?
「マドラス伯とラウル伯はチャド平原の領有で揉めてるんだよ」
アンリが説明した。「もう、何世代も前からね」
「チャド平原は豊かな土地で、穀物の収穫量が高いのです。現在はそれぞれ半分ずつ領有しているのですが、明確な境界線がないために、争いが続いているんです」
レティーシャは説明を続けた。
「つまり、ルーベン氏は自分の家と争っている領主との結婚に反対していた?」
レトの問いにレティーシャはうなずいた。「ええ」
……でも、それじゃあ……。メルルには疑問の答えにならないと思った。
……自分には、ルーベンさんを殺す動機があると言ってるものじゃないの……。
「どのぐらいの反対でしたか?」
レトは質問した。「つまり、強く脅迫されたとか、暴力を振るわれたとか……」
「ルーベンは良くも悪くもお貴族様です」
レティーシャは首を左右に振った。「粗野な態度は見せませんでした」
そして、苦笑に近い笑みを浮かべる。「単なる泣き落としです」
「泣き落とし?」
「君に抜けられると困るとか、団を維持できなくなるとか、そんな話です。ついには涙さえ見せたんです」
「涙……」レトは口のなかでつぶやいた。
「ですから、あのとき、倒れているルーベンを見つけたとき、ひょっとして、私から同情を得るための演技をしてるかもと考えたんです。床に広がってる染みは血の色に見えませんでしたし、部屋に異常も見当たりませんでしたから」
「それで、あなたはルーベン氏を迂回して壁のランタンを取りに行ったんですか?」
「一応、ルーベンに声をかけながらですけど。『どうかしたの?』、『ひょっとしてふざけてる?』とか聞きながら」
「そのとき、ルーベン氏は?」
「何も反応がありませんでした。ランタンの明かりを調節し、彼がよく見えるようになると、床に広がっているのが本物の血だとわかって……。そこで私は思わず叫んだんです」
レティーシャがルーベンの無事を確認するのを後回しにしてランタンを取りに行った事情はわかった。しかし、メルルには完全に納得できない気持ちも残っていた。
「ルーベン氏は日ごろ悪ふざけすることがありましたか? たとえば、ダンジョン内で死んだふりをするような」
レトも同じ気持ちだったのか、そんな質問を投げかけた。
「いいえ。冗談を言うことはあっても、死んだふりをするような悪ふざけはしてませんでした」
レティーシャは首を振る。
「ただ……、あのとき、パーティーの雰囲気が非常に悪い状態でした。ぎくしゃくしているだけじゃなく、どこか殺伐しているというか、互いを信頼していないような……。うまく言えないんですけど、みんな、どこかおかしい感じでした。特にルーベンは……」
レティーシャはここで大きく息を吸った。「情緒に不安定なものを感じました」
「どのように不安定だったのですか?」
「その……、落ち着きがないというか、すぐ苛立った声をあげたり、ときには上機嫌で誰彼かまわず話しかけたり……。これまでのルーベンには見られなかった態度でした」
レトは無言でリューゼの顔を見つめた。リューゼは小さくうなずく。「レティーシャが話しているのは本当です」
「ルーベン氏がそんな振る舞いをしていたことに、皆さんに心当たりはあるのですか? さきほどブロアさんは説明いただけましたが、ほかには何もありませんか?」
アンリは顔をしかめた。メルルにはその表情の意味がわかる。『今、そんな質問を振るな』だろう。今のところ、ルーベンが最期のときに『裏切り者』と言い残したとレトたちに教えたのが誰か、マドラス団の誰も聞こうとしない。しかし、話の展開によっては、それが自分だとバレかねないのだから。
「ルーベンはパーティーを解散するよう親父さんに迫られていた」
不意打ちのように声が響き、その場にいた者は一斉に声の主に振り返った。そこに立っていたのはリュートだった。
「な、何の話だ、リュート。ルーベンが……だ、団を、か、解散するつもりだったのか……?」
アンリはどもりながら尋ねた。誰の目にもアンリが動揺しているのがわかった。
リュートは首を振った。「いいや」
「しかし、今、お前は……」
「俺が言ったのは、ルーベンは団を解散するようマドラス伯に迫られていたってことだ。ルーベンはそれを承諾していない」
「どうしてそれを……」
アンリは最後まで言えなかった。そのせいで、言いたかったのは『リュートが知っているのか?』なのか、『ルーベンが承諾しなかったのか?』のどちらなのか、メルルにはわからなかった。もしかすると、両方の気持ちがあって、アンリは最後まで言えなかったのかもしれない。
リュートは前者だと思ったようだ。
「偶然、聞いちまったのさ。マドラス伯の屋敷で。あの親子が書斎で言い争っているのを」
「いつ?」尋ねたのはリューゼだ。
「ひと月近く前だな。この『ツヴァイ迷宮』に出発する一週間ほど前だった。ダンジョン挑戦直前の最後の準備中のことさ。
持っていく物資のことでルーベンに相談があったから、あいつを捜していたんだ。自室にあいつがいなかったので、談話室に向かった途中だ。どこかで誰かが口論しているのが聞こえて行ってみたら、ルーベンがマドラス伯と言い争っているところだったんだ」
「話の詳細がわかったのか?」アンリの声は疑わしげだった。
「聞いたのは話の途中だったが、ルーベンがどう言われても団を解散したりはしない、跡目はきちんと継ぐから放っておいてくれって言ってるのが聞こえた。そこから、マドラス伯が何を言ったのか察しただけだ」
「そのとき、マドラス伯は何と?」レトが尋ねた。
「お怒りの声で、今回の探索が終わったら『ツヴァイ迷宮』は封印すると息まいていたよ。何が何でもルーベンに冒険者を辞めさせようとしていた」
「冒険者に危険はつきもの。冒険は常に死と隣り合わせだ。マドラス伯は唯一の跡取りに、そんな危険なことを続けさせたくなかったんだろうな」
アンリは考え込むような姿勢でつぶやいた。
「でも、それって変よ」
レティーシャが反論した。「それだったら、そもそもマドラス伯の支援で冒険者パーティーなんか始められなかったわ。マドラス伯は急に心変わりしたってこと?」
「そういうものじゃない?」
リューゼの声は冷静だった。
「初めは、息子のやりたいことを応援したい気持ちから支援を始めたけど、冒険者とはどれほど危険なものか知って、反対する気持ちが湧いた……。それって不思議なことじゃないでしょ?」
「そうなのかな……」レティーシャは表情を曇らせてうつむいた。




