22
「まぁ、ギガントラットは火を入れても食えたものじゃないから、ダンジョン虫に喰わせるんだがな。大トカゲだったら、食べることができるぜ」
あたりを警戒しつつ先へ進みながら、リュートがメルルに話しかけた。メルルはびっくりしてリュートの顔を見上げた。
「トカゲを食べるんですか?」
リュートは笑うだけですぐに答えない。メルルの疑問に答えたのはグリュックだった。
「ダンジョンを攻略するのに、食料はけっこう荷物です。できるだけ量は絞っておくんです。足りない分は現地調達することで補います。しかし、ぜいたく言える立場ではありませんが、ネズミと蜘蛛は食べませんね。ネズミの肉は病原菌に侵されている場合が多く、人間には危険ですし、蜘蛛は食べられる部位がありませんから。一方で、トカゲや蛇は貴重なたんぱく源として食べます」
「トカゲに、蛇……」メルルはちらりとレトに目をやった。レトは小さくうなずいてみせる。「戦場でもそうだったよ」
メルルはレトとは反対側を歩くリューゼに顔を向けた。「リューゼさんは平気なんですか?」
「え?」
突然話しかけられてリューゼは目を丸くしたが、すぐ笑顔を見せた。
「そうね。私たちは大学の実地研究のときからそうしていたから、今は平気ね。でも、たしかに、最初のころは抵抗あったかな」
リューゼは後ろを歩くレティーシャに向いた。「そうだったよね?」
レティーシャは少し苦笑しながら、「そりゃ、誰だって初めはおっかなびっくりだったわよ。でも、慣れたら美味しく食べれるようになったね」と答えた。
「この間ここに来たときは、リューゼが偶然仕留めた大トカゲを焼いて、みんなで食べたもんね」
「もう、そういう話はしないでよ」リューゼは顔を赤らめて手を振った。
「ダンジョンでは男も女も関係ない。ここで『お淑やか』は意味がないんだ。『女』をやりたかったら、こういうところには来ないほうがいい」
口を挟んだのはクラリスだ。彼女はレティーシャの後ろを歩いていた。声は若い女性らしく美しいが、発言内容は辛らつだ。メルルは自分が話題にしたことを後悔した。
「まぁ、ここには凶悪なモンスターは見当たらないし、お嬢ちゃんのような甘ちゃんが混ざっても大して問題にならないさ」
オリヴァーが、嫌味ではないが援護にもならないことを言う。メルルはふたたび帽子を目深にかぶった。
こうしたやり取りはデレクの耳にも聞こえているはずだが、このときのデレクは何も言わなかった。メルルのことなどまるで気にしていないからだろう。
――そう――。
このときは、一行に危機感はまったくなかった。軽口や冗談をかわすことができるほどに。
細い通路は曲がりくねっていて、そのところどころでダンジョンに巣くう生物と遭遇した。いずれもギガントラットや大黒蜘蛛で、アンリやレトが瞬殺していた。デレクたち『銀狼団』はまるで戦う様子は見せない。『銀狼団』は、『マドラス団』やレトを単なる露払い役にしているようだった。
「んー?」
とつぜん、デレクが立ち止まり、一行も止まった。デレクは『マドラス団』から受け取ったと思われるダンジョンの地図を広げて、その一角を厳しい表情で見つめている。
「おい、この地図、おかしくねぇか?」
アンリは顔をしかめたが何も言わなかった。ただ、仲間のリュートに視線を向けただけである。
「何がおかしいんですかね?」
リュートは不安そうな顔でデレクに近づく。
「ここだよ、ほら! ここ! 第5層に通じる階段は、このままのまっすぐでいいのかよ? この十字路を右に曲がるんじゃないのか?」
リュートは地図をのぞき込んで、「あっ」と言った。いかにも「しまった」という顔つきだ。
「た、たしかに、この先は行き止まりだ。第5層に通じているのは右の道だ」
「いいかげんな地図作成してんじゃねぇよ」
デレクは地図を丸めると、それでリュートの頭をぺしぺしと叩いた。リュートはされるがまま、無言でうなだれている。
「す、すまなかった。ち、地図は今ここで修正する」
アンリがなだめるようにデレクに話しかけた。デレクはちらりとアンリに冷たい視線を向ける。
「お前、さっき自分は地図作成担当じゃねぇって顔してたな。そうやって仲間を売る奴は気に入らねぇなぁ。お前もそう思わないか?」
急に話を振られ、リュートは目を丸くして首を振った。「い、いいや。お、俺はいいんだ。俺がやらかしたことなんだし……」
