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メリヴェール王立探偵事務所の『助手見習い』、メルルは緊張の面持ちでテーブルの前に座っていた。このときばかりはもちろん、いつも被っている黒の三角帽子は隣の席に置いている。居心地悪そうに少し身体をもぞもぞさせている。
メルルとテーブルを挟むように向かいに座っているのは『探偵』レト・カーペンター。こちらは静かな表情で黙々と食事をしている。彼もまた、いつも肩に載せているアルキオネの姿がない。『アルキオネ』はレトと行動をともにする一羽のカラスだ。さすがに、この場まで同行するのは憚られたのかもしれない。
――憚れる――。
ふたりがいるのは、王国南西部で有力貴族のひとりとされるロータル・マドラス伯の屋敷だ。ふたりはだだっ広く、瀟洒な食堂で食事をしているところだった。メルルはこんなところでの食事を経験したことがなかったので、かなり緊張してしまっているのだ。
食事をしているのはふたりだけでない。テーブルの一番端、つまり上座と呼ぶべきところにも男がひとり、レトたちと同じ料理を口にしていた。
男は老年に近いようで、髪に白いものが多く混じっている。しかし、背筋をピンと伸ばして腰かけている様子は厳かでだけでなく、若々しい覇気さえも感じられる。この人物こそがロータル・マドラス伯だった。
「食事はお気に召しませんかな?」
ロータルはナプキンで口をそっとぬぐうとメルルに声をかけた。かたわらで控えていた執事らしい老年の男がすばやくそばへ寄り、ロータルからナプキンを受け取るとうやうやしく頭を下げながら元の位置に控えた。
「い、いえ。とても美味しいです。本当に……」
メルルはできるかぎり満面の笑みで首をかしげてみせた。しかし、正直なところ、味についてまるで記憶がない。緊張のあまり、何を食べたのかさえわからなくなっていたのだ。
そりゃそうでしょ。貴族の料理を口にするなんて予想もしてなかったんだから!
「なぜ、初対面で、来たばかりの客人を食事に招待したか疑問に思ったのかね?」
ロータルはメルルのお世辞を見抜いたかのように問い続ける。メルルは表情をこわばらせないように笑顔を保つのでいっぱいいっぱいだ。
「そ、そんな……、疑問に思うなんて……。ねぇ、レトさん?」
ここは余裕かましている先輩に振るのが一番だ。メルルはレトに笑顔を向けた。
「たしかに、疑問に感じています」
レトはナイフとフォークをそっと下ろして答えた。
「僕たちは捜査の依頼を受けて参った者です。来るなり客人のように豪勢な食事で歓待されるわけがあるのでしょうか?」
レトは冷静に答えたが、メルルは顔が熱くなってきた。これでは場の雰囲気を悪くしかねない。率直だが危険な態度だ。そもそも、レトは左腕全体を覆う甲冑を装備したままだ。メルルは事情を知っているが、知らない者からすれば非礼に思われるだろう。レトの顔には、そのことを頓着している様子も見られない。メルルは、レトに話を振ったことを少し後悔した。
「君は率直だな」ロータルは気にもしていないような静かな表情だった。
「そうだな。これは、私なりの人物鑑定なのだよ」
「人物鑑定?」メルルは驚いて目を見張った。
「ひとを測るのに、一緒に食事を摂るのが一番だ。
ひとは食事のときに人間性がもっとも明らかになる。
マナーやエチケットを身に着けているか。つまり品格や教養を備えているか。
好き嫌いがあるか。食事の仕方にこだわりを持っているか。簡単な例で言えば、好きなものから手をつけるか、逆に最後までとっておくか。
味について感動したり感嘆したりするか。そうした感性を備えているか。
食い意地とか、品性に関わる部分も見えるだろう。
どうかね? ひとは食事だけでかなり測れるものだろう?」
「つまり、あなたは僕たちが期待どおりの働きができるか、この食事で測ったということですか?」
レトはあいかわらず静かな口調だった。
「依頼を話すのは、ここの人物鑑定で合格してからだと」
「君の言うとおりだ」ロータルは認めた。「君は察するのが早いようだ」
ロータルは立ち上がると、ゆっくりとした足どりでレトのそばへ歩み寄った。
「依頼については客間で話そう。食事が終わったらセルロンゾ……、あそこで控える執事に案内を頼みたまえ」
ロータルの言葉に老年の執事が静かに頭を下げる。レトもうなずいた。「すぐに参りましょう」
「いや、ゆっくりでかまわんよ」
ロータルは手を振った。「あちらのお嬢さんに落ち着いて食事を摂っていただきたいのでね」
彼はそう言い残すと食堂から立ち去った。
ロータルの姿が見えなくなると、メルルは椅子から立ち上がるとレトに向かって前かがみになった。
「レトさん! さっきのあれは何ですか? まるで挑戦的な態度で……」
「相手が大貴族だから低姿勢でいろと?」
レトはのんびりした口調だ。
「こっちは呼ばれてわざわざ出向いてきたんだ。それなのに、来るなりこっちを値踏みするようなことを始めるんだから、それにふさわしい態度で応じたまでさ。結果はさっき聞いたとおりだよ」
レトはロータルが立ち去った扉に目を向けた。「少なくとも今すぐ荷物をまとめて引き返さずにすみそうだ」
メルルは呆れたような表情で椅子に座り込んだ。「ほんと、レトさんって肝が据わっているというか、怖いもの知らずですよね……」
「わかりやすい駆け引きだから乗っただけだよ。肚の底が見えない相手は、僕だって怖い」
「どうだか」メルルは疑わしげだ。
「ところで、食事はもういいのかい? もうごちそうさまならあちらの執事さんに客間まで案内してもらおう」
メルルはムッとした顔つきになる。
「いいえ。全部いただきます。せっかくの料理を残すなんてことできますか!」
メルルはナイフとフォークを手にするとさきほどとは同じと思えないほど勢いよく食事を始めた。
レトは少し腰をあげていたが、メルルの様子を見ると椅子に座り直した。口のはしにうっすら笑みを浮かべると、「ごゆっくり」と小声でつぶやいた。