リュートはアンリをかばうようなことを言ったが、本心は違う部分もあったらしい。アンリをちらと横目で見たきり、アンリとは会話しなくなってしまった。アンリも気まずいのだろう。リュートに話しかけることがなくなった。
……仲間割れをさせている……。
メルルはデレクの行動に気持ちの悪いものを感じていた。どういう意図があるのかつかめないが、地図のミスを意図的に利用したのは間違いない。第4層から、どこか重苦しさを感じていたが、デレクのおかげでますます空気が重苦しくなっている。
……レトさん……。
メルルは救いを求めたい気持ちでレトを見たが、レトは無言で様子を見ているだけだ。デレクとの果し合いで、レトの立場は弱いものになっている。レトがこの状況に意見するのは難しい。こうなってしまうと、このパーティーは『銀狼団』にいいようにされるだろう。そうか、そういう状況にするのがデレクの目的か。
メルルは暗い表情でデレクの横顔を見つめた。今、この状況、いや、せめて空気感だけでも変えてくれるひとはいないのか……。
ふと気づいて後方に視線を向ける。
そこには大きな荷物を担いでいるグリュックと、かなり疲れた様子で立っているロズウェルの姿があった。
グリュックは大量の汗を流し、うつむき気味の姿勢だ。これでは周りの光景が目に映っていないだろう。ロズウェルはデレクの行動は見えていたようだが、そのことに苦言を口にする元気や気力も見られない。
考えてみれば、彼らはすでに『銀狼団』なのだ。彼らがデレクと対等に意見できる関係とはとても思えない。本来、地位が上であるはずのロズウェルでさえ、デレクに遠慮しているようだ。
メルルは一歩、デレクに向けて踏み出した。自分は身体が小さく、腕力も迫力もない。こんな自分が行動したところで何も変えられないだろう。しかし、そうせずにいられなかった。自分の背中を押すものが何か、それがわからないままメルルは行動を起こそうとしていた。
もし、メルルが思うままに行動していたら、この場はどうなっていたか……。メルルが、その結果を知ることはなかった。メルルは自分の腕をそっとつかまれて歩みを止めた。振り返ると、すぐ目の前にレトの顔があった。
メルルはドキリとして表情がこわばった。「な、何です、レトさん……」
直感的に怒られると思った。心の隅では、自分が出過ぎたマネをしようとしている自覚はあったからだ。
レトの表情に怒りはもちろん、何の感情も見えなかった。静かな表情で、「さっき戦った大黒蜘蛛に毒をもらったらしい。君の解毒魔法で中和してくれないか?」と頼んだだけだ。
メルルは慌てて杖を握り直した。
「そ、そうだったんですか? すぐ治療します。どこをやられたんです?」
「ここだ」レトは右腕を指さした。デレクに背を向け、向こうからはその右腕が見えないようにしている。
――あれ……?
メルルの目では、レトの右腕には毒にやられたような異常が見られない。
……まさか……。
メルルは思わず声が漏れそうになった。
……私、かばわれていた……?
今、ここで騒ぎを起こせば、『銀狼団』との関係が決裂となるのは決定的だろう。そうなれば、まだ現場検証すらしていない、今回の案件にどれほどの影響が出るか……。
いや、そのことを盾に『銀狼団』からさらに無茶な要求をされるかもしれない。『これ以上のトラブルを避けたかったら言うことを聞け』というように。今はレトひとりが負っている形だが、今度はメルルが標的にされるかもしれない。
レトは『毒を受けた』という話をでっちあげて、メルルを抑えてくれたのだ。メルルは『やってしまった』と思った。
メルルは小さくうなだれ、小声で「すみませんでした」とつぶやく。
「いや、君はよくやってくれてるよ。今回は僕が頼りなさ過ぎた。反省している」
レトは優しい口調で返す。しかし、メルルには今のレトの優しさが苦しかった。メルルは形だけの『解毒魔法』をレトにかけると、その後はレトの後ろに隠れるようにして進んだ。この階層では、メルルはひと言も発さなくなってしまった。
メルルが静かになると、一行は言葉を無くした歩く人形だった。彼らはひと言も言葉をかわすこともなく先へ進んだ。しかし、その時間は間もなく終わった。
「着いたか」
物静かなダンジョンでようやく響いたデレクの声は、どこか感慨深げなものだった。
一行の前に、ぽっかりと暗い空間が待ち構えていた。よく見ると下へ向かう階段が続いている。
彼らはついに、第5層へ通じる階段まで到達したのだった。




